タグ
レビュー(534)
オーケストラ(364) LFJ(72) ピアノ(56) 室内楽(51) チェロ(47) アマチュア(47) 都響(42) 弦楽四重奏(41) CD(35) N響(30) 新日フィル(24) 交響曲(23) ヴァイオリン(16) 東響(16) 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
外部リンク
記事ランキング
検索
最新の記事
ブログジャンル
|
1
▲
by mamebito
| 2018-09-30 18:14
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
2018年8月15日(水)19:00~ 豊洲シビックセンターホール
ラ・ムジカ・コッラーナ ♪ヴィヴァルディ/弦楽のための協奏曲RV119、チェロ協奏曲RV417、リュート協奏曲RV93、ヴァイオリン協奏曲「ラ・ストラヴァガンツァ」 ♪J.S.バッハ/3つのヴァイオリンのための協奏曲 ♪コレッリ/合奏協奏曲Op.6-6 ヴァイオリニストの丸山さんやチェリストの島根さんら、若くして自在にピリオド楽器を操る名手を中心に結成されたアンサンブル、LMC。以前から気になっており、初めて拝聴することができた。 イタリアンカラーの自由闊達な演奏が信条のようで、前半のヴィヴァルディ4曲は団に適した作品なのだろう、舞台上での即興的なやり取りを通して一期一会の再現を楽しんでいる雰囲気が快かった。中でもチェロ協奏曲のソロを奏でた島根さんは巧く、リュート協奏曲のソロでおそらく客演された金子浩さんは、急くことなくじんわりと味わいあるカンタービレを爪弾いて印象的だった。 後半の1曲目に置かれたバッハは、少々散らかって平板な演奏に聴こえた。ヴィヴァルディのようなイタリアものに近い作り方をされたのではないだろうか、ソロが重層的で立体感のある音楽に聴こえない。多声部が並立する先のいっそうの絡み合いや、声部バランスのグラデーションへの配慮、といったものが聴こえた方が自分は好みだった。 その点、クライマックスに置かれたコレッリはこの日の白眉。ヴィヴァルディよりも昇華した歌謡性と洗練された楽曲構造が、LMCの生き生きとした表現のおかげで水を得た魚のように舞台上に蘇る。各ソロの皆さんも安定しており、美しい響きを保って演奏を閉じた。こういうアグレッシブな古楽器アンサンブルは、自分が子どもの頃は海外に頼るしかなかったことを考えると、日本の若い古楽器奏者の躍進が本当に目覚ましいことを実感する演奏だった。 豊洲シビックのホールは、講演会等で使う時にはガラスの内壁と外壁の間にあるブロックが閉じているが、この日は開放して海と夜景をバックに演奏が展開された。音響はシンプルで癖がなく、こうした作品を聴くには申し分ない。客席の傾斜はきつめで死角が少ないのもよい。演奏の途中、運河の近くで市民が上げた小さな打上げ花火がピカッと光ったりしたのも楽しい。上手く活用していきたい箱の一つだと思った。 ▲
by mamebito
| 2018-09-26 00:12
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
![]() 高関健+東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 Pf.シュテファン・ヴラダー ♪ウェーバー/歌劇「魔弾の射手」序曲 ♪ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番「皇帝」 ♪リスト/コンソレーション(アンコール) ♪ブラームス/交響曲第4番、ハンガリー舞曲第1番(アンコール) 9年前の夏、5年目のサマーミューザで、飯守先生とシティフィルが奏でたブルックナーの7番は見事な演奏だった。当時、団員として奏でていた友人も珍しく少し紅潮して「今日は本当にうまくいった」と終演後にほころんでいたことが印象に残っている。 もちろん、同じ演奏会企画で同じオーケストラならば、同じような充実を味わえる確証はない。ただ、シティフィルは常トラが優れているし、若い優秀な奏者も加わってきて、一昔前とは一線を画する楽団になっていると認識しており、この日も世界的名手を迎えた直球ドイツもの勝負に期待して足を運んだのだった。 まず、前日にティアラのマチネでマルタン+マーラー4番という、なかなか精神力と仕込みを要する本番をこなしているので、この日の演奏会に向けた準備が練りあがっていなかったことが推測される。特にトラが多いオケでは、よほどトラがうまく馴染んでくれないと、そもそもシティフィルというオーケストラとしての体をなさない、とまでは言わないがもう少しまとめて来ようよというサウンドで終わってしまうものだ。