タグ
レビュー(602)
オーケストラ(412) LFJ(76) ピアノ(62) 室内楽(58) アマチュア(52) チェロ(50) 都響(44) 弦楽四重奏(44) N響(36) CD(35) 東響(28) 新日フィル(26) 交響曲(23) ヴァイオリン(19) 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
外部リンク
記事ランキング
検索
最新の記事
ブログジャンル
|
2014年7月19日(土)15:00~ 東京芸術劇場
レナード・スラトキン+フランス国立リヨン管弦楽団 Pf.小菅優 Org.石丸由佳 ♪ラヴェル/組曲「マ・メール・ロア」、ピアノ協奏曲 ♪ショパン/練習曲op.25-1(アンコール) ♪サン=サーンス/交響曲第3番「オルガン付」 ♪フォーレ/パヴァーヌ(アンコール) ♪オッフェンバック/喜歌劇「天国と地獄」~カンカン(アンコール) 改装後の芸劇で始まった海外オーケストラシリーズ、名曲中心ながらリーズナブルな好企画のようだ。ただ今回のリヨン管は、クリヴィヌ時代の名演奏の記憶(火の鳥、ボレロetc)があり期待していたものの、少々印象の薄いコンサートになってしまった。 最大の要因は演奏そのものが薄味だったこと。20年程前まで、米国ものやロシアものに限らずエルガーやリヒャルトでも、明晰かつ彫の深い録音を残していたスラトキン。最近のN響への客演でも、20世紀音楽を中心にエッジの効いた演奏を聴かせていた気がするのだけれど、今回のラヴェルとサン=サーンスは少々禁欲的過ぎるように聴こえた。また、ほぼ満員の芸劇のアコースティックにアンサンブルが慣れていない箇所が見受けられて、所々で守りに入ったようにも感じられた。 楽団は優秀で、明るい音色が魅力的だった。そのおかげか、マメールロアは美しくて否はなかったのだけれど、危険なほどの繊細さ、ハッとするような憧憬、噛めば噛むほど滲み出るエスプリ・・・そういった踏み込んだ表現は聴かれなかった。オルガン付も、様式感がクッキリと浮き出て美しく統制された演奏ではあったけれど、好みとしてはもう少しドラマティックに迫ってきてくれると嬉しかった。編成も座席も音量的に不足する条件ではなかったのに、例えるならば精魂込めて作り上げた名彫刻を遠巻きに見ているような感じがした。音楽はもっと体感的なアートではなかったか、と。 その点、アンコールは一気に舞台と客席の距離が近付いた。パヴァーヌの後ほぼアタッカで放り込まれたカンカン、その演奏は賑々しくも都会的で、オッフェンバックの才気と皮肉が滲んで本質を突いていた。するとスラトキンは、客席に向けて大仰に手拍子を要求、指揮台を下りて歩き回りながら小芝居を交え客席を沸かせた。ほとんどのお客さんが楽しげに手拍子し喝采を送っていたけれど、こういうマスゲーム的な一体感はあまり好みではなく・・・。あとパヴァーヌの高速テンポ設定自体は、自作自演録音も同様なので良いとしても、あまりにも軽薄に奏でられて、まるでカンカンを引き立たせる前座のような扱いに聴こえたのは気に入らなかった。 思い返すと、スラトキンがワシントン・ナショナル響を率いて来日した時も、一番良かったのは1曲目の「キャンディード」で、諏訪内さんのチャイコンに幻想sym・・・と演奏がどんどん退屈になって行ったっけ。今回と合わせ2回だけでは断定できないけれど、もしかしたらマエストロ・スラトキンのLiveと私は相性が悪いのかもしれない。 ネガティブなコメントは本意ではないのだけれど、芸劇のオルガンについても一言。この箱で何度かオルガン付を聴いてきたが、いつもオケとのバランスが悪いと感じる。パイプオルガンの音量が大きすぎると思うし、もっとキレのある発音が欲しい部分が多数。奏者の方は異なるので、おそらく楽器か箱の問題だと思うのだけれど。 さて、この日一番グッときたのは小菅さんのラヴェル。聴くたびに思うけれど、ここ数年の彼女のパフォーマンスの安定感には感嘆するしかない。コロコロと楽しげで精彩に富む両端楽章に心が躍ったし、第2楽章はいいテンポでさり気なく感傷と憧憬を味わわせてくれた。楽員さんの大半も、彼女といい音楽を作ろうと前のめりで演奏に参画しているように見えたし、出てくる音も鮮やかに際立っていたように思った。
by mamebito
| 2014-08-16 00:27
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||