タグ
レビュー(602)
オーケストラ(412) LFJ(76) ピアノ(62) 室内楽(58) アマチュア(52) チェロ(50) 都響(44) 弦楽四重奏(44) N響(36) CD(35) 東響(28) 新日フィル(26) 交響曲(23) ヴァイオリン(19) 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
外部リンク
記事ランキング
検索
最新の記事
ブログジャンル
|
♪ドヴォルザーク/交響曲第9番「新世界より」
第1楽章[9:19] 第2楽章[12:17] 第3楽章[8:17] 第4楽章[11:14] ヴァーツラフ・ノイマン +チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (録音:1972年2月2日~3月2日、芸術家の家、プラハ/SUPRAPHON) C/W ♪スラヴ舞曲集~第1番、第8番、第10番、第16番 ズデニェク・コシュラー+チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 (録音:1979年3月12日~14日、芸術家の家、プラハ) クラシック音楽にハマるきっかけとなったアルバム。小学校の鼓笛隊で第4楽章の短縮版(リコーダーやピアニカやアコーディオンに編曲された…恐ろしや)を演奏した後、中学校入学祝いに両親から与えられたCDだった。ピアニカで吹いた時は面白くも何ともなかったが、オーケストラで聴くと何だかカッコイイ!と思ったらしい。その後1.5カ月ぐらい、帰宅したら毎日ほぼエンドレスで、レコードやテープだったら擦り切れるほど流し続け悦に入っていた。 よくも飽きずに毎日同じ曲を聴き続けたものだが、当時は学校の友達がまだ知らない金脈を掘り当てたような気分だったし、聴くたびに耳に飛び込んでくるカッコイイ発見や非日常的な琴線の振幅が嬉しくて仕方なかった。また、この1.5カ月のおかげで私の中にオーケストラ・サウンドやドヴォルザークの語法の受容体が形成されたようで、その後ドヴォ全管弦楽作品聴き倒し→小澤+サイトウ・キネンのブラSym1@ロイヤル・アルバート・ホールLive(NHK)を経て、一気に音楽鑑賞の森へと迷い込んでいくことになった…。 ******************************** さてこのアルバム、典型的なクラシック音楽入門盤と目される節もあるけれど、聴き直すと改めて「新世界より」の奥深い魅力が渦巻く名演奏であることに気が付く。思わず全力でタクトを振るいたくなるような、月並みな言葉だが魂が刻印された録音だと思う。 1972年、堅牢な東欧圏の合奏がまだまだ健在。スタッカートや16部音符の切れ味(特に管楽器のツバキッシモ)、スフォルツァンドの体重の乗り方、中低弦のたくましさ、それらが規律正しく統率された一体感…今や生では滅多にお目にかかれない絶滅危惧種のオーケストラ美学が全体を貫く。 かといってアグレッシブなばかりではない。Vnの一糸乱れぬ大人びたカンタービレや、ヴィブラートで情感たっぷりのTp・Hr・Cl・Fl等、あらゆる音に一本筋の通った色濃い味わいがある。冒頭から、中低弦合奏の冷たく静かな森の序奏が空気を一変させる。4小節目、角笛のHrは柔らかくヴィブラートの美しさに脱帽。10小節目をはじめ、張りのあるTimpの音色もたまらない、…といった具合。 さらに特筆すべきはテンポ感。これを聴いて育ったから思うのかもしれないが、かくも作品が生き生きと鳴る速度設定が他に在り得るだろうか。第1楽章Adagioの後Allegroのインテンポは、ffの推進力と第二主題の哀感を余すところなく見事に両立する。第1楽章反復なしで12:45かかるジュリーニ+RCOの録音など、気宇壮大で凄みはあるのだけれど、スコアの本質はノイマンの本盤が再現していると思わせる絶対的な説得力がある。 第2楽章は淡白でもなければ情にも溺れず。アングレを支える弦合奏の全音符や二部音符がなんと表情を湛えていることだろう。第二主題の裏でうごめくpppの16部音符分散和音も、心の機微そのものといった感興が満ちている。 第3楽章、ダウスゴー+SCOのように軽やかにすっ飛ばすのも好きだが、本盤の遅すぎず格調を保った張りのある響きは他ではなかなか耳に出来ない。中間部の味わい深い民謡に酔い、冒頭とコーダの緊張感にしびれる。コーダ低弦の底知れぬ蠢きもたまらない。 第4楽章は、生半可な演奏で聴くと、鈍臭くてちょっぴり恥ずかしいメロディやリズムに気付いてしまうことになる。ストーリーがあるようで無いようなこの楽章を、ノイマン+CPOはまさに全身全霊で奏であげる。練習番号9の前、当時画期的だった African American な裏打ちがこれほどダサくない演奏は稀。フィナーレ、壮麗なtuttiの後にインテンポで現れる弦刻み群が、只ならぬ大地の目覚めのよう。その生命感は、20年後にパリでセンセーションを巻き起こす『春の祭典』~“春のきざし”への伏線にすら感じられる。 ******************************** 録音の古さは否めないが、“何か”が“ある”演奏には間違いなく、個人的郷愁を超えた普遍性を見出すのだけれど、どうだろうか。そして、これも聴き込んだ季節(中1の春)の個人的想い出を別にしても、新たな息吹や希望を想起させる作品+演奏に感じられて、何か前向きな清々しさをもたらしてくれるように思うのだ…ちょっとセンチな感想だけれど。
by mamebito
| 2011-04-05 00:49
| コンサートレビュー
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||