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鈴木雅明+バッハ・コレギウム・ジャパン Sop.松井亜希 Alt.青木洋也 Ten.櫻田亮 Bas.渡辺祐介 Org.大塚直哉 Solo-Vn.若松夏美 Fl-Trv.鶴田洋子 ♪J.S.バッハ/管弦楽組曲第4番、『アンナ・マグダレーナの音楽帖』~『ジョヴァンニーニのアリア』『御身が共にあるならば、汝、汝、ヤハウェよ』(第1・3・8節)、レチタティーヴォ『私は、満ち足りた』~アリア『眠るがよい、疲れた眼よ』より、ブランデンブルク協奏曲第5番、カンタータ第120番a『主なる神、万物の支配者よ』、ミサ曲ロ短調~クレドの終結部(アンコール) この公演の朝、古き良き音楽愛好家のおじが亡くなった。老衰。医師に告げられた余命より長く頑張ってくれた。昔、行事の余興でモーツァルトのK.563を仲間と弾いた時、聴き終えて一人立ち上がり「久しぶりに生を聴いて音楽はやっぱりいいものだと思った!」と喝采を送ってくれた。上手くなかったのを励ます意図だったかもしれないけど、今となってはその心はわからないから、言葉どおり喜んでくれたと想い出にとどめることにしている。ともあれ、彼は現世でピリオドアプローチに馴染まなかったのだけれど、あの世というものがあれば、そこでは作曲当時の楽器と演奏家がJ.S.バッハ作品を奏でているかもしれない。この日の演目に鎮魂の趣旨はなかったが、BCJの気高い器楽と人の声は、心の中で音楽好きのおじを送るに相応しかった。 第129回以来拝聴するBCJは、歌も器楽もこの世界の世界的演奏家が集う。そのため、管弦楽作品や歌曲の小品も素晴らしいけれど、やはり合唱と管弦楽によるカンタータやミサ曲で、この音楽集団のエクセレンスが相乗的に高まるように思う。この日もカンタータからアンコールのクレドに至る充実が圧巻で、声とオリジナル楽器だからこそ表現できるニュアンスが、情報量といった客観的分析の余地を超えてダイレクトに伝わってきた。 ケーテン時代にフォーカスした今回のプログラムは豊富で、BCJ定期では初めて取り上げるという『音楽帖』からの歌曲抜粋も小気味好く愉しかった。2つの管弦楽作品、特にブランデンブルク協奏曲は音が小さいトラベルソに集中することで耳が敏感になり、3階バルコニー席でも立ち上る器楽の繊細な交わりが快い。音量を増して音楽を伝えることを指向してきた近現代だが、それは進化のように見えて、小さき声に宿るものに鈍感になってはいないだろうか。 最後はアンコール的に、カンタータと関わりがあるロ短調ミサ曲のクレド終結部で、今を生きる者としての希望をいただいた。自分には、誰かが競い合って手に入れる勝利やメダルよりも、こういう音楽こそなくてはならないものだと確かめることができた。
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by mamebito
| 2021-10-04 00:01
| コンサートレビュー
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広上淳一+京都市交響楽団 Vn.黒川侑 Vc.佐藤晴真 ♪ブラームス/ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 ♪ベートーヴェン/交響曲第3番『英雄』 十数年前から推しオケの1つである京響が、このご時世に川崎まで来てくれるのだから機を逃すわけにはいかない。 この日は事実上1階最前列に座ることになり、演奏の全体感に対する感想は信頼に足らないので手短に。ブラームスからスケールの大きさに圧倒される。音色も、京都で度々聴いたクリアで瑞々しい印象に比べてずいぶんマットだ。『英雄』も歩みがどっしりしてたいへん立派な演奏だった。 聞き逃したプレトークで、マエストロは「巨匠風アプローチ」を志向する旨話されていたとのこと。それをチケット購入前に伺っていたら、この感想を書くことはなかったかもしれない。マエストロの古典ものについて、20年近く前に聴いた生き生きとした演奏が印象に残っており、ベートーヴェンもエロイカまでは同様のアプローチを勝手に期待しただけのことなのだけれど。ただ、かつて京都では若手を中心とした管打のキレとフレッシュなtuttiのサウンドに魅了されたものだが、この日のような弦からピラミッドバランスで立ち上がる重厚な演奏も可能なことに、京響の懐の深さを確かめることはできた。 ソロのお二人は若く、楽器をよく鳴らして技術に隙がなかった。最前列で聴く直接音はしっかりと引っ掻け擦るノイズが多めで、ということはホール後方まで音が飛び美しい間接音を生成しているだろうことは想像に難くなかった。現在十代~二十代で度々お名前を拝見する日本人名の演奏家が、ことごとく達者でどなたにも不満を覚えることがないというのは、長年の音楽ファンからすると驚異的なことで改めて感心するばかりだった。
