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カラヤンはどちらかというと苦手なアーティストなのですが、BPO監督就任直後まで(~1960年頃)と最晩年(1985年頃~)の録音には忘れがたい名演もあります。生誕100年のメモリアルを期にその時期の初出音源も複数リリースされましたので、既出とあわせていくつか取り上げます。
ヘルベルト・フォン・カラヤン +ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ♪モーツァルト/交響曲第39番 ♪ブラームス/交響曲第1番 (1988年5月5日、サントリーホール、東京) 図書館で予約して3ヵ月待ちの末、やっと聴くことができました。氏がアドヴァイスしたサントリーホールでの最初で最後の来日ツアー最終日の貴重な記録です。 すでに多くのレビューがネット上に存在するディスクですが、概ねの好評には疑問を感じました。確かに、ブラ1の第1楽章などは気宇壮大な迫力に「おお!」と引き込まれますし、会場のただならぬ緊張感をとらえたNHKの録音もたいへん優秀です。 しかし、聴き進めるほどにカラヤン晩年のライヴに目立つ“制御不能”が影を落とし始めます。合わないザッツ、切り替わらないテンポ、雪だるま式なダイナミクス・レンジの拡張…その行間に至芸と目されるような美学や精神性や粋を見出すことはできませんでした。非凡なアーティストがいったん咀嚼した「杓子定規にはまらない音楽」には違いありませんが、それが芸の極みたるものなのか弛緩や惰性の結果なのかは、峻別しなければならないと思います。 たががはずれたBPOのスケール感は並大抵のものではなく、おそらく会場に居合わせたならば涙できたと思います。ただ、それは音楽への感動というよりも、あのカラヤンがここまで崩れてしまったことへの悲しさと、崩れてもなお楽壇の帝王であり続けようとする妄執に起因する無常感であるように感じました。 第2楽章のグズグズのテンポは弛緩以外の何ものでもないのでは。第4楽章も何か込めたい気持ちは伝わるけれど、もうカラヤン先生の神通力はとっくに霧散して、コーダ以降は想いの限り溜めに溜めて暴発気味。涙涙の大団円といったところで、“想い”だけがグロテスクにデフォルメされた感があります。 このディスク、繰り返し聴いていると、帝王の仮面の下のカラヤンという人は見栄っ張りで情緒的、本当は江戸人情や浪花節にも通じる庶民的なパーソナリティをお持ちだったのではないかと想像してしまいます。日本惜別ライヴ、帝王カラヤンのいわば「人間宣言」だったのかなと思うと、むしろ今までより氏の音楽に歩み寄れそうに思いました。
by mamebito
| 2008-10-26 01:35
| 録音
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