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2017年12月14日(木)19:00~ サントリーホール シャルル・デュトワ+NHK交響楽団 Sop.アンナ・プロハスカ ♪ハイドン/交響曲第85番「王妃」 ♪細川俊夫/ソプラノと管弦楽のための「嘆き」 ♪メンデルスゾーン/交響曲第3番「スコットランド」 師走にデュトワを聴かなければ年を越せない体になってしまった。それだけに、Blog執筆時点で明らかになっているデュトワ事案と、その後の国内外の楽団の対応(キャンセルや指揮者未定状態)は少なからず堪えている。 2017年のN響定期最終公演、女性団員から花束を渡されていつものご挨拶を要求するデュトワ、その瞬間を食い入って一瞬拍手が止まりそうになりまた手を叩く客席の、あのこそばゆい空気感(笑)。何の工夫もないお決まりの両手でバイバイに、だらしなく微笑む客席(笑)。そうした舞台上の公然としたやんちゃが、これ程ハマるマエストロはデュトワの他にいるだろうか。復帰したとしても、やんちゃは控えるんだろうと思うと、この日のカーテンコールの景色が無性に愛おしく思えてくるのだった。 話を演奏に移そう。この日は、2017年10月のエッシェンバッハとのブラ2&3で客演したオーボエの吉井瑞穂さんが再び登場。ハイドンとスコッチで彼女がオーボエ1番を吹くというのは、最強のアドバンテージであり、ファンとしては嬉しい限りだ。そして、デュトワのハイドンはどうしても聴きたかったレパートリーの1つ。モントリオール・シンフォニエッタ(小編成のモントリオール響)と録音したハイドン/パリ交響曲集は、アンセルメ+スイスロマンドのそれと並び、いわゆるモダン・オーケストラで楽器をいじくらない編成による演奏としては筆頭に掲げたい愛聴盤だったりする。 その「王妃」は、タクトに対して楽団が少々真面目すぎたものの、マエストロが示す様式感と音楽の闊達な方向性はほぼ理想的なハイドンだった。キビキビとしていてもモーツァルトのようにメロディが重要ではないしコロコロと転がらない。かといってベートーヴェンほど強面でカッチリ踏むわけでもなく、バッハよりはお気楽で、シューベルトほど内向的ではない。シンプルなのに一言では片付けられないその様式感をしっかりと捉え、タクトに示せるマエストロは決して多くないと思っている。デュトワにはもっとハイドンを振ってほしいし、これからも期待したいと思っている。 スコッチは、ベートーヴェンやブラームスでデュトワが見せる、力感がみなぎる剛直なまでのフォルムが胸に迫った。そんな外形から、メロディの歌わせ方がエレガンスだったり、サウンドが濁らず澄んでいたり、マエストロならではの優美な音楽造りが細部を整えていくのがとても好ましい。第3楽章が音楽のクライマックスとなり、深刻な内容を伴わない短調の旋律は深い歌謡性を湛えていた。終楽章の燃焼は迫真で、長調に転じてからも拍子抜けせず、広大な雰囲気が十分に表出されていた。ハイドンに劣らず、デュトワのメンデルスゾーンもまた聴きたいと思った。 以上の2曲において、吉井さんの存在は想像以上に絶大だった。そもそもチューニングの音色からして素晴らしく、聴衆の期待を温めるのに十分だった。スコッチ第2楽章と終楽章のタンギング捌きには超一流の輝きがあり、かといって出しゃばるわけではなく、ハイドンでは木管全体を数段格調高く押し上げていた。 細川の「嘆き」は、デュトワ+N響+プロハスカがザルツブルク音楽祭で初演した作品。とても描写力の強い音楽だ。テクストを軽く頭に入れてから聴くと、欧州的な分かりやすい構造の合間から日本的な湿った響きが聴こえてきて、3.11の感触がリアルに想起されてくる。少なくとも愉しく聴く音楽ではなかった。同様に世界に衝撃を与えた惨事をテーマにした作品で比べるならば、ライヒの「WTC9/11」がたくさんの言葉で説明しているのに対して、細川の「嘆き」は少ない歌詞と叫びでより身体的に訴えかけてきた。後者の方が、音楽芸術として高度で優れているし、真摯な動機が伝わるように思った。 フランスやスペインの音楽で名声を得たからか、好色キャラが定着しているからか、デュトワにはラテン系でお軽いイメージが付きまとうが、それは作品の性格を如実に再現した結果である。名声を高めた時期に取り上げた作品の多くが、たまたまフランスやスペインの音楽だっただけである。明るい音楽は明るく、優美な音楽は優美に、そして深刻な音楽は深刻に、そのスコアの性格を突き詰めて音にするのがデュトワだ。そのマエストロのプロ魂を、しっかりと受け止めることができた演奏会だった。この演目が、N響との、そして日本での、デュトワ最後のプログラムだったなんてことにはならないですよね。ご復帰を心からお待ちしています。 ▲
