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2012年2月19日(日)14:00~ サントリーホール
大植英次+大阪フィルハーモニー交響楽団 ♪ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」 ♪ストラヴィンスキー/バレエ音楽「春の祭典」 2001年秋、ミネソタ管との最後の来日予定で組まれていたプログラム。衆知のとおり、9.11の影響で同来日は中止となり払い戻しに。その当時購入していたのとほぼ同じ座席(LA)で、エイジオブエイジ最後の東京定期を聴いた。 大阪の知人からは、現地の定期公演は波が激しいと聴くけれど、サントリー公演は昨年も今年も出色だった。今回は特に「春祭」。愛聴していたミネソタ管との録音は全体的に音が短くライトだったが、15年以上経た大植さんはクッキリと深く彫刻する印象。それは大フィルの堅固なピラミッドバランスあってこそ成し得る表現だったのかもしれない。 例えば「春の兆し」の弦tutti、録音では鋭く刈るようだったが、この日は音価を保ったダウンボウが手応えあるサウンドを生む。マエストロのタクトも全身を地に叩きつけるようで渾身だ。「春のロンド」のズシリとしたテンポ感、HrやTbの斉奏をグイッと引き出して聴かせる堂に入った手腕もお見事。ダンスとダンスの間のブリッジはたっぷりパウゼをとって緊張感を生むのも特徴的。すると各々の踊りが、声を荒げて狂喜乱舞せずむしろ落ち着いているのに、十分に開放的なスペクタクルとして聴こえてくるところも巧い。「大地の踊り」に向けた、楽団の均整を保った適度なアジタートのさじ加減など絶妙で、マエストロの面目躍如といったところ。加えて、和音の美しさも特筆。先述「春のロンド」終結部の強烈な不協和音など、猛々しいのに決して混濁しない。盲目的に刺激を求める演奏とは一線を画する。 第二部前半も充実。薄味だと客席の居眠りを誘いかねないが、soloやsoliに味わいがあるし、静謐な中でうごめく声部にグロテスクな面白みがあり聴き逃していられない。そして圧巻は「生贄への賛美」の前1小節、記譜のダイナミクス(弦:ff+Timp:f)を度外視した強烈な四分音符11連打が、これほど衒いなくハマッた例は聴いたことがない。続くVivoは、特に弦セクションの手抜きないsfが抜群の躍動感を生む。そしてここでも、ふと意識をホール中央後方に向けてみると、身の詰まった響きが濁りなく、美しい。テンポが流れすぎない「生贄の踊り」は、記譜上の様々な表現がさらけ出されて楽しい。終結のsfffは容赦なく鮮やかで、客席はタクトが下ろされるまで固唾を飲んでその響きの髄まで堪能したのだった。 前プロの「田園」は、弦が豊潤な大フィルの美点を存分に生かした演奏だったと思う。大植さんのベートーヴェン、FMで聴いた4番にしても英雄にしても、拙速ではないのに推進力と張りを生むテンポ設定がいつも絶妙だと感じる。この日の6番も、“中庸”という言葉では片付けられない音楽運びが本当に巧い。第2楽章はあまりに快適ゆえか後半で若干弛緩したけれど、終楽章に至るまで妙にもったいぶったりオカルトな祈りを込めたりもせず、心象が鮮やかに想起されるような秀演だった。 大フィルさんはやはりスターが充実。「春祭」冒頭、宇賀神さんのFgがそれはそれは見事だったこと!また、ソリスト揃いの弦トップは相変わらず音楽が豊かで、「田園」第2楽章のVc1プルトやアグレッシヴなVaには惚れ惚れするばかりだった。 万雷の拍手にもかかわらずアンコールはお預け。その代わりではないのだろうけれど、楽団が掃けた後ソロカーテンコールに応える大植さんは、1階客席に飛び降りて聴衆と握手やタッチを交わして周るという離れ業を披露。こんなマエストロ初めて見た(笑)。いや、これもやる人によるのだと思う。マエストロ大植だと全く嫌味や嫌悪を感じないのだから不思議なものだ。氏の表現、指揮台上の芝居や顔芸(失礼!)だけではないらしい。思い入れ強い公演を大成功に終えた感慨もあってのことだろうか。最後まで良い意味で大植カラーに彩られた、熱くて篤いマチネだった。 #
by mamebito
| 2012-02-24 08:50
| コンサートレビュー
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2012年2月17日(金)19:00~ サントリーホール
