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2011年11月30日(水)19:00~ サントリーホール
シルヴァン・カンブルラン+読売日本交響楽団 ♪ベルリオーズ/序曲「リア王」 ♪チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」、交響曲第6番「悲愴」 カンブルラン+読響の絶好調コンビを聴くのは9/5ベートーヴェン以来。そして悲愴のライヴは、2009年6月のフェドセーエフ+モスクワ放送響以来、久しぶり。頻繁に演奏される名曲ではあるけれど、あまり気楽に聴きに行けない曲の1つだ。ハマる演奏だと深く心えぐられてしまうので元気な時に聴きたいし、そういう曲だからこそ好みと違う半端な演奏では鑑賞したくない、と思ってしまう。この日は、そんなわがままの間隙を縫って、絶妙の落とし所に導いてくれる素晴らしい演奏だった。 ロシア的と言われるようなソウルフルな逞しさとも、ドイツ的と言われるような重厚な力強さとも、フランス的と言われるような艶やかなエレガンスとも、アメリカ的と言われるような機能的な鮮やかさとも…いずれにも当てはまらず、あるいはいずれをも包含するようなアプローチに感じた。カンブルラン氏のテンポはチャイコフスキーにおいても前向き。その流れの中で十分にパッションを込めアゴーギグを施すので、音楽に緊張感がみなぎる。その表現は濃厚すぎたり繊細すぎたりすることがなく、どこかカラッとして後腐れないので、主張すべきことはハッキリ言い黙すべき時は余談を講じないような、極めて潔い印象を与えるのだった。 第1楽章には若干手探りの様子が見られたのもの、徐々に楽団にドライブがかかってくる。マエストロの音楽運びには恣意的なルバートが皆無と言ってよく、テンションが停滞せずどこか格調高い。第2楽章からは一段と表現の深みが増す。ワルツ風の5拍子から愉悦が捨象され、夢幻性やその先の無常感まで漂わせる。第3楽章の推進力には、身を削りながら突き進むような哀しさがあり、大音響の刺激を弄ぶ類の演奏とは一線を画する。アッと注意を引くような特徴が無くても、いつの間にかグッと音楽に惹き込まれている。ここではシンバルの残響コントロールに表現のこだわりを垣間見た。そして終楽章はほぼアタッカで。鳴りきった読響弦セクションのちょっと辛口なカンタービレが作品に似つかわしい。行き過ぎればシラケるし淡泊では物足りないこの楽章は、超一級名門楽団だからといって必ずしもいい表現を聴けるわけではない、と思っている。この日のカンブルラン+読響は、これを見事な知情バランスで描ききった。情に溺れず、情に溢れる。個人的には、悲愴Sym終楽章の理想に近いアプローチを聴けてすっかり感じ入った。 前半は、悲愴に比べるとまだウォーミングアップの様相。主に弦の鳴りが十分ではなかったし、悲愴で聴かれたようなテンションには至らなかった。それでも2曲とも持ち味を生かした好演。ロメジュリは“幻想”的なメルヘンを表出するよりは、引き締まった音造りで作品のシンフォニックな美しさ・面白さにフォーカスしたと言えようか。序奏部のVaソリが美しくとても惹かれた。リア王は作品の変質的な、それでいてサウンドとしては美しいキャラクターが鮮やかに描かれていて、演奏機会の少ない同曲の貴重な好演だったのではないだろうか。 終演後、この演奏会で定年退職を迎えられたパーカッションとコントラバスの各々お一人ずつに、花束とマエストロから直々のねぎらいが送られた。しっとりとした悲愴の後味と温かなフェアウェルが親和して、じんわり染み入るようなカーテンコールが心地よかった。
by mamebito
| 2011-12-01 06:49
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