2018年9月29日(土)14:00~ サントリーホール
サー・サイモン・ラトル+ロンドン交響楽団
Vn.ジャニーヌ・ヤンセン
♪ラヴェル/バレエ音楽「マ・メール・ロア」
♪シマノフスキ/ヴァイオリン協奏曲第1番
♪ラヴェル/ハバネラ形式の小品(アンコール)
♪シベリウス/交響曲第5番
♪ドヴォルザーク/スラヴ舞曲第2集第7番(アンコール)2009年1月31日、下の投稿をしている。
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【CD】ラトル+バーミンガム市響のシベリウス5番 (前略)そうしたシベ5の感傷的な側面まで余すところなく描いたのがラトル+バーミンガム市響のディスク。(中略)80年代前半の演奏はオケの音色・機能が発展途上で録音も浅いのですが、87年の第5番はコンビが黄金期に差し掛かった頃で録音も見違えるように豊か。
20年前(注:投稿した2009年当時)のラトルは、生き生きとしているだけでなく感性がとても繊細。所々で効かせるスコアにないアクセントやクレシェンド&デクレシェンドをあげつらうなかれ、それらは自然な音楽の流れの中で作品の想いを補正する範囲で品よくコントロールされています。もちろん、シベリウスらしい森の奥のような深遠な響にも不足はありません。
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シベリウスの5番は最も好きな交響曲の1つで、特にラトル+バーミンガムの録音が青春の象徴的音源。そのラトルのシベ5を、Liveで聴ける日が遂にやってきた。できればバーミンガムと聴きたかったけれど、BPOとの演奏は質感が違い過ぎるところ、LSOとのコンビによる好機を聴き逃すわけにはいかない。
この日は、前日のミラクルなマラ9に比べると、突き詰めた演奏には至らなかった。特に、みなとみらい公演でほとんど唯一瑕疵があったホルンが、この日は一段と精彩を欠いた(シベ5終楽章のオクターブは、もっと余裕で雄々と吹いてほしい…etc)。それでも、ルバートやフレーズの頂点の持って行き方は、聴き馴染んだラトルのそれであり、しかもバーミンガムやBPOとの録音のような「やってます」感、主張の強さがあまり目立たず、ナチュラルに聴こえたのがたいへん好ましかった。マエストロも、同じような席で20年前にエロイカを聴いた時やBPOとの映像で観る姿よりも肩の力が抜けて、良い意味でリラックスしてお気に入りのプログラムを楽しんでいるように見えた。
シベ5以上に素晴らしかったのが冒頭のマ・メール・ロア。組曲よりも圧倒的に全曲版が好みなので、選曲自体がうれしかったが、演奏もシベ5同様に過度な主張が抑えられ、オーケストラのエクセレンスに委ねることで、美しさに留まらない優しさや懐かしさが音楽の内奥から滲み出してくるようだった。ステータスとしては楽壇の最高峰に上り詰めたマエストロの、柔らかな心の内を垣間見たようで、フランス情緒には乏しかったかもしれないがたいへん心温まる思いがした。
とにかくプログラムが秀逸だった今回のラトル+LSOの来日公演、ツアー演目にシマノフスキを携えたくれたことに喝采を送りたい。シマノフスキも、ラトル+バーミンガムのBOXセットで開眼した作曲家の一人。ヤンセンの力強くしなやかなソロも魅力だったが、オーケストラの表現力に感服。繊細かつクリアでありながら、作品に備わる魔術的な雰囲気が満ちていた。このような優れた演奏によるシマノフスキの第1コンチェルトを、次に日本で聴ける機会はいつになるだろうか?しかも、ヤンセンがアンコールでパーカッションの方に向かうと、ピアノ椅子にラトルが腰かけてそのままラヴェルを奏で始めたのには心が躍った。P席のL側に座っていたお客さんはラッキー(笑)。手が届きそうな至近の背後から、世界のトップソリストの演奏を聴くシチュエーションはなかなかない。ただ、ラトルのピアノは、お上手だけれど、タッチからしてやはり世界一級のピアニストとは言えないなあと思ったが、それはそうか(笑)。
2日続けてラトル+LSOを観察して、楽団がマエストロといい距離感を築いているのではないかと仮説を持った。マエストロにガッチリ添うというよりも、ラトルの溢れるアイディアを楽団なりに解釈して音にするような、適度な客観性を感じた。でも寄るところはお互いにグッと寄って、音楽やカーテンコールを盛り上げる。いかにも英国のトップオーケストラらしいスマートさが好ましかった。
前日の公演も含めると、ラトルのタクトは過去に4回聴いている。94年に芸劇、98年にサントリーでバーミンガムとの来日を、08年にベルリン芸術週間でBPOとのトゥランガリラを。つまり、音楽鑑賞にハマった初期の頃から、ラトルは自分にとってスターマエストロの一人、特に既成の解釈に風穴を開けて「新しいボクらの音楽」へと導いてくれるリーダーだった。前述のとおり、シベ5に開眼したのもシマノフスキの魅力を知ったのも、バーミンガムとの名盤を聴いてのこと。そういった思い入れを差し引いても、今回のLSOとの来日は極めて充実したものだったのではないだろうか。