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2012年5月4日(金・休)10:45~ ホールB7
アレクサンドル・ルーディン+ムジカ・ヴィーヴァ Pf.クレール・デゼール ♪チャイコフスキー/弦楽セレナード ♪プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 LFJtokyoのAとB7は忌避しているホールなのだが、この日は致命的にデッドなB7の音響が、普段残響に埋もれて聴こえにくいおたまじゃくし達をあらわにし、むしろ印象的な演奏に結びついた。 特にプロコ。当時のパリではエキゾチズムに違いなかった独特のロシア叙情や五音階風のテーマ、さらに作曲者一流の緻密なオーケストラの動きが、残響に溶けることなくいちいち聴こえてきて楽しい。実は最も好きなピアノ協奏曲の1つなので、相当聴き込んでいたつもりだったのだけれど、これほど肉感豊かで色彩的なオーケストレーションだったかと、作品の魅力に改めて胸が熱くなった。 初めて聴くムジカ・ヴィーヴァは、日本のメジャーに比べたら上手とは言えないけれど、1stVn:8型の小編成でキビキビしていて好ましい。指揮のルーディン氏は、バッハ無伴奏チェロ組曲の名録音(NAXOS)で時代楽器を巧みに用いるなど、旧来の熱血剛毅なロシアの固定概念とは一線を画する。楽団のサウンドを、ヴィブラート控えめな冷んやりピュアトーン気味に整え、見通しよい構築で作品のウィットやリリシズムを引き出していた。 ピアノのデゼール氏は、LFJ2010のショパンで初めて出会い、細い体から繰り出される硬質なピアニズムに、グリモーに似た魅力を覚えていた。この日のプロコフィエフも期待どおり、前向きな推進力と堅固な打鍵をバランスよく使い分けながら、衒い無くプロコフィエフの色彩や精髄を描き出していった。 楽団の健闘も相まって、幸せな25分間を反芻しながら終楽章コーダに至った矢先・・・原因は不明だが、おそらく1小節分、完全にピアノとオケがずれ続ける15秒程が発生してしまった。。最終盤に弦ピツィカートとピアノ3連符が絡む箇所で双方修正を果たし、フィニッシュは磐石でブラボーも誘ったが、作品のクライマックスで起きた小さくはない事故に驚いてしまい、惜しい幕切れであった。それでもデゼール氏のカーテンコールは堂々。ルーディン氏やコンミスと二言三言コミュニケーションした後は、双方にこやかに喝采を浴びてお開きとなった。いつぞやのエマール氏のように頭をかいて謝ったりはしない(笑)。 前プロの弦セレは非常に興味深い演奏だった。序奏をAllegroとほぼ同じ快速で奏でたり、過度なロマンチシズムを廃してセレナードの古典的構造美にフォーカスしたような、なかなか聴いたことのない類の演奏だった。私が耳にした限りでは、父ヤルヴィ+エーテボリ響による7~8前の録音が、驚くほど清楚でこれに近かっただろうか。このアプローチ、かなり好みかもしれない。その序奏さばきやヴィブラートを抑えた響きに加えて、冷静で要所を押さえたタクトも見るにつけ、ノリントンを想起せずにはいられなかった。 #
by mamebito
| 2012-05-05 03:32
| コンサートレビュー
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2012年5月3日(木・祝)21:45~ ホールD7
Pf.児玉桃、北村朋幹 B-CL.山根孝司 Hr.伴野涼介 Vc.宮田大 Perc.池上英樹 ヤーン=エイク・トゥルヴェ+ヴォックス・クラマンティス ♪権代敦彦/カイロス―その時 ♪ペルト/カノン・ポカヤネン~オードⅣ、コンタキオン、イコン、カノンの後の祈り ♪権代敦彦/クロノス―時の裂け目(日本初演) ロシア音楽そのものではないけれど、大いにロシア(旧ソヴィエト連邦)に因むコンセプチュアルなプログラムだった。 カイロスは、東日本大震災で失われた幼い命への想いを託して、児玉桃さんのために書かれたピアノ独奏作品。クロノスは、ロシアをテーマにLFJナント2012から委嘱された際、チェルノブイリの事故当時と現在を念頭に作曲した変則五重奏作品。「カイロス」と「クロノス」はともに“時”を意味する言葉だが、前者の方が私的・身体的であり、後者は権代さんの言葉を借りれば「ティック・ティック・ティック・・・」という「冷厳」で普遍的な時間を指す。放射能汚染で結ばれた25年前の旧ソ連邦と現在の日本の因果を、旧ソ連邦に属したエストニアはペルトの祈りの合唱作品が結ぶという、よく考えればLFJにしては重い思想を備えたプログラムである。 音楽祭のテーマに沿えばその楽音に心揺さぶられるというわけではないし、音楽だけ聴いて「ああ放射能・・・」「フクシマ・・・」と嘆息を呼び起こされるわけでもない。