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2012年7月6日(金)19:00~ 王子ホール
東京クァルテット+Va.清水直子 (Vn.マーティン・ビーヴァー、池田菊衛 Va.磯村和英 Vc.クライヴ・グリーンスミス) ♪ハイドン/弦楽四重奏曲Op.20-4「ヴェネツィアの競艇」 ♪ウェーベルン/弦楽四重奏のための緩徐楽章、 弦楽器のための5つの楽章 ♪ブラームス/弦楽五重奏曲第2番 一時は新メンバー探しが囁かれたものの、解散が決定した東京Q。今や上手い新鋭の台頭には暇がないけれど、20世紀の良心のような気質を引き継ぐカルテットがまた1つ消えてしまうことは、やはり寂しい。この日のチケットは完売、発売日に電話をかけ続けてやっと最端席を確保した。それだけ客席の期待も大きかったようだ。 最も東京Qを感じたのは、冒頭の太陽四重奏だろうか。無論、彼らはしばしばプログラム前半にハイドンを置き定評を重ねたわけだが、メンバーが半分変わった現在でも、特に温かく小気味よい中声部の充実が、ハイドンらしい愉悦を客席へ伝えていた。和声が大きく変わる際の、さりげなくも互いに寄り添うような合奏の佇まいなど、この団ならではの魅力ではなかっただろうか。そして最も胸に迫ったのがLangsamerSatz。19世紀末抒情が切々と語られ、Va.磯村さんの歌い込みなど呼吸を忘れて聴き入るしかない。私が「解散」の二文字に無意識に影響されたのかもしれないが、演奏から諦念を感じてしまい、単にロマンチックな緩徐楽章としては聴けなかった。ブラームスは、第1楽章の輝かしい疾走感も見事だったが、むしろ抒情的な中間楽章が充実著しかった。ゲストVaの清水さんは2ndで磯村さんを立て、リサイタルよりも相当控えめに合奏の肉付に徹していらした様子。派手に過ぎないグリーンスミス氏のチェロも相まって、全体としては内省的で質実な、作品の魅力を真摯に伝える理想的な演奏だったのではないだろうか。 体調(目)が心配される磯村さんは新ダヴィッドで拝聴して以来。この日は1年半前以上に全身を揺らして楽器と一体化、ブラームス1stVaのメロディなど味わい深く豊かで心に沁みた。パワフルで達者なヴィオリストが増えたけれど、磯村さんのように何かがこもったり宿ったりしたヴィオラというのは、なかなか聴けないのではないか。また、池田さんはフィジカル面でも1stVnと張る。以前、ドビュッシーの第2楽章でビーヴァー氏を凌駕するほどたくましいpizzを轟かせ瞠目したが、白い髪が増した今でも氏の演奏は攻めて勇ましかった。そしてグリーンスミス氏は相変わらず技術闊達でフレキシブル、抜群の安定感でカルテットの音楽を支えていた。 ただ正直なところ1stVnが突出しすぎて、音量だけでなく音楽の質の面でも他の3人と乖離して聴こえる時があった。それはこの日に限った話ではなく、ビーヴァー氏が加入して最初の来日ツアーで抱いた違和感だった。その数年後のベートーヴェンでは、ずいぶん歩み寄って一体感が高まり、時間が解決する問題だと思ったのだが、この日はやや大味な瞬間が多かった印象。ちなみに、録音ではこの違和感を感じない。 実は一時期、彼らは仲が悪いのではないか?と勘繰った。もちろん、アーティストblogや対談では、初期メンバー2人への篤い尊敬の言葉や、適度に距離を保った良好なコミュニケーションが垣間見られたから、杞憂だったのだろうけれど・・・。ただ、仮にプライベートやプロモーションで相性が良くても、演奏上の方向性がぴったりだとは限らない。一方で、カルテットにしろオケにしろ、純粋な演奏面だけの合致が最良の音楽活動に結びつくとも限らない。過少な情報量では事情を察し得ないわけだけれど、最上級の魚料理で小骨が喉に引っ掛かってしまったような、わずかに惜しい感覚は否めなかった。 2013年6月に解散ということは、その前にもう一度聴くチャンスがあるだろうか。最後の最後にはなるけれど、この道を極めた四重奏団だからこそ、高度に融合した本来の東京クァルテットを聴いておきたい。 #
by mamebito
| 2012-07-30 23:27
| コンサートレビュー
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2012年6月28日(木)19:00~