フランソワ=グザヴィエ・ロト+ バーデンバーデン&フライブルク南西ドイツ放送交響楽団 Pf.萩原麻未 ♪ラヴェル/ピアノ協奏曲 ♪サン=サーンス/トッカータ(アンコール) ♪マーラー/交響曲第5番 ♪プロコフィエフ/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」 ~騎士たちの踊り(抜粋)※(アンコール) 年始の宣言どおり、過年度よりも鑑賞ペースを抑え気味の2012年。ただ、blog更新まで合わせてスローペースなのは我ながらよろしくない。音源や楽器のことも徐々にエントリーして行きたいところだ。 とはいえ、この週末は久々に期待のオーケストラ公演が2題。その1つがロト+SWR響。楽団は、2008年にベルリン芸術週間(Cond.カンブルラン)で聴いたメシアンとブルックナーが素晴らしく、まさに待望の来日。ロト氏は同じく2008年、LFJでレ・シエクルと奏でた「大地の歌」(室内オケ編)が鮮烈で印象深かった。ジュネコン優勝の萩原さんを優勝曲のラヴェルで聴けるのも嬉しい。 いやが上にも期待は膨らんだのだが、マラ5は意外な演奏に少々肩透かしを食った心地だった。従前のロト氏からは想像できないほど、整然として穏やかなアプローチだったからだ。 もちろん、感傷に溺れず内声域を適度に浮かび上がらせるロト氏の手腕には感心。いわば、爛熟したロマン派の延長線上よりも未来(新ウィーン楽派辺り)からの視点で、外は禁欲的に見せかけて内からパトスとエロスが滲み出るような狙いだったのかもしれない。しかし、そのように頭では推論を講じて共感できても、直感的な悦びやハートの震えが何か不足する。そのように感じてしまう時点で、巷に溢れる情熱的で分かり易いマラ5演奏に馴らされてしまっている証であって、ロト氏はそうした巷間への警鐘を込めて、過剰な情念を廃しピュアなスコアをさらけ出して聴かせたのかもしれない。ただ、仮にそうだとして、理知的なアプローチを頭では理解できるのだけれどハートの方が…という堂々巡り。 むしろアンコール、甲高い「ありがとうございました!」の後で拍手をかき消さんばかりにぶつけたロメジュリの方が鮮烈で、音楽的輝きに満ちていた。Sax部分は木管群を重ねるのかと思ったらFgだけで代用。抜群の推進力とクリアなサウンド、中間部の前向きなテンポ、木管オクターブの演劇的にすら感じる強調等々、表現意欲にも事欠かず。まさかマラ5の後でアンコール、しかもこの曲をやる意図が不明で、さらに迫真の演奏のおかげでこれから両家確執の悲劇が始まらんばかりの雰囲気をホールに再構築した状態で演奏会はお開きという…これは確信犯ロト氏の愉快ないたずらに違いない(笑)。 ブリリアントでエッジの効いたSWR響のキャラクターはやはり好ましかった(2008年ほどの切れ味は無かったが…)。編成は16型+α(1st17本、Vc11本、Cb9本、等)でたいへん鳴りがよく、それでいてスマートに統制が取れていた。このテイストは如何にもドイツ中堅放送楽団の雰囲気。甘みのないクールな弦の音色は特に魅力的だった。Tpソロは明るく豊か、第3楽章のHrソロは指揮台の脇に立つスタイル。引き締まってパンチが効いたパーカッションはSWR響の面目躍如といったところか。ただ一方で、時々間延びするテンポの影響もあってか、管楽器の精度が今ひとつ冴えない時があったことは残念だった。 ともあれ、この日の白眉は前プロのラヴェルだろう。「日本人ながら…」といった無意味な偏見など一切抜きにして、久々にラヴェルが瑞々しく香る演奏を聴いた気がした。 萩原さんのタッチは爽やかで、色がある。普段愛聴しているグールドやルガンスキーやエマールといったクールなピアニストとは異なる粒立ちが、甲乙付けがたく心地よい。そして、テンポがどれだけ音楽の色を決定付けるものか、この人のピアノを聴いていると強く実感された。第1楽章の前向きで転げない絶妙の案配が繰り出す上品なワクワク感。ややゆったりした第2楽章は、強弱やルバートよりも根底に流れるテンポの妙が驚くほど琴線を揺らすので、2小節目であっという間に涙がにじんだ。終楽章は馬力の不足を感じる向きもあろうが、むしろ無理して汚い打鍵を弄するよりずっと好ましい。終楽章の残りわずかで若干崩れて、アンコールも勢い余って粗っぽかったのはご愛嬌。かなり好みのタイプの、楽しみなピアニストにまたまた出会ってしまった。 楽団もマーラーよりラヴェルの方が精彩に富んだ。パーカッションを中心に引き締まったアタックが小気味よい。弦は中声部が豊かでなんとも味わい深い和声を湛える。木管は息が通い伸びやかで、第2楽章はどの楽器もピアノと一緒になって共感に満ちた歌を展開し、至福のひと時だった。 ※アンコールのロメジュリ、ホールの告知は「騎士たちの踊り」だが、そうだとすれば一部カットして演奏したのだろうか?一方で、組曲の「モンタギュー家とキャピュレット家」からイントロをカットしたようにも思えたが、だとすれば中間部のスコアが異なる…。詳細を判別できなかったので、ホール告知曲名に「(抜粋)」を付した。 #