by mamebito
| 2018-01-31 01:24
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by mamebito
| 2018-01-30 00:31
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by mamebito
| 2018-01-29 01:04
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by mamebito
| 2018-01-28 00:15
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V.ユロフスキ、クルレンツィスと並び、今最も聴きたいマエストロの一人、P.ジョルダンを聴いた。
スイスの名指揮者アルミン・ジョルダンのご子息だが、親の七光りとはとっくに無縁。最も多忙な指揮者の一人という言もあり、この公演の前にウィーン国立歌劇場の次期ポストにも決まった、欧州の王道キャリアを託されているマエストロ。彼を知ったのは、現在ポストにあるバスティーユ管との録音、特にプロコフィエフ「古典交響曲」だった。あらゆる音に方向感やニュアンスがあって、それが見事に統合されて全体に生き生きとした音楽になっており、しかもそこにわざとらしさがなく、こういう曲だったのかと本当に目から鱗が剥がれていく心地がしたのだった。これは只者ではない、と。 ベト5は、オーケストラがルイージや大野さんとの来日時よりも引き締まり、各声部がかなりクリアに聴こえた。スポーティーな音楽の流れの中で、ディテールを適度に彫刻して、スコアの真の姿を徹底的に追求しようとするマエストロの思想が伝わる演奏だった。ただ、ツアーの途上ゆえ常に完璧とはいかないわけだけれど、せっかく優れた作品再現が展開されているだけに、発音の不揃い等が見受けられた楽団にはいっそうの集中力を期待したかった。 休憩を挟んだブラ1は、件の楽団の集中力も高まりを見せた。このあたり、ウィーン・フィルも演奏会前半はエンジンがかかりにくいと言うから、ウィーン気質の1つなのだろうか。ともかく、Liveで聴いた演奏の中ではおそらく最も好み類のブラ1で、冒頭から惹き込まれいつの間にか夢中になっていた。マエストロはちょっとした独特のニュアンスを含ませた彼なりの表現も施すのだけれど、それは手段でありスコアの深部に迫ろうとすることが目的であって、そのためにwhyを繰り返した結果、現在の最も真摯な再現がこれだ!というような並みならぬこだわりとやり切っている確信のようなものが伝わってきた。だから、恣意的に感じることがなく、どこを切っても納得するのだと思う。第3楽章が、これほど憧憬や郷愁を滲ませながらソフィスティケートされた演奏は稀だし、例えば終楽章のメロディを濃厚にしたり敢えてさらっと流したり、といった極端な表現がなく至って自然体。コーダに向けて過度に煽らずもたいへん熱くなるのは、巧みな演奏設計が背後にある証拠。本当にどこを切ってもクレバーで、右にも左にも傾倒しない中道を極めた、納得の名演奏だった。 さらにウィーン響が、おそらく彼らならではのとてもよい音色を鳴らしていたのも絶品。中でもヴァイオリン・セクションは、とかく音色美を特筆されるウィーン・フィルよりも好みだったかもしれない(とはいえウィーン・フィルをLiveで聴いたことはないのだけれど、笑)。 アンコール、最近は民族的表現へ偏重気味に思われるハンガリー舞曲第5番を、低重心を基調に上品に奏でて美しい。カレーで言えば、インドカレーやタイカレーもよいけれど、欧風カレー、しかもジャガイモやピクルスを付さずルーとビーフだけで舌を満足させるような絶対の自信を感じた。トリッチ・トラッチ・ポルカは楽団に任せつつ、要所だけ手綱を引く見事な棒捌き。これは楽団の皆さんも気持ちよかったと見え、視界の範囲ではかなりの人数の楽員さんが笑顔を浮かべ、舞台から愉悦が溢れ出していた。楽友協会で彼がワルツを振る姿を元旦の生中継で鑑賞する日は遠くないだろうと思った。 ▲
by mamebito
| 2018-01-27 10:23
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by mamebito