東京オペラシティコンサートホール 尾高忠明+東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 Vc.宮田大 ♪エルガー/チェロ協奏曲 ♪カザルス/鳥の歌(アンコール) ♪エルガー/交響曲第1番 言わずと知れた尾高のエルガー、BBCウェールズとの録音は愛聴盤だが、Liveで聴くのは初めて。期待に違わずたいへん充実した演奏会だった。 Sym1、マエストロは録音と同様にやや落ち着いたテンポを採り、音符が多く入り組んだスコアを衒いなくクリアに解きほぐして行く。作品を知り尽くしているのであろう無駄のなさと自信は、背中を見る客席にも伝わってきた。すると楽団の皆さんの多くも、マエストロへ献身的に寄り添っていくように感じられた。特に2ndVn、首席の原さんへパートの音色が集約されて、華やかな1stVnに劣らず深みのある英国抒情を醸し出し魅力的だった。金管打楽器については、正直なところ判然とせず舞台上でモゴモゴっと過ぎてしまう箇所もあったけれど、木管は美しかったし、上述の2ndVnに限らず弦の響きが充実し、終楽章など理想的な高揚感に胸が熱くなった。テクニカルに難曲な部類の作品だと思うけれど、かといって機能的に優れているだけでは決して表現できない何かを、今日の演奏ではしっかりと味わうことができた。心から喝采を送った。 メディア露出で一躍人気者の宮田さんはさすがの演奏。ロスロト・コン優勝直後のリサイタルを聴いた時よりも楽器の鳴りが進んだのか、コンパクトで機敏な当時の印象よりもずっとスケールを増して聴こえた。故齋藤秀雄愛用のテストーレ、音色が辛口でやや硬質なのは、まだ長い冬眠から覚醒する途中なのか。いずれにしても、エルガーのチェロコンにふさわしい燻し銀の音色が味わいを加えた。宮田さんの演奏は相変わらず卓抜で、考えてみれば日本出身でこれほど技術闊達なチェロ弾きはしばらくぶりだよなと、人気もうなずける見事なものだった。彼の歌心と楽器のポテンシャルは、アンコールの「鳥の歌」で一段と際立つ。渋みのある楽器の音色が、宮田さんの極めて丁寧なカンタービレに導かれて、オペラシティの高い天井へどこまでも広がっていくかのように豊かだった。 ところで、この日は音楽監督が3Fセンター最後列の上手側でご鑑賞(以前、マエストロ飯守も何度か同じ位置でお見かけしたような・・・)。休憩中などホワイエをお一人でぶらぶらされていた。いつもの定期に増して湧いた聴衆に混じって、この一夜をどのように楽しまれたのだろう。以前、戸澤コンマスを2F席で拝見したこともあるし、TCPOの方って非番の時に客席で聴いていることが多いのだろうか? #
by mamebito
| 2012-07-26 22:57
| コンサートレビュー
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2012年6月27日(水)19:00~
東京オペラシティコンサートホール 飯森範親+山形交響楽団 Pf.ダニール・トリフォノフ ♪西村朗/弦楽のための悲のメディテーション ♪チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番、 18の小品~第13曲「田舎のエコー」(アンコール) ♪ブラームス/交響曲第2番 節目の第10回にして初めて訪れた「さくらんぼコンサート」で、確率1/10のお土産(さくらんぼ)に当選したのも嬉しかったが(ということは次は第20回まで当たらない?)、初めてLiveで聴く山響の一体感強い音楽にも心温まった一夜だった。 残念ながら所用のためチャイコンの第2楽章から入場、休憩までは1階席最後方のSPSの方の丸椅子で鑑賞させてもらった(ご配慮に感謝)。トリフォノフ氏は直近のチャイコン(コンクール)の覇者。鮮やかな打鍵で快いけれど、歴代受賞者の求心力やアクの強さに比較すると、まだお若いとはいえ少々素直に過ぎる印象を持った。もちろんそれは魅力でもあるが、半面で一本調子の感も拭えず、清々しさ以上に湧くような何かの不足を感じた。半分しか聴いておらず座席も後方だったので少々自信はないのだけれど、なぜ敢えてこのようなことを述べるかと言うと、終演後の喝采が異常なほど盛り上がっていたからだ。