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2013年11月6日(水)19:00~
東京オペラシティコンサートホール Pf.ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ ♪J.S.バッハ/パルティータ第2番 ♪ショパン/ピアノ・ソナタ第3番 ♪リスト/巡礼の年第1年「スイス」~郷愁 ♪ラヴェル/高雅で感傷的なワルツ、クープランの墓 ♪プーランク/トッカータ(アンコール) ♪ショパン/エチュードop.25-6、ノクターンop.62-2(アンコール) LFJtokyoの初来日公演をみつを美術館で聴いて以来、掴まれ続けているヌーブルジェ。今年もGWの有楽町で聴いたラヴェルが忘れられず、フル・リサイタルを万障繰り合わせて拝聴した。 パルティータは、なんとなく惑いがあり、様子を見ながら演奏しているように聴こえた。彼の演奏は、表現の硬軟軽重を問わず、迷いが無いのが魅力の1つだと思っている。ところがこの日のバッハは、思わぬところでふっと抜いたり退いたりする。または、ロマンティックだったり古典的だったり、パーツ1つ1つは最適化されているのだけれど、楽章や全体を通した時に一貫して聴こえない感じがした、と言うべきか。首尾一貫した解釈や珍しい表現が最善とは全く思わないけれど、出来なくてなのか、バッハに対する彼なりの敬虔なアプローチなのか、珍しく踏み込み切れていない印象を覚えた。 続くショパンのソナタは一変、まるでプロコフィエフのように硬質で、透徹したピアノを聴かせてくれた。ショパンのピアノ・ソロ作品には、悪い意味でのサロン的な雰囲気―いわば“お嬢様趣味”―を感じて、どうも好きになれないのが正直なところ。この日のヌーブルジェの演奏は、サロン的な香水臭さが一切なく、シューベルトやシューマンのように深刻。聴いていて強く揺さぶられた。しかも、超絶技巧の装飾(音符)をいともさりげなく施すので、フォルムがとても上品だ。初めてショパンのソナタに感動した演奏だった。 休憩を挟んだリストも、叙情の表面をなぞることがなく、タッチを深く慎重に落とし込んでいくような演奏。私の体験の範囲では、ヘルシンキ郊外に延々と続く、ピクリとも動かない森を“しん”と眺め続けた時の、悲しくない寂寥感がちょっぴり蘇るような気がした。 期待のラヴェルは、鮮やかで圧倒的。明らかにホールの空気が一変した。ワルツは、優雅なだけでなく強靭なタッチで切り進む。また妙な喩えをするようだけれど、採掘マシーンがまばゆい鉱石をどんどん掘り出していくような音場が、ホールいっぱいに広がった。クープランの墓は、LFJ2013のデッドな会議室で聴いた時とは印象が異なった。あの時はグイグイねじ込む丸く重いタッチに感じられたが、この日は硬く磨きぬかれたタッチがオペラシティの豊かな残響にスコーンッと伸び広がる様に感じられた。異なる印象に自分の耳への戸惑いを覚えながらも、ブーレーズがシカゴ響やクリーヴランド管を振ったような、楽譜の全てを顕にし統合した演奏に、GWと同様舌を巻いたのだった。 カーテンコールでは、相変わらずシャイで愛想が良いとは言えないものの、弾くと思わせてお辞儀し微笑を浮かべ、客席を引っ掛けるような茶目っ気を披露。ショパンの小品はあまりピンとこなかったが、快速で洒脱なプーランクが絶品!俄然、ヌーブルジェが弾くプーランク・プロを聴きたいという夢想に胸を膨らませながら、満ち足りた終演を迎えた。
by mamebito
| 2013-12-05 00:33
| コンサートレビュー
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