| 2018-01-26 00:05
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2017年11月9日(木)19:00~ 横浜みなとみらいホール ヘルベルト・ブロムシュテット+ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 Vn.レオニダス・カヴァコス ♪ブラームス/ヴァイオリン協奏曲 ♪J.S.バッハ/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番~サラバンド(アンコール) ♪シューベルト/交響曲第8番「ザ・グレイト」 このBlogを始めた当初は、聴いた公演の年間ベスト10やベスト5をまとめていたのだけれど、個人の演奏会鑑賞に順位付けし難いことに気付いてからは、特に印象に残った5つの演奏会をピックアップして振返ることにしている。ただ、2016年は圧倒的に感動してしまった公演、つまり一番印象に残った1つの公演があった。ブロムシュテットとバンベルク響のオペラシティ公演だった。 その詳細は当時の感想に譲るとして、2017年も元気に来日してくれたマエストロは、10年前までポストにあり、数々の名演奏と言われるものを残したゲヴァントハウス管を帯同した。しかも、同団が初演した有名作品を並べたプログラムで。 昨年聴いたバンベルク響は、ヴィブラートを抑制した透明感を基調としながらも、持ち前のたくましさと奥深さが同居したサウンドを実現しており、そこに宿るニュアンスが好ましすぎて感嘆したのだった。LGOは、独特の綿糸、ではなく絹糸のような音色美を保ちつつ同様のスタイルを実現しており、全く筆舌に尽くしがたい音色を湛えていた。ただ、バンベルクに比べると響きがコンパクトで、前者ほど迫ってくるような感覚には至らなかった。それには、以前からあまり好みではないみなとみらいホールの音響(無駄に大きく空虚に感じる…)が影響していた可能性はある。 もう一つ、昨年のバンベルク程には忘れ難い体験に至らなかったのは、演奏に所々ウォーミングやアジャストの途中といった様子を感じたことも影響している。合奏が微かに噛み合わず、思いきった発音を控えて楽員の皆さんが寄り添う雰囲気を感じる時があった。また、おそらくオーボエ1番さんはリードが重かったのではないだろうか、ライプツィヒでも聴いた耳馴染んだ演奏に比べると、オーボエの伸びが弱く感じたりもした。 さらに、マエストロのタクトにも、一年前とは僅かに異なるものを感じた。ごく稀に、体が思い通り動かない時があったのではないだろうか。昨年は、手数は少ないものの、表現のため以外に余計な力が抜けて楽団と一体化して見えたのだけれど、この日は時々ご自身を鼓舞するかのように力を込めたり、意図したのとは少々異なる音が出てきたのか冷静に手をかざすように見える時があった。 以上、いずれもごく僅かな「おや?」であり、聴く側の耳や目の疲労のせいだったり、それこそホールの特性でそう感じられただけなのかもしれない。勘違いかもしれない。先にネガティブな言葉を並べてしまったけれど、この日も印象に深く残る、忘れられない演奏会のひとつになったことは確かだ。 ブラームスはソロが熱演。以前は達者ながら線が細く感じられたカヴァコスが、美しい音色はそのままにかなりアグレッシブに攻めており、しかもしなやかで驚くほど巧い。何よりもオーケストラの音色が澄んで美しく、上述のとおり木管のバランスはやや気になったものの、大好きな第2楽章はマエストロの優しいタクトと相まって、視覚と聴覚の両方から涙腺を刺激した。アンコールを1曲疲労したカヴァコスは、熱演による疲労で終演後のサイン会をキャンセルしたとのこと。 休憩を挟んだ「グレイト」、これはもう間違いなく、今までLiveで聴いた同曲の最も忘れられない演奏になった。第2楽章、あれほど美しい件のチェロは初めて聴いた。あまりの美しさに、その後第2楽章の間ずっと、あのフレーズの感触が残像のようにずっと感じられた。ブロムシュテットは、他の作品と同様、記譜のリピートを忠実に実施してくれたのも嬉しかった。こんな演奏なら三度でも四度でもリピートしてほしかった(笑)。そんな「グレイト」に出会ったのは、アーノンクール以来のことだ。特に第2楽章以降、演奏も噛み合ってきて、遂にこの楽団の本気の音色を聴くことができた。 この1年でまたお歳を召したように感じたマエストロだったが、終演後はいつもどおりに景気よく楽員さんを称え、ソロ・カーテンコールにも応えてくれた。思えばもう何年も毎年拝聴しているブロムシュテットお爺さん、来年もどうぞ元気に日本へいらしてくださいますよう。久しぶりに体の芯から温まる演奏会だった。 ▲