by mamebito
| 2012-02-18 00:58
| コンサートレビュー
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2012年1月27日(金)19:15~ サントリーホール
ダニエル・ハーディング +新日本フィルハーモニー交響楽団 Pf.ラルス・フォークト ♪チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番 ♪ショパン/ノクターン第20番(アンコール) ♪ストラヴィンスキー/ バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版) 近年聴いたNJPの演奏会で最高の一夜だったかもしれない。中でも「ペトルーシュカ」は作品の魅力を余すところなく描き出した名演だったのではないだろうか。 全体にとても集中力が高く、一体性の強い演奏だった。色彩感溢れる耳に美味しいフルコースのような演奏や、民謡色とロシア的たくましさを打ち出した演奏とも少々異なる。古典音楽のような精緻で虚飾のないベースに、ハーディングによるデフォルメが上品なアクセントを加えた・・・といった印象なのだが、ちょっと説明的すぎる表し方だろうか? これはNJPの美点だと思うのだけれど、冒頭の弦のざわめきがたいへん円やかで、纏綿とした美しさに息をのんだ。その後の高弦の切り込みも、低弦のスウィング感も、冴え冴えした中に角が取れてツルリとした触感があり何だか気持ちいい。角張っているよりも面取りした図形の方がカジュアルでデザイナブルに見える、それと同じような印象を覚える響きだ。そして、前週のマラ9と同様に見通しが良くて、音楽に半透明ぐらいのスケルトン感があるのもハイセンス。 NJPのソリストも素晴らしかった。コンマスの崔氏はマーラーのような過剰表現が抑えられて、持ち前の卓抜な技術と統率が光った。VcはNJPを退職された花崎さんが客演されさすがの音色美と安定感。2ndVn.吉村&Va.中村、両女史のアグレッシブで身の詰まったsolo、客演Obの庄司さん、Cl.澤村さんらの美しく息の通ったパフォーマンスもたいへん魅力的。存在感のあるFg…と思ったらさすが河村さん。そして件のTpは服部さんがヘルツォーク氏に負けず劣らない素晴らしい演奏で酔わせてくれた。あとは、オケ中にしてはやけにダイナミクスと存在感が豊かなピアノは、協奏曲ソリストのフォークト氏(ハーディング祭りならぬフォークト祭りだ)。全編、良い意味の緊張感が音楽に張りを生み、残酷劇の陰影には乏しいものの、ポジティヴで最高に清々しいペトルーシュカを満喫させてもらった。 前プロのチャイコは、冒頭のHrがアマチュアでも稀なミスを犯して正直出鼻をくじかれたものの、推進力と情感が豊かで充実した演奏だった。フォークト氏は決して強鍵タイプではなく、繊細なタッチが傑出していた。加えて、この日は身体をねじ曲げて激情や雄大さも描いており、それは時にミスタッチにも繋がったものの、客席に届く音楽は瑕疵を払拭して余りあるものがあった。アンコールの遺作は、震災と原発事故に対する彼なりのコンソレーションか、数日前に40歳の若さで亡くなってしまった元オーボエ首席ルンブレラス氏への団員の哀悼を代弁したものか。しっとりと沁みた。 #
by mamebito
| 2012-02-04 02:07
| コンサートレビュー
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2012年1月24日(火)19:00~ サントリーホール
