2016年10月15日(土)19:00~ サントリーホール
ジョナサン・ノット+東京都交響楽団
Vn.イザベル・ファウスト
♪ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲
♪ショスタコーヴィチ/交響曲第10番
自分にとって2016年のベストコンサートだった。きちんと言葉に残したい、という想いが遅筆に輪をかけた。それでも、半年以上経った今でもこのベートーヴェンの感触と驚きは活き活きと記憶に残っている。
コントラバス5本を最後列に並べ、ヴァイオリンは対向配置、一部の管楽器とティンパニはバロック仕様。前任スダーン監督時代の古典ものシフトを想起させる。バンベルク響で聴いたノットさんのベートーヴェンやシューベルトはこういうスタイルではなかったので、どういったイニシアチブによる編成だったのだろうか。ともかく、中編成とは思えない豊かな弦の響きをベースに、円やかで健やかに歌う木管がどこまでも伸びていく・・・欧州の好調な名門オーケストラのようなエクセレンスをこの日の東響はまとっていた。極端に聴こえるかもしれないけれど、昔メータ+イスラエル・フィルでシューベルトの3番をサントリーHのサイドで聴いた時、弦があまりにぶんぶん鳴ることに驚嘆した記憶がある。この日の東響の弦には、同じようにしなやかで豊かなサウンドを感じたのだった。
ファウストのヴァイオリンも絶品。バロック楽器ではないが当時の奏法を取り入れたもので、どちらかというと華奢で線が細い。それが、よく鳴るオーケストラを背にしてもまったく引けをとらないどころか、終始埋もれることなくtuttiと対等に奏で合う、存在を主張しないのに存在を強く感じずにはいられないヴァイオリン演奏だった。はっきり言えば世界的名声は圧倒的にソリストが高いわけだけれど、「あなた達の演奏旅行に箔をつけてあげるわよ」といったお付き合いの様相は一切なく、オーケストラの好演に呼応しさらにお互いを高めあうような、理想的な演奏関係が生まれていたと感じた。
加えてカデンツァが痛快だった。ティンパニとのデュオでダンサブル。決して軽率ではなく、作曲当時流行していた2拍子系のコントルダンスが想起された。演奏スタイルという方法(How)以前に、ベートーヴェンは克己と崇高の存在ではなく、私たちの延長線上にいる親しみやすい存在であって、むしろこうした躍動と清新な息吹を宿した演奏にこそ真の姿が現れるのではないかと思った。閃きと輝きと滋養が溢れ出る演奏であり、休憩中には知人と「凄い」「素晴らしい」という感嘆句しか交わしようがない、音楽の幸せに満ち満ちた現実離れしたベートーヴェンだった。
後半のショスタコーヴィチは、前半に比べると現実世界に戻ってきたような感覚に。ノットさんは鬼の形相で一生懸命、東響さんもそれに全身全霊で応え、極めて真面目なショスタコーヴィチが繰り広げられた。その気概を音にしていく集中度は驚異的ですらあったが、失礼を承知で言うなれば、ここまで真面目に突き詰められるとちょっと引いてしまうというか。前半が余裕と開放感に溢れ(そのためか第3楽章の平易な箇所で木管が落ちる瑕はあったりしたが)奇跡的な演奏だったから一段とそう感じたのかもしれない。もちろん、滅多に聴けないであろう完成度の高いタコ10に違いなかったが、これを欧州に持って行った時に「生真面目な日本人」「間違いのない演奏」といったレッテルで片付けられてしまわないかという若干の危惧を覚えた。このコンビの実力は、そんな欧州ご意見番の先入観で片付けられるものではないと思うので。