タグ
レビュー(602)
オーケストラ(412) LFJ(76) ピアノ(62) 室内楽(58) アマチュア(52) チェロ(50) 都響(44) 弦楽四重奏(44) N響(36) CD(35) 東響(28) 新日フィル(26) 交響曲(23) ヴァイオリン(19) 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
外部リンク
記事ランキング
検索
最新の記事
ブログジャンル
|
2012年9月7日(金)19:00~ 京都コンサートホール
下野竜也+京都市交響楽団 Vn.ヴァディム・グルーズマン ♪ブリテン/歌劇「ピーター・グライムズ」~パッサカリア ♪ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ♪J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番~Adagio(アンコール) ♪ペルト/カントゥス~ベンジャミン・ブリテンの思い出に ♪ブリテン/シンフォニア・ダ・レクイエム 2010年8月定期のスペイン・プログラムで、初めて京響を聴いた時の印象は鮮烈だった。当時の美点はそのままに、不足を感じた箇所は随分と改善されて聴こえたのがこの日の下野プログラムだった。 美点は、ブリリアントで伸びやかな音色、フレッシュな勢い。これは後半プログラムで顕著に聴くことができた。ペルトの叙情は独特で、表面的な涼しさを支える温もりが大切だと思うのだけれど、この日の京響弦セクションは理想的な音色でこれを再現。膨張していくテーマが清涼感を伴ってホールに満ちていく、けれども聴いている私たちのハートには哀しさや愛しさに通じる熱いものが増していく。指揮者の意向で拍手なしアタッカで繋げられたレクイエムは、テンションを上手く持続。第2楽章のフルートが達者で素晴らしく、tuttiの打撃は鮮やかで音楽が引き締まる。終楽章では、それまでの緊張感がホロホロと解けて沈静していく様が雅ですらあった。美しくも迫真の名演。 グルーズマンは、プロフィールや風貌、演奏スタイルが若い頃のレーピンと重なって仕方ない。なるべく先入観を抱かず聴いたつもりだけれど、オケに埋もれないパワフルな響き、安定した技巧と高い集中力、いつか聴いたレーピンの名演奏を想起させる素晴らしいものだった。カデンツァの持って行き方が迫真で、第5楽章冒頭はオケがテンションに付いていけずもたついていた。後半は合奏もビシッと締まり、熱いブラヴォーを誘う鮮烈なフィニッシュを飾った。 全体に下野さんの存在感が大きい。上述のショスタコは氏の丁寧な影振りやテンションの注入がなかったら快演に結びつかなかっただろうし、ペルトの緊張感の持続やレクイエムの流れは自然でありながらおそらく緻密に構築された様子が伺われた。何よりも、音楽へ取り組む真剣さが壇上からホール一杯に放出されていて、以前のどこか丸みを帯びて穏やかな印象よりも、厳しく懐深い印象が勝るようになられたと感じた。 京阪在住の知人によると、この日の京響は好調だった様子。コンマス泉原さんは以前の爽やか青年から頼れる男の雰囲気を増し、Vaは店村さんが圧倒的なソロを披露、Vc客演のグルチン氏(スポットなのか?)はたくましい演奏で低弦パートを引っ張っていた。木管は速度が増すと若干転げることがあるし(これは2年前と変わらない)、ペルトからブリテンのアウフタクトで変な音を出し緊張感を減じてしまったり、詰めの甘さを感じる点はあった。それでも、京都を訪れるたびにこれだけフレッシュで胸の空くような演奏を聴かせてくれたら、すっかりファンになってしまう。 翻って、世界に名立たる観光都市だからこそ、京の外からの聴衆にも訴求する宿命を背負った楽団でもあるはず。本拠地が観光のメインスポットから若干外れる北山とはいえ、欧州の街を訪れたら夜はその土地の楽団を聴きに行くように、もっと京都の観光・文化発信で存在感を増してよいのではないだろうか。今の京響は十分な潜在能力と陣容を備えているのだから。 #
by mamebito
| 2012-09-11 23:38
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
2012年9月6日(木)19:30~ ザ・シンフォニーホール