野平一郎、杉山洋一+東京都交響楽団 Vc.堤剛 ♪野平一郎/管弦楽のための「トリプティーク」、チェロと管弦楽のための「響きの連鎖」 ♪ブーレーズ/エクラ・ミュルティプル(2002年最新改訂版・日本初演) ブーレーズ作品の記念すべき日本初演(1970年世界初演)。そして野平作品の自作自演、しかも初演ではなく再演というのはむしろ希少なこと。そのような貴重なイベントが今年の都響聴き初めとなった。 野平作品は、全体に低音や重い響きへの執着が印象的だった。その対称として、中高弦や木管によるtuttiが温かく響く場面が美しかった。表面的にはいかにもハードな現代音楽なのだけれど、聴いているとある種の体臭とでも言おうか、田舎の祖父母宅のような懐かしい匂いを想起させる音楽だと思った。 「トリプティーク」は、一見とらえ難いハードタッチの作風。全3楽章が続けて演奏される。冒頭こそ静謐だが、徐々にフル編成の重層的響きが増していく。第2楽章の音像のパルスが印象的で、何かソウルを感じる音楽が展開された。「響きの連鎖」は4部構成。第1部はPf+打楽器(舞台半円上に約45度ずつ4台配されたグランカッサを含む)、第2部は弦楽器を追加、第3部は3管フル、第4部は再びPf+打楽器という編成で、各部で演奏される楽器群だけにスポットライトを当てる演出が施された。独奏Vcがほとんど出ずっぱりで、劇的なストーリーを楽器で語る。40分近くかかると思われる大作は冗長に感じる部分もあったが、野平氏のシンプルなタクトから伝わる再演への情念のようなものに引き込まれる演奏だった。 期待のエクラ/ミュルティプルの構成と編成は、私が下手に言葉を連ねるより都響HP(動画解説)に詳しい。コンパクトで音の量が少ない分、その隙間に聴く側の妄想が掻き立てられるような音楽だと思った。野平作品の体臭と比べるならば、ブーレーズ作品に感じるのはパフューム。低い音・重い音の楽器がほとんどなく(PfとVc程度)、高い音のフラグメントが才気走ったエスプリを醸し出す。特に前半のエクラは、透徹した響きがサントリーの円やかな空間に投げ出された様子が妖艶ですらあった。続くミュルティプルでは9名のVaが追加され指揮台を囲む。音域的にも音符的にも後方に位置するソロ楽器群を支え、時に不規則なソロを奏でるなど活躍。ノタシオン等他作品と同様に音楽は忽然と終了し、残響に本来は終わりなく続くのであろ残像が映し出されるような不思議な感覚を伴って曲を終えた。下手にしゃくりあげたりフェイドアウトする締め方よりずっとかっこいい。 「響きの連鎖」ではVc.堤氏が八面六臂の活躍。もちろんチェロ独奏にそのような役割が与えられているからなのだが、そのロールを衰えを知らない存在感の強い音色と(細部は曖昧ながら)超絶技巧で、見事に再現されていた。終演後の野平氏も、堤氏様様といったご様子。また、ブーレーズを担当した杉山氏のタクトが明確で、難曲を振りなれていらっしゃるご様子が頼もしかった。ソロ楽器では、鍵盤奏者の大井浩明氏が客演。「響きの連鎖」では打楽器や低弦と息の合った楔を打ち込み、ブーレーズでは切れ味の鋭いタッチで存在感のあるチェレスタを奏でていらした。エクラのピアノも抜群に冴えていたのだが、私の席からはどなただったか確認できず。撥弦楽器ソロも高名な演奏家だったという情報があり、いわゆるエキストラならばよいけれど、そうした助っ人を揃えたからには冊子に記名しておいた方がよかったのではないだろうか。 楽団については良否両面あり。野平作品における量感十分で輝かしい金管群は見事、ここ数年隙のないホルンもさすが。首席2名が揃ったVcを含む低弦は安定したパフォーマンスで作品のキャラクターを表出していた。Fl.寺本氏のソロ、特にエクラでのアルトフルートは甘美な音色を含めて抜群に素晴らしかった。一方で、高弦(特に1st)の一部合奏に珍しく破綻が見られた点や、明らかに落ちている方がいらした点はいただけない。ブーレーズでのVa、舞台後方に座したソロの店村氏はさすがだったけれど、ミュルティプルでは食らいついて好演されている方々(主に若い方々)と見るからに音楽に乗れていない方々が分離していて、都響贔屓をしてもさすがに残念な部分は否めなかった。それでも、楽団全体から伝わる集中度は並ならぬものがり、両作品の特異なエスプリをきちんと客席に伝えてくれた演奏者の皆さんに、6割以上空いた客席を埋める勢いで拍手を送った。 #
by mamebito
| 2012-01-27 01:48
| コンサートレビュー
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2012年1月20日(金)19:15~