この企画、音楽を純粋芸術としてだけ見る立場からすれば、単に頭でっかちな社会的意義しか見出せないかもしれない。けれど音楽は、“芸術”も何らかの“記号”“表象”も、軽々と包含する空気のような存在であって、コンセプトを拠り所として音楽を身体中に行き渡らせ心を満たすというプロセスは、鑑賞の一手段として何も不自然ではないと思うのだ。 余談が過ぎた。感想を簡約すれば、放射能因果とは別のところで大いに心揺さぶられた、といったところか。権代さんのスピーチとコンセプトは、私にとっては楽音を純粋に享受する素地を耕す(あるいはスポンジの吸収力を再生する)ような作用をもたらした。感度と集中力を引き上げられた耳は、迫真の児玉さんのピアノに大きく揺さぶられた。激しい半音階や強打が縦横し、それがまるで白けることなく、何か有意でシリアスなメッセージを伝えてくる。まるで知らない外国語の、説得力ある演説を聞いているかのよう。 クロノスもカイロス同様にたいそう激しいのだが、時薬なのだろうか、より客観的で地球規模の冷めた癒しのようなものが感じられるのだった(バスクラが担っていた気がする)。作曲者が語ったカイロスとクロノスの“視点の相違”が、鮮やかに音楽へ実装されていたことに鳥肌が立った。 ペルトは理想的な美しさ。シンプルで急くことを知らない楽想に身体を浸すうちに、カイロスの私的時間軸が解体されて、無時間的にたゆたうような不思議な感覚に陶酔していく・・・とはいえ、クロノスへのブリッジとしてだけ捉えるには、あまりにも寂寞にして耽美だった。ヴォックス・クラマンティスによる同曲&エストニア・プログラムは最終日にじっくり堪能するので、詳述はその時に。 会場の客層は明らかにLFJではなく(笑)。普段こういう作品やコンセプトの演奏会にいらっしゃる方々の雰囲気が大半を占めた。中にはチェロ界の重鎮や、若く有望な日本人作曲家のお姿も。そして、4/20に発表されたクロノスのメンバーはやはり素晴らしかった。最近機会を逃し続け久しぶりに拝聴した北村さんは一段とキレを増していらした。一躍著名演奏家となった宮田さんは、鮮やかな技巧に加えて音楽全体を影に日向に形作る只ならぬ何かを発していた(音量という意味ではなく)。そしてクロノスの冒頭と末尾を最弱音で奏でたバスクラ山根さん、OLCで聴く時代ナミクラにも増して透徹した響きが、作品の世界観を見事なまでに表現していたと感じた。 #
by mamebito
| 2012-05-04 02:53
| コンサートレビュー
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2012年5月3日(木・祝)10:45~ ホールG402
Pf.サンヤ&リディア・ビジャーク ♪ストラヴィンスキー/3つのやさしい小品、5つのやさしい小品、 ペトルーシュカ(4手ピアノ版) 2012年の1公演目。もともと前プロは「5本の指で」が予定されていたところ5/1に曲目変更。さらに、プログラム紙の曲順は5→3だったが、実際には3→5の順で奏された。 演奏はベオグラード出身の姉妹デュオ。1年程前に聴いたトルコ出身の姉妹と同様、その美形は華やかで間違いなく舞台映えした。トルコ姉妹の方は細身のタッチが少々頼りなかったけれど、ベオグラードのお二人は硬質でなかなか辛口のアプローチが好ましい。前プロ2曲、時々懐古趣味のセンチなフレーズが登場する場面も、情感を込めすぎず適度に音楽を流すセンスが素敵だった。 メインのペトルーシュカは、1947年版をストラヴィンスキー自身が1台4手ピアノ用に編んだバージョン。原曲さながらの彩りと音の洪水にのまれるようだった。有名な「3つの断章」は物語の抜粋を一人で弾くわけで、管弦楽の原曲とは全く別物として聴いている面がある。しかしこの日の連弾版はオーケストラの響きが容易に想起されて、語弊を恐れずに言えばピアノへ見事に置き換えられていた。 そうした編曲の好悪はともかく、彼女達の演奏は一段と豊かになり、時にコケティッシュな表情を交えながら充実した響で会議室を満たした。原曲の難所、例えばTpのソロなどが易々と奏でられて拍子抜けなのはご愛嬌。死に至る緊迫感まで見事に表現されていて、変り種の楽しみではなく堅気の音楽作品としての手応えを堪能することができた。 ところで、会議室の入口近くの席に初めて座ったところ、静寂部やパウゼでガラス棟内の騒音がかなり聴こえてくることに驚いた。LFJだから改善までは期待しないけれど、この期に及んで何のエクスキューズもされていないのはなかなか肝が据わった運営である。無論、この程度の不足は織り込み済みだけれど。 #
by mamebito
| 2012-05-03 16:44
| コンサートレビュー