大植英次+大阪フィルハーモニー交響楽団 ♪ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」 ♪ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」 ♪エルガー/「威風堂々」第1番(アンコール) 初めての大阪クラシックへ。東京の仕事を早引きして駆けつけ一公演目。ベルリオーズは、大フィルが何かの折、9月6日に最初に奏でた作品だそうで、この日との偶然の一致を熱弁し客席を煽った割には楽団がまだ低体温のまま終わってしまったが、展覧会の絵はこのコンビの面目躍如たる名演奏だった。 表現の彫りが深いと感じる。その結果、ラヴェルが施した繊細さや夢幻性は減じていたかもしれないけれど、一方で絵画の名を付した1つ1つのキャラクターが明確に聴こえてきた。それは描写的で説明的な表現ではなく(これが古城の風景ね、ほらこれは雛鳥、みたいな表面的なものではなく)、もっと概念的な表象を明確に伝えるものだ。例によって音楽の空白(パウゼ)を多めにとって、適度な場面転換や緊張感を醸し出す点も効果的。目から鱗が落ちたのが、バーバ・ヤガからキエフの大門の新鮮な表現。特に後者、テーマの間に何度か挿入される木管合奏部の扱いが衝撃的。語るのだ、まるでレチタティーヴォのように。頂点を築くまでのテンションのコントロールも、大掴みでありながら大味ではなく、客席を無理なく高揚させて感動的な一体感を伴うフィニッシュとなった。 アンコールは、ロンドン五輪にちなんでの選曲。大植さん「プロムス・ラストナイトと同じように、それ以上にやります!」との宣言どおり、テーマに入ったらすぐに客席を振り向いて手拍子を要求。二度目の第二主題、本家では大合唱する場面では、大植さんの指示により客席が総立ち手拍子に。カーテンコールはお得意の場外乱闘、否、場内乱走でホールは熱狂。満員御礼大盛況の内に5日目を終えた。 シンフォニーHで聴くのは2006年9月22日の若杉+大阪C響以来、大フィルを本拠地で聴くのは今回が初めてだった。2007年の大阪城青空コンや東京公演で、大植さんの役者ぶりは重々承知していたつもりだが、本拠地でのそれは期待を超えていた。客席の反応は早く、笑いや拍手はでかく親密で質も違う。舞台上の他人事ではなく、自分達のこととして聴いている人が多いような印象を覚えた。これが大阪のクラシック音楽の楽しみ方なのか・・・ふん、なかなか楽しいじゃないか!(笑) #
by mamebito
| 2012-09-09 04:09
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
2012年8月10日(金)14:00~ すみだトリフォニーホール
山田和樹+新日本フィルハーモニー交響楽団 Pf.萩原麻未 Org.室住素子 ♪ラヴェル/亡き王女のためのパヴァーヌ ♪ラヴェル/ピアノ協奏曲 ♪サン=サーンス/交響曲第3番「オルガン付」 ♪ビゼー/組曲「アルルの女」~アダージェット(アンコール) SWR響来日で聴いた萩原さんのラヴェル、その時と寸分違わぬほど完成された演奏にこの日も驚いた。特に第2楽章の絶妙なテンポ・・・第1小節の2音目で世界を造りきるタッチに瞠目。両端楽章はもう少し幻惑してほしい箇所もあったけれど、演奏の練度にはやはり目を見張った。楽団は持ち前の柔らかな響きでピアノに添う。第2楽章の木管はよく歌い素晴らしかったが、両端楽章は少々精彩を欠き惜しい。 山田さんの演奏は、ブザンソンで脚光を浴びてからしか聴いていないのだけれど、そのどれもが一貫した音楽性と揺ぎ無いタクトに感心するケースばかりだった。 ・2010/11/5 山田和樹+横浜シンフォニエッタ第3回演奏会 ・2011/4/23 日本フィル第629回定期(cond.山田和樹) ・2011/8/11 山田和樹+横浜シンフォニエッタ第4回演奏会 ・2012/5/4 山田和樹+横浜シンフォニエッタ(LFJtokyo) この日もやはりと言おうか、若手に連想されるような鋭敏性とは異なる20世紀風グランド・ロマンティックな方向でオルガン付をさばいた。ミョンフン等のスポーティで引き締まった演奏に比べると鈍臭いと聴く向きもあろうが、作品の捉え方が異なるのであって、説得力は十分で聴き応えがあった。 楽団を壮麗に鳴らすも、要所をグイッと締めるので弛緩することがない。