すみだトリフォニーホール ダニエル・ハーディング +新日本フィルハーモニー交響楽団 ♪マーラー/交響曲第9番 思い入れたっぷりの熱演や豪演ではなかった。ハーディングは、時間の限り緻密にリハーサルしたと感じられる練り上げられた演奏を聴かせてくれた。演奏者の思い入れは、そうした細部への徹底姿勢にこそ現れていたとは言えるかもしれない。そこに彼ら(ハーディング+NJP)ならではの、颯爽とした音楽運びや丁寧な歌い口が加味されて、独特の魅力を備えたマーラーになったと感じた。 ハーディング+NJPはそこそこの頻度で聴きに行っている。最近では6月のマラ5にベト7、今回のマラ9に来週のロシアン・プロも。聴く度に思うのは、ハーディングのやりたいことはきっととてもたくさんあって高度なので、その一部でも再現できれば十分聴き応えを得られるのだけれど、“一定の枠の中でのベスト”という域を超えないもどかしさが残ることだ。ハーディングが振るんだからこの程度ではないだろう、と。いや、もちろん、様々なリソース制約の範囲内で最善を尽くすのがプロだ、と言われれば確かにそうなのだけれど…。 この日のマラ9も上述の“一定枠の中でのベスト”といった印象。全体に声を荒げず、音楽の頂点をきちんとブルレスケ後半~終楽章に持っていく構築はさすが。前半楽章は、強弱のスイッチをオンオフするような展開にもなりかねないところ、その中間のステップに溢れる有意な音楽も余すところなく炙り出そうとした。特に第1楽章の冷静なバランス構築と音楽運びは見事。まだ楽団が堅く不安定な中、適度に音楽を流すこととタクトで引き締めることを両立する手腕はさすがハーディング。そして緻密なリハーサルが奏功したと思われる部分では、複雑なテクスチュアのそれぞれを見通せる上に渾然一体となった響きのバランスも絶妙、という理想的な瞬間が度々訪れた。 第2楽章では、これもハーディング節といえようか、古の巨匠ならばべったり音を張るだろうところを、減衰させたりふわりと響かせたりしながら極めて見通しの良い音楽を構築していく。ここではNJPが誇る2大ソリスト、Fl.白尾氏とOb.古部氏が格の違うソロを聴かせ琴線を揺らした。Fg.坪井氏のクリアなタンギングによる動機提示も光った。 ブルレスケも煽りすぎず、決してスポーティに突き進むだけではない。中間のおどけた叙情を、単純な繰り返しではなく楽器使いの妙で描き分け色彩的だ。また、強い楽器(Timpや金管、Hr)に何段階ものダイナミクスを施して、音楽の高揚を巧みにコントロール。かといって欲求不満に陥ることなく、楽章終盤の引き締まった推進力は凄みを備える。楽団の鳴りと集中も最高潮に達した。 アタッカ気味に入った終楽章は、NJP弦セクションの暖かく円やかな響きが最高に美しい。コンマスが熱血漢ではなく豊嶋さんだったことも幸い。MCOでは時々突出して聴こえた氏のリーダーシップが、鳴りきったフルオケでは最高の調和に結びつくのだろうか。ハーディングはやや遅めのテンポでじっくりと、情に溺れずも情を込めつつ、その揺れる狭間を縫うように叙情を描いた。泣き節直前のエグゾーストな演奏も好きだけれど、この日の知と情のバランス感が私にはとても心地よく感じられた。ハーディングのこうした所のセンスが好みなんだなあ。最後は、トリフォニーの繊細な音響が、微弱で奏でられる弦のフラグメントを柔らかく客席に届けて美しく演奏を終えた。 ところで、聴く側としては“その気”のままフィニッシュまで没入させてもらいたいもの。しかし、Clの一部でピッチが合わなかったり、Hrが時々当て損ねたり、弦が隣の開放弦をお触りしてしまったり…その度にふっと現実に引き戻されてしまう。誤解を恐れず言うと、例えば在京楽団ならばN響や都響や読響では、いわゆるチョンボにより鑑賞の集中を殺がれることは滅多にないわけで、この日のNJPは良い意味でもうちょっと上手なごまかし方ができなかったものか?と思わずにはいられなかった。彼らの到達目標(創り上げようとしている音楽)がもの凄いものだということは伝わってきていただけに。 客席は、つい先日ギルバート+NYPのマラ9で起きた携帯電話事件の影響もあってか、何となく厳格にハーディングがタクトを下ろすまで1分弱の余韻を堪能。適度に熱い喝采と、数回の後にマエストロへのソロ無しでスッキリと終わったカーテンコールが潔く、演奏のキャラクターとも美しく同期していたように感じた。 #
by mamebito
| 2012-01-21 09:44
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