複数人が舞台下に花束を持って走ったし、熱狂的なスタンディングもパラパラと。音楽を相対的に鑑賞しすぎるのはよくないけれど、それにしてもロシアには優れたピアニストがゴロゴロいるわけで、この日に関しては能書きに期待したいほどの音楽は聴けなかったのではないか、と思った。アンコールは硬質なppがたいそう美しかったけれど。 この日聴いた山響の演奏は、楽員の皆さんの高い集中力や合奏意識が3Fセンターまで届いてきて、とても心温まるものだった。物理的な音量としては、中編成にしても弦がやや細く(下手雛壇に乗せた4本のコンバスは明瞭)、金管打楽器を中心に洗練しきらないもどかしさは否めなかったけれど、それを鈍臭いと言って捨ててしまうのはあまりに早計な魅力がそこかしこで光っていた。 ブラームスは5月の定期から各地で演奏を重ねてきたこともあってか、たいへん丁寧に練りこまれた印象を持った。マエストロ飯森の、無味無臭でボーイッシュな音楽造りは好悪を分かつかもしれないけれど(私はどちらかというと・・・)、指揮者の意図と楽団の表現がピタリと合致した様は気持ちよいもの。個性的なカリスマや巨匠が振ればいい成果に結びつくとは限らないわけで、オーケストラ演奏は様々な関係性の産物なのだということを改めて思った。今度はぜひ別のマエストロとの共演も聴いてみたい。 終演後は前プロに続いての大喝采、客席は平日にもかかわらず9割前後の大入り、ホワイエでは山形物産展が大盛況だ。そういった祝祭的な活気を含めて、人気も頷けるコンサートだった。 #
by mamebito
| 2012-07-09 01:02
| コンサートレビュー
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2012年6月23日(土)15:00~ 石橋メモリアルホール
オーケストラ・リベラ・クラシカ ♪メンデルスゾーン/弦楽のためのシンフォニア第1番、第2番、第7番、第4番、第3番、第8番、第12番~第2楽章(アンコール) しばらく管打楽器入り作品へ拡大傾向にあった気がするOLC、今回は久々に弦楽器15名によるアンサンブル。開放的で芳醇な演奏のおかげで、編成の縮小を微塵も感じない豊かな音楽が溢れた。 全体に速い楽章は前向きのテンポで快活に、緩徐楽章はイントネーション明確な語りのように、ニュアンス豊かに奏でられた。OLCの溌剌とした演奏で聴き進めるうちに、特にシンプルな前半番号のシンフォニアは、メンデルスゾーンの前時代、例えばC.P.E.バッハのシンフォニアにそっくりな響きをそこかしこに聴くことができた。マズア+ゲヴァントハウス管やオルフェウスcoの録音ではついぞ聴き得なかった発見だ。早世のメンデルスゾーンは、ロマンティシズムを推し進めた箱入り天才少年のような語られ方をすることもあると思うけれど、むしろ当時のマスターピースやメソッドをしっかり踏襲して展開したスーパー秀才君だったのだなと、改めて思った。 それら前半作品では、OLCがごくごくシンプルに作品の瑞々しさを表現していてたいへん快い。それにしても、Vnを中心に音符が細かくとても難しそう。後半作品では中低弦も音符の数が増し、Vaにはソロも割り当てられ(第8番)、音楽の重奏感が高まる。OLCの弦は間違いなく世界最高峰、僅かな合奏の揺らぎが感じられた程度で、様々な難所を緻密に発音しながら、ニュアンス豊富な響きをホールの空間に満たしていった。特に楽器が存分に鳴った第8番は、鈴木秀美さん解説のとおり“交響曲第0番”と言うにふさわしい作品の威容とあいまって、輝かしく悦びに満ちた幸福な時間が流れた。アンコールのアンダンテも豊かな響きの名残を伴って絶品。 今回、主宰の鈴木秀美さんは合奏中(チェロトップ)で弾きながら時々振っていらしたので、この日は指揮者というよりもアンサンブル・リーダーでいらした。9月のヴィヴァルディも10月のバッハ息子も同じような形態になるのだろうか。果たして、その後のOLCの方向性やいかに? #
by mamebito
| 2012-07-07 23:59
| コンサートレビュー