by mamebito
| 2018-01-25 00:02
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折しも米国大統領が来日中で、サントリーホールの裏手にある米国大使館周辺は厳戒態勢の中、米国トップ5と呼ばれる一角、ボストン響の久しぶりの来日公演を聴いた。
米国の名門楽団といえば、とにかく巧くて音が大きい、という先入観を持っている。ボストン響も、個々のプレイヤーは技術闊達でよく鳴るのだけれど、オーケストラとしては少し異なる性格を備えていると感じた。私の数少ないアメオケ鑑賞経験からすると、例えばフィラ管ほど技術的なキレやゴージャスな大音量は見受けられない。その代わり、というとトレードオフのようで不適切だが、やや落ち着いた音色で、行間から香気がうっすらと漂うよう上品さを感じた。 その楽団に対して、熊のようにたくましい躯体を持つマエストロ・ネルソンスは、全身を使って時に覆いかぶさるようにして、ダイナミックにオーケストラを導いていく。視覚的には、指揮者の動きと出てくる音に熱量の差異を感じなくもないが、マエストロに呼応した結果が、若干ノーブルな余韻を残したボストン響なりの燃焼だったのだろうと捉えた。それは、オーケストラの個性として、個人的にはとても好ましかった。 そのような特徴を持つコンビによるラフ2は、突き抜けた特徴や刺激を備えてはいないものの、多くの人にとって理想に近い演奏だったと言えるのではないだろうか。ネルソンスがアグレッシブなテンポで大きな表現を求めると、冷静な楽員の皆さんはマエストロの主張を好意的に、でも美観を逸しない範囲で受け止め、音楽に反映していった。第二楽章の中間などかなりエキサイティングなのに、汗臭さを全く感じない。第三楽章は十分エモーショナルなのに、俗っぽさがなくて上澄みを掬うようなタッチが快い。マエストロとオーケストラの個性が遺憾なく発揮されていたと思うが、双方が混ざりあって別の何かを産むというよりは、それぞれの良さがそのまま聴こえてくるような演奏だった。 首席奏者のお二人がソロを奏でたモーツァルトは、あまり熱心に聴いている曲ではなく、今回も未知の魅力に開眼するような鑑賞体験にはならなかった。ただ、スタイルを問わず彼らの演奏は温かく、銀座のブランド路面店が漂わせるような高級感を常に欠くことがなかった。アメリカの知識階層の裕福な家族(子どもは複数人いる)が、とても大きなソファに集まって、ダディとマムを中心に清潔な笑顔を保ったまま正面を向いている…ような絵面が終止頭をよぎったのは、何かのステレオタイプに洗脳されているのだろうか? ▲
by mamebito
| 2018-01-24 22:17
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2017年10月29日(日)14:00~ 第一生命ホール ウェールズ弦楽四重奏団 ♪ハイドン/弦楽四重奏曲第41番 ♪ベルク/弦楽四重奏曲 ♪シューベルト/弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」 ♪ハイドン/弦楽四重奏曲第1番「狩」~第3楽章(アンコール) 日本を拠点に活動している気に入りのカルテットが3団体ある。楽遊会、関西、そしてウェールズだ。録音や動画で楽しませてもらっていた男子校カルテットを、初めてLiveで拝聴した。 今の世の中、足し算や掛け算がもてはやされることが多い。数や量は多いこと、規模は大きいこと、経年変化は右肩上がりが良しとされ、そのための積み上げや相乗効果が当たり前の善として語られる。音楽はそこまで偏っていないものの、同じ傾向にあるように思うが、ウェールズQは足し算や掛け算と同様に引き算も重視して演奏を作っているように聴こえる。2017年にリリースしたベートーヴェン2番&12番の録音でも、往年の名カルテットの逞しかったり、雄大だったり、カンタービレ溢れたり、何かと増し増しの演奏とは一線を画していた。 この日も、どの作品においても、例えば4人がより小さい音に集合したり、ほぼ完全にパラレルに聴こえてきたり、どこかに必ず引き算の要素を感じる演奏が展開された。