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2015年9月6日(日)11:00~
ミューザ川崎シンフォニーホール ジョナサン・ノット+東京交響楽団 Vn.水谷晃 Va.青木篤子 ♪モーツァルト/協奏交響曲 K.364、交響曲第25番 東響の古典ものというとスダーンの印象が強いのだけれど、今日の演奏を聴いて、すっかりノットっぽいモーツァルトを奏でるようになったんだなあと思った。前シェフ時代とは異なるアプローチの、しかしながら当時と同じく、ウィークエンドの朝からとびきりの幸福感を約束してくれるモーツァルトだった。 ノットとバンベルク響によるシューベルトの録音をよく聴いた。肉感豊かで、アレグロやメヌエットのリズムは弾性に富む。この日のモーツァルトも同様だった。特にト短調のK.183で、豊かな響きと筋肉質な運動性が活きた。リピートは基本的に楽譜どおり実施。ともすると有名な第1楽章第1主題の後、演奏者も鑑賞者も竜頭蛇尾に陥りかねないこの作品で、音楽が進むほどに作曲者のデモーニッシュな側面へ深く引き込まれていった。 第1楽章は運動性が小気味よかったことと、mol⇔durの場面転換にこのコンビの個性を垣間見た。ノット+東響って、基本的にポジティブな感性が強いんじゃないかな。短調は頑張って悲劇を演じているけれど、長調に転じた瞬間にふわりと力が抜けて、舞台上の照明が明るくなるような印象があった。根暗が頑張って楽観主義を演じるのと逆のパターン。だからデモーニッシュな音楽にも、健康的な肉体美みたいなものが常に顕示されているように感じられた。その印象には、Ob.荒木さんの、よくコントロールされ瑞々しいオーボエソロの美しさも影響していたかもしれない。 第2楽章は、やや前向きのテンポがいい。オケの響きは一段と柔らかくふんわりするが、K.364の緩徐楽章の時よりも中身が詰まり締まって聴こえたのは、小編成の1stVnが水谷さんと田尻さんのツートップを擁して充実していたおかげだろうか。第3楽章は哀しいカンタービレに溺れず健康的。リズムにスイングが宿り、Vc.西谷さんとFg.福士さん率いる低音の弾性が快い。終楽章は自然に凹凸をつけながら、2ndVnの強力な切り込みや低弦チームの悪魔的な音階が美しく粒立つなど、極めて見通し良好。都響の有馬さんらを客演に迎えた4本のホルンも冴えた。ノットさんが忙しなく繰出すタクトの全てが音になっていたわけではなさそうだけれど、弛緩する暇のない、かといって硬い音色や不自然な流れが生じることの無い、見事なK.183だった。 前半のK.364は、K.183よりもVa・Vcが1プルト、Cbが1名多く、Vc:6+Cb:4で低音が豊か。時々2人のソロが埋もれてしまう所もあったけれど、中低音に機動性が求められるK.183よりも、豊かなピラミッドバランスが作品に適していると判断したのではないだろうか。ふくよかで落ち着いたオーケストラの下地の上に、ちょっと細めのVnとVaが錦糸で装飾を施していく。水谷さんは高音が美しくキラキラして、言うなればラメのよう。青木さんは、普段からアグレッシヴなヴィオリストの印象が強く、特に第1楽章では少々キツく聴こえたが、終盤のカデンツァ辺りから水谷さんとのユニゾンも絡みだした。充実したK.364を堪能した。 2年ちょっと前に第14回を聴いたモーツァルト・マチネ。その時書いた感想(#)は杞憂に終わり、スダーン時代と甲乙付け難い、ノットさんらしいモーツァルトとの関係が続いて行くと思われた。ロマン派や大規模作品では、グッと来る演奏に出会うとは限らない東響。でもこのシリーズは、他の方の評判を聞いても、名演奏が続出している様子。そして聴衆を絞ったミューザの豊かで明瞭な音響も魅力だ。モーツァルトだけでなく様々な古典ものを、このシリーズで聴いて行きたいと思った。 #2013年7月13日第14回モーツァルト・マチネの感想より 「スダーンの監督退任まであとわずか、モーツァルトではなくてもよいので、ノット体制になっても良質な午前マチネを続けてほしいと思った。」
by mamebito
| 2015-09-06 22:57
| コンサートレビュー
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