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by mamebito
| 2021-10-03 00:02
| コンサートレビュー
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鈴木秀美+神奈川フィルハーモニー管弦楽団 Vn.郷古廉 ♪ドヴォルザーク/序曲『謝肉祭』、交響曲第8番 ♪シューマン/ヴァイオリン協奏曲 ♪J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番~サラバンド(アンコール) 何度か記したのでしつこいかもしれないけれど、“指揮者”鈴木秀美さんは棒を持たない素手の時の方が好きだ。チェロにエンドピンを付けない方が楽器がよく鳴るのと似たようなイメージで。大きめの曲や協奏曲を振る時に、拍を示すためか棒をお持ちになることもあるが、不自由そうに見えるし交通整理の効果も不明な時がある。 この日も、棒を持たずに振った後半のドボ8が出色の素晴らしさだった。約2年前、kitaraで札響に客演されて振った同曲を拝聴した時は、秀美マエストロによる新しい楽譜とピリオドアプローチが奏功する一方で、楽団に根付いたエリシュカの薫陶の方が色濃く感じられた。一方、かなフィルはほぼ完全に秀美マエストロの楽器になっていた印象。エリシュカやノイマンでもなければ、セルにもケルテスにもカラヤンにもドホナーニにも寄っていない。全員ではなさそうだがガットを張りヴィブラートを抑えた弦の音色感に加え、1stVn12型編成のオケは繊細で見通しよく、各セクションが望む時に望むバランスで聴こえる解像度が圧巻だった。表現の点でも、Vnが第2楽章や第3楽章で19世紀後半風の上品なポルタメントを手中に収めていたのが興味深い。札響や在京大手に比べると、音色が薄く馬力は劣るかもしれないけれど、指揮者とのベクトルが合致した時のかなフィルの表現力は、同楽団を30年近く前から知る一人として隔世の感慨があった。このコンビの演奏としては、2014年7月に音楽堂で聴いたベト5と並ぶ名演奏だった。 郷古さんのソロによるシューマンは、難しそうな音域と音符の並びを全て鳴らしきる技術をもってすれば、分かりやすく旋律を強調したり見得を切って華を持たせることなど容易だろうけれど、そのようなおせっかい(?)をせずスコアに忠実に、華と抑揚の乏しい晩年のシューマンらしさが前面に出ており感激。室内オケ編成のかなフィルは、ソロや室内楽でもご活躍の首席陣のエクセレンスが際立ちクオリティが高かった。また、秀美マエストロのシューマンの音作りがたいへん好みだったので、県立音楽堂で鈴木秀美+かなフィルによるシューマン管弦楽作品チクルスを期待したいと思った。
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by mamebito
| 2021-10-02 00:02
| コンサートレビュー
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パスカル・ヴェロ+仙台フィルハーモニー管弦楽団 Chor.東京混声合唱団 Org.今井奈緒子 ♪ベルリオーズ/序曲『ローマの謝肉祭』、ラコッツィ行進曲 ♪ドビュッシー/夜想曲 ♪サン=サーンス/交響曲第3番『オルガン付』、同第2楽章第2部カット版(アンコール) マエストロ飯守が振るベト2の放映がとても感じ良く、久しぶりの鑑賞機会を狙っていた仙台フィル。以前は「硬く」「薄い」印象が強かったのだけれど、この日は繊細で柔和、アンサンブルの一体感も際立って、状態が良いオーケストラ特有の雰囲気が漂っていた。 中でも『オルガン付』は、これほど心温まる演奏は初めて聴いたかもしれない。同曲はミョンフンによるエキサイティングなアプローチに絆されてきたのだけれど、この日の演奏は感染症拡大への不安やオリパラ運営に対する疑心暗鬼で凝り固まった気持ちを優しく解してくれるものだった。