その度に、流れてくる音楽に何となく耳を任せているだけでは済まず、舞台にグッと引き寄せられることになる。スピーチやおしゃべりでも、ふと声のトーンを落としたら、「え、なに?」と耳を傾けたくなるように。そのような演奏スタイルを、日本のオーケストラで活躍する演奏者個々を生かしながら、ほぼ完全に同じベクトルで実現していることは特筆に値するのではないだろうか。テンポが揺れても一つの楽器のように動くことを横のしなやかさ、音量バランスや声部の抜き差しを自在に可変できることを縦のしなやかさとしたら、彼らはまさに縦横無尽に音楽を構築する。その繊細なフレキシビリティは、常設カルテットの中でもウェールズQならではの醍醐味だと思った。 特に感銘を受けたのは冒頭のハイドンだった。鈴木秀美さん率いる楽遊会Qのハイドンが理想系には違いないのだけれど、それとはまた違ったアプローチで、ウェールズQのハイドンは極めて面白い。全ての音が聴こえる上に、ロマン派に比べて音符が少なく筆致が透徹している分、全ての音に必ず何らかの意味や方向感がある。しかも、中身がある音ばかりではなく、敢えてのっぺらぼうの、空っぽの吹き出しのような音を提示して「どうぞ客席の皆さんでご自由に埋めてください」と投げかけてくる時もあるから楽しい。1音1ヴィブラートたりとも疎かにせず、もちろんそこにはノンヴィブラートやちょっと無機質な音という選択肢も含まれることになる。そんな繊細な小さな差異の1つ1つが、広いホール空間の色彩感を微妙に変えていく。大きく強くて華やかな音で空間を満たすこととは逆の発想の方が、むしろ音楽の本質や演奏芸術の面白さを伝えることに成功するのかもしれない。その意味で、彼らは録音よりもライヴでこそ聴きたいカルテットの筆頭だと思った。 ▲
by mamebito
| 2018-01-23 00:06
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2017年10月26日(木)19:00~ サントリーホール クリストフ・エッシェンバッハ+NHK交響楽団 ♪ブラームス/交響曲第4番、同第1番 ピアノの練習が嫌で草野球に逃げていた小学生の頃、それでも教室を辞めるまで至らなかったのは、親が用意してくれたモーツァルトのピアノ協奏曲のCDに、捨て去り切れない魅力を感じていたからかもしれない。70年代にエッシェンバッハが録音した演奏だった。だから本当は、マエストロが弾き振りするK.414の協奏曲+ブラ1という組み合わせに魅力を感じてチケットを入手した演奏会だった。指の不具合は、もう治ったのかな。
エッシェンバッハは2008年に、来日したフィラ管とベルリン芸術週間に登場したパリ管で聴いて以来だ。マエストロの音楽はなかなか劇的であり、それを受け止められるオーケストラならば、予想し得ない強烈な音楽体験を期待できるのだろう。 この日、マエストロが構築したブラームスは両曲ともに逞しく、その向きのフォルムとしては好みだった。抑制するタクトはほとんど見られず、N響はどんどん燃焼し鳴りに鳴った。その大きな一翼を担っていたのが、客演コンマスのポストに就いたキュッヒルだった。とにかく音が大きい。ヴィブラートも大きい。彼が外すとヴァイオリンパート全体が外して聴こえる(笑)。ただ、その演奏姿勢は鬼気迫る程の真剣さで、突出せずにオーケストラと馴染んだ時には、ウィーン・フィルとも違うがどこぞの欧州の名門か?と耳を疑う程の妙味を湛えた音色が聴こえてくる瞬間もあった。その意味で、良くも悪くもキュッヒル劇場といったところ。 もちろん、いつものN響の皆さんの中にも、キュッヒルに呼応してかいつも以上に素晴らしい演奏を聴かせてくださる方がいた。ホルン福川さんが奏でるブラ4第2楽章とブラ1第4楽章のソロは強く印象に残ったし、川本さん率いるVaパートは低弦を凌駕するほど全身全霊で鳴らし、たくましく、美しかった。1点注文するならば、対向配置は好みではあるものの、この日の演奏では下手の情報量に比して上手が相対的に薄くなってしまった(前述のヴィオラだけが気をはいていた)。せっかく対向したのだから、上手の方々にはそれ相応の存在感を示して欲しかったが、このアンシンメトリーなLRバランスまでもマエストロは敢えて意図したのだろうか?ともかく、燃焼度が高く、欧州の響きも感じられ、深まる秋に嬉しいたいへん充実したブラームスだった。 ▲
by mamebito
| 2018-01-22 00:06
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