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2009年2月8日(日)15:00~ NHKホール
ラドミル・エリシュカ+NHK交響楽団 ♪スメタナ/連作交響詩「わが祖国」(全曲) 近年評判のエリシュカ氏を聴いてきました。1995年にノイマンとコシュラーが相次いで他界したことで、チェコ(スロヴァキア)系の名匠の系譜はビエロフラーヴェクの双肩に託されたわけですが、氏のインターナショナルでスマートな音楽は彼の国の個性を味わうには物足りない面があったのは否めません。それゆえか、日本でのエリシュカ発掘(?)はファン待望の感があり、少なからず過大評価されているのでは?という懐疑も抱きつつホールに向かいました。 ちなみに『わが祖国』の愛聴盤はスメターチェク晩年の名演。背筋がピンッと伸びるような引き締まった造詣が支配する格調高い演奏。淀みなくもザッハリッヒな流れの内に、1980年のチェコ・フィルによる艶消しの音色美と逞しい民族色がしっかり練り込まれていて味わい深い。 そして今までライヴで聴いたわが祖国のベストは、2008年1月のイルジー・コウト+プラハ響@サントリー。 さてスメターチェクやコウトに比して、エリシュカのわが祖国の印象は大らかで低重心。1ヶ月前にジンマンのタクトの下で引き締まった見通しよい演奏をしていた楽団とは思えぬほどに、N響がボリュームと重みのある音像を提供していました。 また、氏の解釈は質実剛健。演出やスパイスはほとんど加えません。例えば『シャールカ』のクライマックスは煽ったり金管を押し出すこともなく自然体。『ターボル』の><(デクレシェンド&クレシェンド)はレンジが狭く息も短めであっさり。音楽全体の流れは淀みなく、『高い城』のテンポ設定など絶妙で大船に乗った心地だし、『ボヘミアの…』のギアチェンジは迷いがなく締めるところは締める。棒は上手とは言えませんが、合奏上の不具合(『ヴルタヴァ』結尾のTb・Tuや『ボヘミアの…』の弦合奏etc)は瞬時にキューを飛ばして補正するなど、御年80歳を迎えようとは思えない感度の高さと機敏な統率力も示しました。氏が壇上で敬愛される理由は、昔気質の音楽性だけでなくそうした実務能力にもあるのでしょう。 本日気に入ったのは『高い城』と『シャールカ』。概してホルンとクラリネットがスメタナに似つかわしい音色で肉薄していたと感じ、その2楽器が活躍する2曲に感心した次第。高い城、ハープ後のHrのくぐもった柔らかな音色はどこぞの東欧の楽団かと聴き紛う程。前述の絶妙なテンポ感の中で、オケ全体の緊張感が音楽に気品すら与えていたと思います。冒頭と結尾のハープもナイスパフォーマンス。クラリネットは木目調の音色がとても温か。シャールカのソロは、巧すぎて淡白になりかねないところをしっかり歌い込んでいて好感でした。 一方、休憩を挟んだ後半は若干緊張の弛緩を感じる場面も。ほのぼのした音楽作りが災いしたのでしょうか。特にプラニーク前半はもう少しキリリと締めてほしかった。1月に続いてOb.茂木氏のブリリアントなソロが救いでした。 会場はジンマンの時よりずっと熱狂的。やはりN響定期会員の好みはB.D.(Before Dutoit)への懐古が多くを占めるのでしょうか。エリシュカ氏のカーテンコールは団員一人ひとりに篤く(Va首席佐々木氏だけに握手を求め忘れたのが会場の失笑を買ったが)、明るく温かな振る舞いは遠目にはハンス・マルティン・シュナイトと瓜二つに見えました。終演後の聴衆コミュニケーションを大事にする札響がエリシュカ氏を切望(2度目の客演で首席客演指揮者のポスト)した理由の1つは、音楽面以外の人柄にもあるのかもしれない。 なおこの日の3階ライトのお仲間はちょっと残念。座席を忘れた(フリ?の)老人が演奏開始後もブツクサ言いながら徘徊するのをバイトの係員が静止できなかったり、子連れ4人家族が双眼鏡を交換しながらコソコソおしゃべり、子はむずがる(LFJみたい)。
by mamebito
| 2009-02-08 21:23
| コンサートレビュー
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