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ルーティン化とレジャー化が著しい近年のLFJ東京。などと毒づきながらも、演奏そのものには、選びさえすれば出色の出会いが散在していることは確かだ。そんな宝探しの地図を描いてみたら、今年はこのような配置に。
161 ピジャーク姉妹/ストラヴィンスキー「5本の指で」「ペトルーシュカ」 157 ヴォックス・クラマンティス他/権代「カイロス」「クロノス」、ペルト 221 デゼール+ルーディン+ムジカ・ヴィーヴァ/チャイコ「弦セレ」、プロコPf協3番 247 山田和樹+横浜シンフォニエッタ/チャイコ「フィレンツェ」「弦セレ」 332 ヴォックス・クラマンティス/ペルト、クレーク、他 333 リチェルカール・コンソート/ボリス・ゴドゥノフ宮廷の音楽 朝一公演を入れて休暇中も生活リズムを保つこと(早朝の子連れ爆弾は覚悟)、夜の最終公演で落ち着いて音楽を楽しむこと、日中はなるべく他に時間を使うこと…なんて、自分もすっかりオトナになってしまったものだ。ミサソレの残照を求めて、モーツァルトやバッハを1日5つも6つも聴き漁った頃が懐かしい。 ロシア色の希薄なチョイスになった。何気なく確保した157の権代「クロノス」、4/20に発表された出演者が垂涎(B-CL.山根さん、Vc.宮田さん、Perc.池上さん、Pf.北村さん、他)。あとはリアル・ペルト充と、ロシアンでも参戦してくれたピエルロ組が目玉。他に、エリコンの長尾春花さんや小林姉妹を聴きに行くかどうか。Vn.松山さんとPf.北村さんのリサイタルを取り損ねたのは残念。オケ公演は、都響の悲愴あたりが格違いの演奏になるんじゃないでしょうか。 #
by mamebito
| 2012-04-29 01:41
| LFJ
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2012年3月29日(木)19:00~ 東京文化会館(小)
Vc.原田禎夫 Pf.加藤洋之 ♪ドビュッシー/チェロ・ソナタ ♪ブラームス/チェロ・ソナタ第1番 ♪メンデルスゾーン/チェロ・ソナタ第2番 ♪ラフマニノフ/チェロ・ソナタ~第3楽章(アンコール) 感想のアップが1ヶ月近く滞ったことは久しぶり。野暮な話だけれど、4月は稼業の繁忙期、ここに演奏の本番が2本入ると、鑑賞に出かけるのはおろか、blogのメンテも滞りがちに・・・。このパターンはもう今年だけにしなければなるまい。 さて、3月下旬の素晴らしい演奏会の記憶を辿ろう。原田禎夫さんは、大学生の頃に“弾く方”のお手本として勝手にリスペクトしていた。お会いしたことは、水戸でMCO終演後の出待ち程度…言ってしまえばただのファンである(笑)。もちろん、以前からシュタルケルと鈴木秀美さんを崇めていたわけだが、原田さんの音色が好みだったことに加えて背格好が似ていて、非常に親近感を覚えていたのだった。 氏のチェロには、温かさの奥に頑とした“芯”を感じる。それが最高にマッチしたのがこの日のブラームス。威厳と親しみやすい温かさが同居した理想的な響きが、東京文化小の豊かな音空間を満たす。近年の若い世代によるフレキシブルで瑞々しいアプローチも好みだけれど、原田さんの演奏は質実で良い意味で辛口。甘ったるいルバートや感傷的なヴィブラートの類は一切見当たらない。聴いている内に自然と、後年のシュタルケルによる演奏を想起したのは、私だけではないのではなかろうか。 冒頭のドビュッシーは、原田氏の表情や音色に若干の緊張が感じられた。ここでは、欧州の名手と組むことが多いピアノの加藤氏が、ソロを繊細に伺いつつ、時に大胆なタッチで音楽を盛り上げていた。 メンデルスゾーンは、これも尖った若手やマイスキー等の演奏とは異なる、ゆったりして堅固なアプローチ。ピアノもチェロも同等に隠れ超絶な同曲ゆえの難は否めなかったが、どこか祖父母の家に迎えられたような懐かしさが全編を覆い、温かな響きの内に幕を閉じた。アンコールは、ラフマの緩徐楽章を質実な純音楽的アプローチで。ここでは解放されたかのように20世紀ロマンをたっぷりと歌い込み、惹きつけられるような演奏だった。 余談になるが、サイトウキネンや室内楽セミナーの同士である小澤征爾さんが客席に。終演後、あのよく通る声でお知り合いと挨拶を交わすものだから、みんな気が付いて会場は軽く騒然と。小澤さんは、たぶんこの日の聴衆で一番ラフな格好(ロングTシャツに化繊のカーゴという・・・笑)で、2010年の松本よりもお元気そうに見えた。ホワイエには関係者多数、友好を温める雰囲気に、稼業と巷間の喧騒をしばし忘れて浸った。 #
by mamebito
| 2012-04-27 23:41
| コンサートレビュー
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