2018年2月7日(水)19:00~ サルビア音楽ホール
カルテット・アマービレ
Vn.藤原悠那、北田千尋 Va.中恵菜 Vc.笹沼樹
Va.磯村和英 Vc.キリル・ズロトニコフ
♪シューベルト/弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」、弦楽五重奏曲
♪ブラームス/弦楽六重奏曲第1番、同~第3楽章(アンコール)
気になっていた四重奏団、カルテット・アマービレを初めて拝聴した。
高い音圧から繊細さまで多彩な技術を持ち、表現は起伏に富み、音色は美しい。優秀なマルチ四重奏団だと思った。皆さん若くて初々しいのに、演奏に入った時の所作が落ち着いていて、今まで聴いてきた若い世界第一線のカルテットに通じるものを感じた。つまり、好みの四重奏団だった。しかも、まだこれから伸びて変化していきそうな可能性が溢れていて、舞台上がキラキラ輝いて見えた。
どの作品も見事な演奏だったが、アマービレの四人だけで奏でた四重奏断章が最も印象に残った。冒頭から張りのある美しい演奏が鮮烈だったからかもしれないが、続く五重奏・六重奏よりも、四人の時の方がバランスやコミュニケーションがスムーズで美しく、完成されていたからではないかと思う。こなれるまで僅かな硬さは感じられたものの、前述のとおり伸びやかでアグレッシヴで、でも攻撃的ではなく丁寧に音を紡いでいく、その感覚や神経の使い方が快かった。
ゲストを迎えた続くプログラムは、良くも悪くもエルサレムQのチェリスト、ズロトニコフさんに引っ張られたように感じられた。彼のチェロはとにかく音が大きく、表現はダイナミックだ。そのスタイルはアマービレの方向性に近いとは思うが、あまりにもパワフル路線に傾きすぎてしまった。冒頭の四重奏断章で感じられた四人のバランスの美しさや大事な一音に対する注意深さが、若干損なわれてしまったように感じた。
それは、五重奏の前半楽章に散見された。例えば第2楽章、静かで長大なカンタービレが続く中で、アマービレの四人が寄り添うポイントでズロトニコフさんは一人別の方向を見ながらピツィカートをはじく。その一音は、pizz単体としては豊かで張りがあり美しいが、他の四人が寄り添った音程よりも若干低かった、というように。それでも、この作品の躁の部分や、デモーニッシュに掘り下げていくような個所では、ズロトニコフさんの技術とパワーがスケールの大きい演奏へと導いていった。そのパワーのためか、第3楽章の終盤でC線が駒とアジャスターから外れてしまい演奏不可能に。ペグから枕の間でC線が伸びてしまい、外れてしまったように見えた。彼が袖に下がった後、他の四人も笑顔で顔を見合わせていったん退場。再開は第3楽章の後半から、もう一度拝聴できたのはある意味ラッキーだった。
ブラームスでは、若い伸びやかなカルテットとパワフルなチェリストに負けず劣らず、磯村さんが生き生きと演奏していらしたのが印象深かった。あんなに赤っぽい楽器だったかな?としばらく記憶を辿っている内に、東京クァルテット解散後、磯村さんを拝聴するのは初めてだったと気が付いた。一段といぶし銀の雰囲気をまとわれてはいらしたが、例えば第2楽章の第一Vaのメロディや、終楽章終結に向かう嚆矢となる第一Vaの刻みなど、作品の要所を確実にご自身に引き寄せ格調高く奏でられるところに、変わらぬ至芸を聴いた。また、アマービレの皆さんどなたも個々に素晴らしいのだけれど、第二Vnの北田さんが第一Vcのズロトニコフさんを相手に、深い褐色の音色でブラームスの世界を作っていくところなど、成熟した音楽性と年齢の積み重ねが必ずしも相関するわけではないことを証明する瞬間だった。
ウェールズと並び、優先度を挙げて聴いていきたい日本の若いカルテットをもう一つ見つけた。
#サルビア音楽ホールについての余談。ここで演奏を聴いたのは初めてだけれど、オープン前に内覧したことがある。数十人が乗れる箱を探していたので、舞台の上で「これじゃ入りきらないですね」と声を発してみてハッとした。音を発した瞬間に音楽的に鳴る。空間が小さいのに残響があり、それが過剰ではない。すると係の方が「ここは音がいいんです。まだ秘密ですがカルテットのシリーズをやる計画もあるんですよ。」と話してくれた。当時は、有名カルテットのツアーに時々地方ホール公演が入る、その程度だろうと高をくくっていたのだけれど、お見逸れしました。今や様々な四重奏団がツアーの中に組み込む、重要な演奏会場の一つに。ならば、舞台天井に収納されている大型スクリーンや舞台上のコンセントといった設備を排して、室内楽仕様に徹したらよかったのにと思うが、そうも行かないのが区民会館の難しいところなのかもしれない。