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Pf.中川賢一、小坂圭太 Vn.瀧村依里、對馬哲男 Vc.遠藤真理、髙木慶太 Fl.倉田優、片爪大輔 Cl.金子平、芳賀史徳 Perc.西久保友広、野本洋介 音響.有馬純寿 ♪ライヒ/クラッピング・ミュージック、ダブル・セクステット ♪メシアン/世の終わりのための四重奏曲 天才少女や天才少年も、大人になって職業や家庭を持つと、社会人の仮面をかぶって舞台やメディアに現れる。でも、ひとたびスイッチが入ると、彼らの演奏には理屈を超えた魔力が蘇るように思う。この日のメシアンを奏でた中川さん、金子さん、瀧村さん、遠藤さんは、それぞれ十代で注目を集め実績を重ねた天才少女・少年だった。今や各々のキャラをまとった彼らが、備える才気をオープンにしてデモーニッシュな楽曲に切り込んだ結果、コンサート前後で街の景色が異なって見えるような演奏に結び付いた。 前半はライヒの2曲。『クラッピング・ミュージック』は、数十年前に岩城宏之さん+OEK公演のエアチェックで出会い、気に入って聴いた懐かしい曲。西久保さんと野本さん、よくあんなに大きな音で手を叩けるなと感心している内に、ミニマルの浮遊感に吸い込まれる。遺伝子変異のように突如現れる変化が、リズムの組み合わせを変え色合いを違えていく。ライヒは、説明的すぎる『WTC9/11』でプチ幻滅したのだけれど、その直前に書かれた『ダブル・セクステット』はミニマル全開の秀作。もう少しドライでクリスプなサウンドの方が好みだったが、それはホールとPAの相性にも思われた。 メシアンは、先述のとおり四者の才気と作品への献身が融合。独特の異界感は色濃くなかったが、エグゾーストノートで奏でる熱演は現実的すぎてちょっと違うし(LFJ Tokyo 2013のように)、達観しすぎて攻めなくても物足りない。この日の演奏は、冷静を保つ内側からソフィスティケートされた情念が滲み出し、理想に近い塩梅だった。また、久しぶりに遠藤さんのソロに接して、天真爛漫な若手時代のような、どこか違うところを見て弾いている雰囲気を懐かしく聴いた。この人は天才系チェリストに違いないと思った。技術の美しさに加えパワーが増したのは、読響首席のポストに身を投じたことと関係しているのだろうか。 終演後、晩秋の大手町は月曜日で人影もまばら。空調や車の機械音が静かにこだまするビル街は多くが明りを落とし、脳内には遠藤さんの意地と天才を感じた『イエスの永遠性への賛歌』が繰り返し流れた。そして執筆時点の現在、この曲が書かれた収容所の屍の山と、この演奏会の直後から感染を拡大するCOVID-19による犠牲者たちの大きな墓穴が、重なって脳裏に浮かぶのだった。
by mamebito
| 2020-04-12 00:20
| コンサートレビュー
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