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2010年12月18日(土)14:00~ 横浜みなとみらいホール
シャルル・デュトワ+NHK交響楽団 Pf.ピエール=ロラン・エマール ♪ラヴェル/ピアノ協奏曲 ♪ブーレーズ/12のノタシオンⅠ・Ⅳ・Ⅴ・Ⅱ(アンコール) ♪ショスタコーヴィチ/交響曲第8番 最近デュトワの発言を聴く機会はめっきり減ったけれど、モントリオールやN響の音楽監督時代にはしばしばロシア音楽への傾倒を口にしていたと記憶している。実際、実演・録音問わず素晴らしい演奏が多く、ショスタコも例外ではない。個人的には、特に来日でも好評だった92年の第9番は、この曲の最も気に入りの録音だったりする。 第9番とは性格が異なるこの日の第8番でもデュトワのタクトは冴えた。ロストロのように共感と魂で聴かせるショスタコではなく、見通しがよく自然な構築をもってスコアの純粋な魅力を炙り出すような演奏。緩徐部分の不協和音の透徹した響はデュトワならではの美点だと思った。また、洗練されているからといって音楽がひ弱なわけではないのもデュトワの真骨頂。両端楽章のピラミッドの積み上げは隙の無い構築、頂点の破壊音は美しくも非常に衝撃的。弦を中心に楽団もパワフルなサウンドで応えた。第3楽章は、流石のリズム感で滑稽さと神秘さを鮮やかに表出して聴かせた。 第8番には、凄惨な悲劇性やパロディといった多彩な要素が織り込まれていて、それらが最終楽章で“安息を得ない終結”に収束していく…というようなシリアスな物語なのだと思っている。到底“一色”では語りきれない音楽なのであって、それだけにデュトワのクリアで多彩なタクトはストーリーテラーとしてぴったり。しかも長大な作品を弛緩させないだけの厳しさやタフネスも、壇上の存在感から感じることができた。 モントリオールでラテンやフレンチの評価が先行したからか、未だそっち系の美点ばかり語られかねないマエストロ・デュトワ。でも本当は、愉快な音楽は愉快に、シリアスな音楽はシリアスに、作品の本質を鮮やかに描き出す天才なのだと私は思う。 エマールは、もちろんリサイタルのように独壇場のパフォーマンスは聴かれなかった。それでも第2楽章ソロ、無駄を削ぎ落とし絶妙なテンポとバランスで奏で、嫌味の無い叙情の粋に心揺さぶられた。ここではデュトワも楽団も安全運転。昔NHKホールで度々遭遇した彼らのつまらない演奏を髣髴とさせられたが、第2楽章の木管ソロは豊かで美しかった。アングレ池田さんやOb.茂木さんはもちろん、twitterでえすどぅあさんに教えて頂いたスポット・メンバー、新日フィル首席fl.荒川さんや東フィル首席fg.黒川さんも、明快なパフォーマンスで素晴らしかった。 そしてエマール本日のおまけはノタシオン!おそらくリサイタルではハジケたであろう才気の一端を楽しむことができた。
by mamebito
| 2010-12-23 22:41
| コンサートレビュー
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Comments(2)
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Sonnenfleck at 2010-12-25 21:45
「洗練されているからといって音楽がひ弱なわけではない」というご感想、もうまったくもって完璧に同意です。強靭な音を出す「勇気」がなければ、本気でショスタコーヴィチの音楽に向かい合っているとは言えませんものね。
6番とか9番なら、ああなるほどねデュトワだもんね…という受け取られ方をしたと思いますが、今回8番を取り上げてまことに素晴らしいパフォーマンスを達成する。しかもそれがほうぼうで絶賛されている。もうちょっとフランスもの以外のデュトワを聴く機会が多ければなあとしみじみ思うばかりです。
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mamebito at 2010-12-26 01:27
仰るとおり、マエストロ・デュトワは何も差し引きせず正面からショスタコに向き合っていると感じました。その真摯な姿にも胸を打たれます。
コメントありがとうございました。本当にもっと他の作品を聴きたいですね。早くロイヤル・フィルと来日して、ドカンとマーラーあたり聴かせてほしいです。 日本の楽団への客演でも、マーラーやリヒャルトや新ウィーン楽派やエルガーにシマノフスキにニールセンにマルティヌー…そしてできればNではなくてNJとかTSあたりを振ってもらって…というのは無理な望みでしょうけれど(苦笑)
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