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♪シベリウス/交響曲第5番
サイモン・ラトル+バーミンガム市交響楽団 (録音:1987年/EMI) シベ5に出会ったのは大学卒業を控えた冬。氷河期と言われた時期に就職を決め、卒業することに躍起になり最後の試験を終えた後、強烈な空しさと焦りに襲われていました。大学で何をしたのか?もっと熟考することがあったはずでは?これが本当に求めていた生き方か?等々。学生生活への「憧憬」、様々な別れから来る「寂寥感」、新たなフィールドに踏み出す「期待と不安」、に飲み込まれていたのでした。 翻って上のメンタリティは、シベ5にぴったり当てはまるように思うのは少し強引でしょうか(笑)?冒頭のホルン主題に象徴されるように、とかくシベ5は“雄大な自然賛歌”のように演奏されがちですが、むしろ上で述べたような“私的なセンチメンタリズム”で解したほうがハマるように思うのです。 そうしたシベ5の感傷的な側面まで余すところなく描いたのがラトル+バーミンガム市響のディスク。安価BOX全集(ケネディとのVn協と複数の管弦楽曲にPOとの80年のシベ5付)での入手がオススメです。その大半を占める80年代前半の演奏はオケの音色・機能が発展途上で録音も浅いのですが、87年の第5番はコンビが黄金期に差し掛かった頃で録音も見違えるように豊か。 20年前のラトルは、生き生きとしているだけでなく感性がとても繊細。所々で効かせるスコアにないアクセントやクレシェンド&デクレシェンドをあげつらうなかれ、それらは自然な音楽の流れの中で作品の想いを補正する範囲で品よくコントロールされています。もちろん、シベリウスらしい森の奥のような深遠な響にも不足はありません。 特に第2楽章全体と、第3楽章ホルン斉奏に至るオーボエとチェロのユニゾン主題に宿る繊細な叙情は他では得難い。第1楽章や第3楽章のクライマックスは、ラトル一流のクリアな造形で響きの美しさが天国的。シベリウス特有の無調的な弦の音階群は、柔和なのに粒が立ち和声の変化がクリア。そこに驚くほどの感情の機微が織り込まれていることに目を見開かされます。爽やかな口当たりの奥に広がる、とんでもなく深い味わい。 なお次点となりますが、シベ5については下記2つの演奏もご紹介したいところ。 ①セーゲルスタム+ヘルシンキ・フィル(Ondine) ②カラヤン+ベルリン・フィル(EMI) ①同じヘルシンキ・フィルではベルグルンドの80年代の録音が超名盤ですが、私はセーゲルスタムの21世紀の名盤をとります。オケの特質は80年代と大差ないですが、セーゲルスタム盤は雄大さと感覚的な音色美を高い完成度の内に収めた振幅の豊かな演奏。録音も優秀。 ②シベ5はカラヤンの十八番として有名ですが、名盤の誉れ高い60年代のグラモフォン盤よりも70年代のEMI盤をとります。GP盤の方が気宇壮大でその向きの解釈としては圧倒的ですが、EMI盤はより“静”の方にもフォーカスした印象で、カラヤンの耽美的な感性がプラスに働いております。録音もGP盤よりモコモコしてシベリウスの“不思議感”にぴったり。 ラトルはベルリンでもうシベ5を振ったのでしょうか?もし未だであれば、今のマエストロが果たしてバーミンガムとの録音を超える演奏を展開し得るのか、期待を持って耳を傾けたいものです。
by mamebito
| 2009-01-31 01:14
| 録音
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