第1楽章第1部、煽れば切迫感にしびれる箇所には事欠かないけれど、山田さんは安定したテンポで響きに余裕を残す。するとそこに、フランス音楽を想起する薫りが微かに漂うのだから巧い。第2部には夢幻や憧憬を感じたいところ、この日の演奏は弦が涼しげで爽やかな叙情を湛えたものになった。第2楽章第1部はそれこそ大人しく、弦のふくよかな色彩感を保ちながら金管打楽器が適度な楔を打ち込む。この楽章、楽団に高度な機動性を求めなくても良いのではないか、むしろこれが本来の響きなのではないかと感じられてくる。第2部は壮麗を極める。弦を中心にスタッカート気味に鋭く奏でることが多い箇所を、むしろ音価十分に鳴らすので、響きが開放的で西欧風の温かみを感じる。また、3F席後方で聴くと、室住さんの精緻なオルガンとオケの音量バランスが絶妙になる。こうなると、もう少し底深い響きや音色を求めたくなったけれど、山田さんは最低限の凸凹をクッキリつけて巧みに曲を運び、申し分のないフィナーレを築いた。そしてアンコール、鳴りきった弦の弱音はホール全体を包むようで、このアダージェットは珠玉の小品だった。 さて、ここからは仮説(というか妄想)なので過言を容赦いただきたいのだけれど、山田さんのネオ・ロマンティシズムと言えそうな20世紀回帰的音楽性は、世界の潮流の1つではないかと思っている。例えば、V.ユロフスキやソヒエフ、それにネゼ=セガンやウルバンスキ。彼らはもう少し上の世代が颯爽とした、あるいは時代考証されたスタイルで一世を風靡したのに比して、そのような鋭敏性や研究性をあまり披露しない。外形的には、20世紀のモダン・オーケストラで形作られたスタンダードを踏襲している。では、単に懐古趣味の大御所に迎合して評価されているのかと言うとそうではない。彼らの録音や実演を聴いて強く惹かれるのは、その類稀な純粋さだ。 もちろん、知識と技術は熟練指揮者を凌ぐ程に磨かれていて、加えて音楽に向かう姿勢が奇跡的にピュアで、それは演奏する側の人たちにも波及しているのではないか。舞台に乗らない関係者の方々も含めて、皆が気持ちよく音楽に関わることで、再現される演奏は楽器編成やスタイルを超えて直截的に私たちへ訴求するように感じる。最先端の研究に鈍感なわけではなく、無個性なわけでもなく、それぞれに誠意を尽くしたスコアの再現に徹しているようにすら感じられる。 他方で、もっと割り切れない複雑性を大事にする方にとっては物足りないかもしれないし、時代考証を最優先する方には範疇外の音楽家になってしまうかもしれない。そこはもう好みが分かつところで、時代が案外彼らを求めていたことと、彼らの指揮者スキルが類稀に高度なことは、間違いないのではないかと思っている。(以上、余談) #
by mamebito
| 2012-08-17 11:36
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
2012年7月22日(日)14:00~ 東京オペラシティコンサートホール
飯守泰次朗+新交響楽団 Vn.松山冴花 ♪ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲 ♪マーラー/交響曲第1番「巨人」 オペラシティがほぼ満席。団内動員の充実に加えて、マエストロ飯守の人気の程を思い知る客席の景色だ。この日は当日引き換えで、初めてオルガン前のP席に座った。まず、ここのP席が案外鑑賞しやすいことに驚く。考えてみれば上方に音が広がるホール、舞台後方でも弦やソリストの音が十分に可聴範囲になる。サントリーやミューザやMMのP席よりもずっと好印象だった。 前プロのベートーヴェンは、松山さんのヴァイオリンが相変わらず研ぎ澄まされて美しく、技術も正確性の範疇を越えて気持ち良い。過度に溜めを作らず、ソフィスティケートされた印象なのはNYで磨かれたセンスの賜物か。カデンツァは聴き慣れないものだったが、ブラームスの時のように自作だったのだろうか?ヴァイオリンの悪魔的魅力を織り込みながら、節度があり冗長に過ぎない、見事なソロだった。 マエストロ飯守、市場ではドイツ音楽の巨匠的なイメージが強いと思うのだけれど、かといって重厚長大な音楽をされる方ではない。楽団をしっかり鳴らしながらも、決して停滞せず流れがいい。