冒頭の弦と木管の和声は、鋭く冷ややかに響けば真面目で深刻な物語を予感させるが、ヴェロ+仙台フィルはふわりと柔らかく、エスプリの表出を志向していることが伺えた。語弊があるかもしれないけれど所詮サン=サーンスなのだから、シリアスに過ぎない方が的を射ていると思った。第2楽章のスピードやアタックは大人しいが、それはオルガン・インスパイア系の音楽にとって必須ではない。むしろ第1楽章第2部を、フランスの地方楽団(リヨンやロワール)に感じるようなリラックスした美しさで満たしてくれた方が嬉しい。第2楽章第2部への弦と木管によるブリッジは特に優しく、サントリーホールの豊富な残響に美しく乗る様子が白眉だった。 前半のベルリオーズでは、弦、特に低弦ほど軽く、エッジが立たないため物足りなさを感じなくもなかったが、目指すベクトルがそちら向きではなかったということ。ドビュッシーも、聴く側が直接音よりも間接音の溶け合いに神経を集中させると、その美しさと香しさに納得するような演奏だった。 数千人規模の感染が広がる中、客席は合唱用のP席を除いて八割以上埋まって見えた。もちろん隣席は空いておらず、この点は少々居心地の悪さがあったが、終演後の分散退場を舞台上の楽団の皆さんが手を振ってお見送りくださる等、温かいホスピタリティのおかげで最後まで気持ちの良いコンサート体験だった。 ところで、大学受験浪人時代、全ての試験を受け終わり未だ合格ゼロ、翌日に最後の合格発表を控えた夜に、芸劇で新星日響による『オルガン付』を聴いたことがある。その時の指揮がヴェロさんで、この日の仙台フィルと同じく冒頭が『ローマの謝肉祭』でアンコールが『オルガン付』終楽章カット版だった。当時の感想メモには「若い期待のフランス人指揮者で、ツボを心得たスタンダードな解釈には好感」と二浪の危機にあった十代の若造は書いている(笑)。翌日、無事合格していたこともあってか、妙に鮮明に記憶されている演奏会の1つだ。当時の記憶が呼び起されたことも、この日の仙台フィル東京公演をいっそう温かな印象にしたように思う。
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by mamebito
| 2021-10-01 23:28
| コンサートレビュー
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平真実+フラットフィルハーモニーオーケストラ Fl.井清真弓 ♪メンデルスゾーン/序曲『ルイ・ブラス』 ♪ライネッケ/フルート協奏曲 ♪モーツァルト/アンダンテ K.315(アンコール) ♪シューマン/交響曲第1番『春』 ♪ブラームス/ハンガリー舞曲第1番(アンコール) ♪エルガー/エニグマ変奏曲~ニムロッド(アンコール) 忌まわしい感染症が拡大してから初めてのアマオケ鑑賞。ホールの徹底した対策と楽員の皆さんの配慮で、座席配置も市松模様の安心・安全なコンサートを楽しむことができた。 この状況下で、プロフェッショナルな方々も大変だけれど、アマオケの活動も苦労が多い。特に、自治体施設を利用することが多い楽団にとっては、施設の(夜間)閉鎖等の影響で練習の会場と時間の確保が困難になりがちだ。 そのような様々な制約の中で、ここまで聴かせる演奏に仕上がったのは、在京の猛者が集うフラット・フィルの高いリテラシーがあってこそだと思った。この楽団は、カンタービレの歌わせ方に習熟している。この日の作品はいずれもメロディが豊富で、聴かせ所の魅力をしっかりと味わうことができた。 一方で、彼らをしても『春』は難曲に違いなかった。第1楽章でオンになった音色音圧のまま第2楽章を奏でてしまい、しばらく音楽がガサガサしてしまった。難度の高い細部の合奏やtuttiのパート間バランスに、集まっての練習時間確保に苦労しただろうことが垣間見られた。 それでも、カーテンコールで楽員の皆さんの表情は晴れやかだったし、このご時世に、運営も含めこれほど充実した”演奏会”に仕上げられたのは特筆すべきこと。率直に、感謝と敬意を拍手に込めて、初夏の紀尾井をあとにした。
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by mamebito
| 2021-08-28 23:48
| コンサートレビュー
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