この日の高関先生+シティフィルは残念ながらそのパターンだったとお見受けした。 魔弾は、出だしが揃わないといった重箱の隅ではなく、そもそもこの作品をどうしたいのかという、音の勢いや表現の方向が合わない部分が散見され、ずいぶん取っ散らかり腰が据わらないまま終わった。ブラ4は、高関先生が巧みに盛り上げて、熱演という形で一つの成果を見たが、その熱の込め方にもパート間で随分と差があったように見受けられた。また、第2楽章などの繊細な表現で、木管の音程・音質・ニュアンスが合わない部分が興を殺いだ。ヴァイオリンパート内にも、全員が前のめりならば個々の個性が混じり合い集合するからよいものの、攻める人や及び腰の人や様子見の人が混在していて、良いと思ったら次の瞬間にはまた求心力を欠いたり、となかなか難しかった。 ただ、演奏会としてはヴラダーのピアノを安価に楽しめただけでも満足だった。単に華やかなばかりではない、様々な内面を包含した祝祭美をタッチに宿して両端楽章を雄弁に語ると、第2楽章はノスタルジーに溺れず格調高いカンタービレを紡いだ。圧巻はコンソレーション、だいぶ昔にも誰かのアンコールで聴いたが、ホールの空気がギュッと舞台のピアノに引き寄せられ魅了されている様子が手に取るように感じられた。こんなに衒いなく美しい作品だったかと。 ▲
by mamebito
| 2018-09-25 00:01
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
2018年7月20日(金)19:00~ NHKホール
ユッカ・ペッカ・サラステ+NHK交響楽団 Vn.バイバ・スクリデ ♪シベリウス/アンダンテ・フェスティーヴォ、ヴァイオリン協奏曲 ♪ウェストホフ/ヴァイオリン・ソナタ第3番~第3曲「金の模倣」(アンコール) ♪ブラームス/交響曲第1番 ♪シベリウス/鶴のいる風景(アンコール) サラステが前回N響に客演した「クオレマ」抜粋は印象的だった。客演であの曲をあんなに繊細に神秘的に歌わせたマエストロの手腕とセンスに、トロントやオスロやラハティにいた頃の雰囲気(個人的には少々大味な印象を持っていた)とは一味違うものを感じた。2018のN響夏公演は、奏で倒された有名曲ばかり、でも今のサラステが振れば作品の繊細な側面や純粋な魅力に再び出会えそうな予感に期待して足を運んだ。 まずブラ1について。前向きでルバート僅少、颯爽として余情を挟む余地の少ない演奏だ。ブラームスの、ウジウジして煮え切らない中にロマンを醸す側面が、かなり削ぎ落とされていたのは好悪を分かつだろうが、自分はこういうスタイルも好みだった。時々、微かにユニークなくさびや松葉があって、その意図を考えているうちに演奏はサクサクと先に進んで置いていかれそうになるのはご愛敬(笑)。HrTpTbを効果的に鳴らすところは、マエストロが影響を受けた師匠の一人であるカラヤンを想起させなくもないけれど、それが突出せず煩すぎず、音楽の全体感を損なわないままスケールを増しているとこに、サラステの類まれなセンスを垣間見たように感じた。 ただ、やはりこの日一番心奪われたのはシベリウスだった。大きく振りかざして輝かしい弦楽合奏が拡がるアンダンテ・フェスティーボには終始心を奪われた。アンコールが鶴だったのも嬉しい。ブラームス以上に速いテンポの内から優しさが滲み、食後に油分を流して微香を残す鉄観音をコールドで頂いたような爽やかさを覚えた。N響でシベリウスを聴くならば、サラステで聴きたいと思う。エストニアのヤルヴィ親子のシベリウスは、悪くないんだけど少々独特で、ヴァンスカやサロネンやリントゥやサラステが奏でる演奏(もちろん彼らも個々に異なるのだけれど)とは何か僅かに違ってしっくりこないのだ。 しっくりこないと言えば、協奏曲のソロを奏でたスクリデ。巧いし、巧いだけではない表情の熱さのようなものも備えた素晴らしいヴァイオリニストだとは思うのだけれど、自分にとっては要らないところで力んだ表情が加えられたり、何か欲しいところを流し気味に奏でられたりする場面があった。 ▲
by mamebito
| 2018-09-24 00:01
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
勝手に敬愛するチェリスト、鈴木秀美さんによる五弦Vcのアルペジョーネ・ソナタは、高音がアルペジョーネよりも細く繊細で、低音楽器の範疇を超えて総合弦楽器のような表現幅に驚愕した。気温差・湿度差と闘いながらの演奏にはなったが、あまりに気持ち良い絶妙なテンポ感と、多彩で繊細なガット弦の表情をたっぷりと堪能した。 ▲
by mamebito
| 2018-09-23 14:21
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
1 |
ファン申請 |
||