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2017年11月8日(水)19:00~ サントリーホール 折しも米国大統領が来日中で、サントリーホールの裏手にある米国大使館周辺は厳戒態勢の中、米国トップ5と呼ばれる一角、ボストン響の久しぶりの来日公演を聴いた。
米国の名門楽団といえば、とにかく巧くて音が大きい、という先入観を持っている。ボストン響も、個々のプレイヤーは技術闊達でよく鳴るのだけれど、オーケストラとしては少し異なる性格を備えていると感じた。私の数少ないアメオケ鑑賞経験からすると、例えばフィラ管ほど技術的なキレやゴージャスな大音量は見受けられない。その代わり、というとトレードオフのようで不適切だが、やや落ち着いた音色で、行間から香気がうっすらと漂うよう上品さを感じた。 その楽団に対して、熊のようにたくましい躯体を持つマエストロ・ネルソンスは、全身を使って時に覆いかぶさるようにして、ダイナミックにオーケストラを導いていく。視覚的には、指揮者の動きと出てくる音に熱量の差異を感じなくもないが、マエストロに呼応した結果が、若干ノーブルな余韻を残したボストン響なりの燃焼だったのだろうと捉えた。それは、オーケストラの個性として、個人的にはとても好ましかった。 そのような特徴を持つコンビによるラフ2は、突き抜けた特徴や刺激を備えてはいないものの、多くの人にとって理想に近い演奏だったと言えるのではないだろうか。ネルソンスがアグレッシブなテンポで大きな表現を求めると、冷静な楽員の皆さんはマエストロの主張を好意的に、でも美観を逸しない範囲で受け止め、音楽に反映していった。第二楽章の中間などかなりエキサイティングなのに、汗臭さを全く感じない。第三楽章は十分エモーショナルなのに、俗っぽさがなくて上澄みを掬うようなタッチが快い。マエストロとオーケストラの個性が遺憾なく発揮されていたと思うが、双方が混ざりあって別の何かを産むというよりは、それぞれの良さがそのまま聴こえてくるような演奏だった。 首席奏者のお二人がソロを奏でたモーツァルトは、あまり熱心に聴いている曲ではなく、今回も未知の魅力に開眼するような鑑賞体験にはならなかった。ただ、スタイルを問わず彼らの演奏は温かく、銀座のブランド路面店が漂わせるような高級感を常に欠くことがなかった。アメリカの知識階層の裕福な家族(子どもは複数人いる)が、とても大きなソファに集まって、ダディとマムを中心に清潔な笑顔を保ったまま正面を向いている…ような絵面が終止頭をよぎったのは、何かのステレオタイプに洗脳されているのだろうか?
by mamebito
| 2018-01-24 22:17
| コンサートレビュー
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