細部のニュアンスを振り分けるし、例えば管の音量が膨らみ過ぎたらグッと抑えてバランスを取るような現場対応も抜け目ない。おかげで、Vn16型では響きが茫洋としかねないベートーヴェンでも一定のメリハリが効いていたし、マーラーも爆演の類とは一線を画するブリリアントな演奏が展開された。特に巨人の終楽章は見事。推進力が横溢したテンポ感、うねるようなクレシェンド、パウゼの後の切り込み(Vaなど)、スタンディングしたHrの伸びやかな咆哮から、アッチェレランドし胸の前で収めたフィニッシュの高揚に至るまで、引き締まって爽快な演奏だった。 この日の新響さんは、最近では最も1stVnの充実が著しかったのではないだろうか。特にマーラー、長髪のコンミスさんが5プルト外、ソリストの松山さんが折り返しの内に座し、1プルトのコンミスさんと合わせた三者で直角三角形の3点を押さえたような配置が効いたのか、パート全体が底鳴りするようで素晴らしかった。TpやFlも上手くて気持ち良い。プロ>アマという巷の先入観を捨てるに絶好の演奏会だった。 #
by mamebito
| 2012-08-03 01:21
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
2012年7月19日(木)19:00~ サントリーホール
小泉和裕+東京都交響楽団 ♪ベートーヴェン/「エグモント」序曲 ♪ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」より 前奏曲と愛の死 ♪チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」 写真の人は怪我で登壇されなかった。贔屓の都響をあの大植さんが振るから、曲目(当初前プロは薔薇騎士組曲)にかかわらず買い求めただけに残念。巷で時々偶発する急遽代役のミラクルは生まれなかったけれど、「悲愴」ではさすがの都響クオリティを楽しむことができた。 マエストロ小泉は、錚々たるキャリアをお持ちだし、タクトは恩師カラヤンを髣髴とさせてカリスマ風だけれど、出てくる音楽はシンプルで優しい。そして、メロディラインを重視した流麗な音楽造りが分かり易くもあり、物足りなくもある。それはこの日に限らず、昨年のドイツ・レクイエムも、ロベルト・アバドの代役を務めた時も、新日poの時も新響の時も・・・20年来定期的にマエストロの演奏に接してきて、良くも悪くも印象が安定してブレない。 エグモントは、Vn16型のフル編成でロマンティックに鳴らすも、質実剛健なドイツ風とも豊麗なウィーン風とも異なる印象。先入観を承知で述べるなら、アクが薄いカラヤン風と言えそうな外形のベートーヴェンだった。都響は隙のないアンサンブルで応えた。「前奏曲と愛の死」は冒頭のチェロが繊細で美しいこと!そして店村さんと鈴木さんが1プルとに並んだVaが強力で、1stVnと対等なほどの存在感を示した。マエストロの音楽はインテンポ基調でスルスルと流れが良い。ベルリンで聴いたラトル+BPOのような只ならぬ雰囲気は醸し出されなかったが、都響の緻密な合奏のおかげでたいへんな美演に仕上がっていた。 「悲愴」は、第1楽章2度目の第二主題あたりでいよいよ都響の本領発揮。美しく緻密なままに音楽はスケールを増す。第2楽章のVcメロディ、首席古川さんを筆頭に自在に伸縮して5拍子のダンスを舞う。その一糸乱れぬアンサンブルの美しさは流石。第3楽章は、小泉さんらしくどこか丸みを帯びて安定的ながら、後半は相応にパンチが効いて迫真だ。軽くパウゼをとった後の第4楽章は都響弦の独壇場。マエストロのタクトがあっさりと流れる中で、楽団の皆さんの自発的な歌い込みがこの終楽章を何段階も充実させていたと感じた。 聴いている間は淡泊で印象が薄いと感じたのだが、終わってみれば作品と楽団の魅力をきちんと味わえる演奏だったのではないだろうか。都響にポストをお持ちとはいえ、急遽代役で一定のクオリティを引き出したマエストロ小泉には、舞台客席双方から熱い喝采が降り注いだ。もちろん、私も最後まで拍手を送ってから、サントリー帰りの行きつけ(カレーフィッシュ)へ向かったのだった。 #
by mamebito
| 2012-08-01 00:01
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||