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2011年12月15日(木)19:00~ サントリーホール
シャルル・デュトワ+NHK交響楽団 Pf.ニコライ・ルガンスキー ♪ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容 ♪プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 ♪ラフマニノフ/13の前奏曲~第12曲(アンコール) ♪バルトーク/管弦楽のための協奏曲 どうしても聴きにいきたい曲目と演奏者の組合せというのは、1年のうちなかなかあるものではない。本公演はそのうちの1つ。 プロコのPfコン3番は高1の冬に呆れるほど聴き込んだ(当時はエアチェックしたキーシン+キタエンコ+モスクワpoのLive録音を)。ルガンスキーは最も好きなピアニストの1人、以前から氏によるプロコをライヴで聴きたかった。それを協奏曲が巧みでプロコと相性抜群のマエストロで聴けるとは。また、デュトワによるオケコンには思い出が。モントリオール響との1995年4月5日来日公演、珍しくドヴォルザーク+シューマンという前プロ(このシューマンSym4が教会的な響きによる敬虔な名演で…)の後、オケコンがあまりに鮮烈かつシリアスで胸に迫ったことが忘れられない。加えて、デュトワはあまりヒンデミットを振らなかったが、ぜひマエストロのタクトで捌いてほしいと思っていた。会場も、NHKホールではなくサントリー定期で好ましく。総じて、この日は私にとって1曲も気を抜けないプログラムになった。 プロコは期待通り、ルガンスキーが圧倒的。粒立ち鮮やかでたくましいタッチに高貴な余裕が宿るのは、類稀なフィジカルの為せる技か。長く大きな手指が縦横に鍵盤上を駆け巡る様は目にも鮮やか。第1楽章に頻出する跳躍、確実に当てるだけでも精一杯な演奏が少なくないが、ルガンスキーは和声のつながりを再現したり高音の跳躍にコケティッシュな表情まで具備したり、これほど音楽的に奏でた同曲のソロは初めて聴いたかもしれない。そして絶妙のテンポ感。第1楽章の駆け込みなど、デュトワの巧さと相俟って極めて爽快だ。テンポが移り変わる第2楽章は、そのキャラクターが明確に表出されて色彩的。終楽章は無為に走り抜けることなく、テンポのど真ん中を捉えてタッチの軽重で立体的な音像を再現していくよう。アルゲリッチやクライネフやトラーゼには聴くことができず、上述10代のキーシンには聴くことができた表現だ。あまりに見事で、ただただ聴き惚れるばかりだった。 オケコンは久々に(良い意味での)デュトワ節に彩られた。各パートのソロが鮮やかに浮き立ったり陰に回ったり、極めてスムーズに受け渡されていく様子はまさに協奏曲。そして混濁のない≒誤魔化しのない透徹した響きの美しさ。それは決して人工的であったり機械的なものではないし、押付けがましい“オケコンかくあるべし”とも一線を画する。例えば、悲歌のやり場のないシリアスな叙情や、フィナーレにおける屈することのない英雄的力強さといったものが、たいへんピュアに伝わってくるようだった。 ヒンデミットは案の定、エキゾチックな風合いや変質性よりも、色彩感と美しさを冴え冴えと表現した。好みを分かつかもしれないが、第2曲の変奏の精緻な造りに感嘆したり、第3曲のマイナーコードがたいそう美しかったりと、目から鱗が落ちたのは私だけだろうか。 そうした表現を為し得るのはオケに抜群の巧さがあってこそ。春祭やオケコンはデュトワ時代からの十八番とは言え、N響さんが本気になった時の到達レベルは当時をはるかにしのぐ。この日の表現の余裕とブリリアントな響きの贅は出色だった。普段なら落ち着きすぎに感じる協奏曲のバックも、プロコでは本来のエスプリの丁寧な表出を担保した。オケコンで管楽器が一部でとちった以外は、各パートほぼ完璧で粒の揃った見事な妙技を堪能した。それも、普段こじんまりまとまって面白みがない音楽とは異なるカタチで。 ところで…N響B定期の一部会員様には今回も興を殺がれたと言わざるを得ない。概ね高い席でご高齢に見える方々の、拍手をしないこと、カーテンコール中に退席する人の多いこと多いこと。後者は、アンコールをしない定期では他楽団でも見受けられるけれど、その人数はN響がダントツに多いと思う。もちろん、中には早く退席せねばならない方もいるだろう。でも、例えば先日の都響など、そのような方々には後ろ髪引かれるような“雰囲気”が漂っていたりするわけで…。言い出したらきりがないので控えるけれど、良い演奏家や楽団の成長には、聴衆の懐深さや柔軟性が欠かせないのではないだろうか。N響さんの演奏は時々、世界一級に巧いのにシラケて感じられることがあるわけだけれど、その原因を運営母体や楽団員さんだけに求めると本質を見誤るのではないか、と思っている。
by mamebito
| 2011-12-31 21:11
| コンサートレビュー
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Comments(2)
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by
TM
at 2012-01-01 06:08
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日本のオケの高評価を最近よく目にする気がします。塩分や脂肪分たっぷりの料理に慣れてしまった味覚のような私の耳に、どれだけその良さを拾いきれるかわかりませんが、次回帰国時はまた日本のオケを聴いてみたいと思います。
そしてフォーレQ! 聴いてみたくてスケジュールを見たら、米国ツアーはNYすっ飛ばし…orz そういえば最近、カルテット公演の大当たりに出会っていません。シーズン後半に期待です。 2012年もよろしくお願いしますね。
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by
mamebito at 2012-01-01 11:26
>TMさま
3.11震災直後にプレヴィンと渡米したN響、そちらで温かく迎えられたようですね。サイトウキネンは定評ありますが、他の日本のオケも評判を聞きますか?個人的には、贔屓目なしに、都響と水戸室内管は世界的に訴求し得ると思っています。あと大フィルの弦はけっこうファットなサウンドを持っていると思います。 フォーレQみたいにNYに赴かないことってあるんですね。。もちろんホールや日程の都合などあるのでしょうが。考えてみたら私も2011年はカルテットのヒットがありませんでした。が、2012年の聴き初めにアルカント・カルテット@トッパンがありますので、ちょっと楽しみです。カルテットにおけるケラスのナルシストぶり(笑)もじっくり観察してきます。 こちらこそいつもありがとうございます。次回帰国の際にはまたご連絡くださいね。本年もよろしくお願いします。
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