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2012年6月18日(月)19:00~ サントリーホール
大野和士+東京都交響楽団+Vn.庄司紗矢香 ♪シェーンベルク/浄められた夜 ♪シマノフスキ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ♪バルトーク/管弦楽のための協奏曲 時々、欧米の楽団を彼の地で聴いてみたくなる。ドイツやフィンランドでそういう旅をして、無論充実していたわけだけれど、仮に音楽を聴くことだけを考えれば、しばらくは日本で満足かもしれない・・・と、この日は思った。リーマンショックと震災を経て減ったとはいえ、海外の演奏家が多数来日し自分で現地に行くよりは手軽&安価に聴けて、日本にいるピリオド系の皆さんは最先端で、そして世界一級の都響を定期的に聴けるのだから。 都響贔屓にも程がある?いやいや、この日と翌日の定期はちょっと別格だったのだ。個々人の好みの相違を越えて訴求するような突き抜けた演奏が展開されて、それは日本の定期演奏会ではほとんど感じたことがないほど圧倒的な充実感だった。 特にオケコンの完成度と密度の高さは出色。第1楽章のフィニッシュで一部の金管が鳴らし損ねたハプニングはまさに“玉に瑕”(minamina様によると6/19東京文化では完璧に修正されていた由)。玉条の都響アンサンブルは身がぎっしり詰まって情報量豊富、しかも「整理整頓」や「透明感」というレベルを超えてどこまでもクリアだ。管打のソロもデコボコがなく極めて高水準。前任のデプリースト氏が「フィラ管のようなサウンドを目指したい」と述べていたが、奇しくも退任数年を経てフィラ管を連想させるような伸びやかでブリリアントで鉄壁のアンサンブルに近付いてきたような印象を持った。 大野さんのタクトはリヨン来日の時に比していよいよカリスマの域、一段と音楽の濃度が高まった印象を受けた。オケコン両端楽章は前向きのテンポに只ならぬ意志を感じ、ふとしたパウゼにも張り詰めた意識の存在を感じる。対の遊びの金管合奏に遠望な米国叙情がにじみ、悲歌の歌いきりが鮮烈かつノーブルな様など、表情が迫真でしかも多彩だ。それは浄夜でも然り。都響弦セクションの面目躍如、広い表現幅と懐深い音色を引き出して、アタッカの30分を全く長く感じない濃密な表現を聴いた。 そして庄司さんも絶好調!だったように聴こえた。ショスタコの時と同様、大規模な楽団を突き抜けて聴こえる手抜き無いパフォーマンスに今回も瞠目だったのだが、加えて音色がなんと妖艶なことか!確かに、2年前に聴いたプロコVn協2番で既に音色表現の進化の端緒を聴いていた気はする。しかしながら、最初の一音で一気にホールの空気を艶かしく塗り替えるような懐深い術を既に心得ていらっしゃったとは・・・。大野さんによって微に入り細に入り彫刻された楽団との一体感も絶妙。録音・実演が多くは無い同曲としては、滅多に聴けない名演奏に違いなかった。 とにかく、この日は都響のアンサンブルに圧倒された。当団の緻密な合奏は有名で言うに及ばないけれど、その“合う”ことの次元が巷の楽団と一線を画すると思うのだ。以前、都響にエキストラで出演した弦楽器奏者の方が、古参団員の方から「ウチのピアニッシモは他とは違うんだからね!」と厳しく指導された、という話を聞いたことがある。それは、物理的にダイナミクスレンジが広いという意味ではなく、一体性が高く芯まで意識の通ったppを必要とする、という意味だったのだろうと想像している。つまり、弦のtutti一人ひとりまで楽譜と合奏に深くコミットすること。その結果、オケとして単に合致している(合う)以上に一同に会している(会う)響きがして、さらに言えば作品や作曲家にきちんと対面している(逢う)ような求心力が演奏に備わるのではないか、と勝手に思っている。 もちろん、作品やタクトを振る人との相性、個々人や楽器のコンディション等々で、常にベストな演奏が繰り広げられるわけではないことを承知の上で・・・この日の演奏は手放しに絶賛したい。はい、都響贔屓ですが、何か?(笑) #
by mamebito
| 2012-06-29 02:54
| コンサートレビュー
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