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2012年5月18日(金)19:00~ 東京文化会館(小)
Vn.岡崎慶輔 Pf.伊藤恵 ♪ストラヴィンスキー(ドゥシュキン編)/イタリア組曲 ♪R.シュトラウス/ヴァイオリン・ソナタ ♪シューベルト/幻想曲 D934 ♪ラヴェル/ツィガーヌ ♪ドビュッシー/美しき夕べ(アンコール) 演奏を聴いて、会話や文章以上に演奏者のお人柄を感じることがある。いや、正確には“感じている気がする”ことがある。そして、これは仮説にすら至らない「予感」なのだけれど、少し親密になった程度で見える“その人らしさ”よりも、真剣な演奏に垣間見られる何かの方が、ずっと“その人の核”みたいなものを伝えている場合が多いのではないか、と思っている。さらにそれは、真剣な表現行為にはけっこう共通することなのかもしれないとも感じている(これは予感以前の想像として)。 だから、彼らに近しく親しい方々には失笑ものかもしれないけれど、それでも敢えて言うならば、岡崎さんと伊藤さんのデュオほど“澄んだ”演奏家は珍しいのではないかと思うのだ。無垢というのとは違う。シューベルトではストイックな表現が為されるし、リヒャルトのロマンやツィガーヌのエキゾチズムも、それぞれの核心が鮮やかに描かれる。こうした感覚を言葉にするのは難しいけれど、おそらく作品のテクスチュアを雑念無しにすくい取る、特別なスキルやセンスを備え合うお二方なのではないかと想像している。 その意味で、いずれの作品も初めて触れた時の新鮮な喜びが蘇ってくるようで、耳と心が洗われる演奏ばかり。イタリア組曲、擬ルネッサンス叙情の濃度が絶妙でセンス抜群。リヒャルト初期のロマンは、フレキシブルなボウイングでその粋を瑞々しく客席に運ぶ。シューベルトは沈思するも、決して深みにはまりすぎずない。伊藤さんの温かく粒が立ったタッチの行間には、淑とした佇まいが広がっていて絶品。この幻想曲は理想的な演奏の1つだったのではないだろうか。ツィガーヌでは岡崎さんが一段と全身をしならせ、ダイナミックな音楽が客席を湧かせた。 岡崎さんの演奏との出会いは、FMで聴いたミュンヘン・コン優勝者演奏のブラームス。一聴惚れしてからは、NJPとの協奏曲や武生国際の室内楽等々しか予定が合わず、今回念願のフル・ソロリサイタルを至近で堪能できて満足至極。相性抜群の伊藤恵さんとのデュオは、期待に違わぬ幸福な時間だった。こんな素晴らしいデュオの唯一の東京公演が、花金の夜という絶好の日時に、イー○ラス得チケで割引販売され、東京文化小が6割も埋まらないというのは、残念云々を通り越してもはや不思議。樫本さんや庄司さんのツアーが連日満席になるのと同じ土俵の日本人アーティストだと思うんだけどな。 #
by mamebito
| 2012-06-20 00:46
| コンサートレビュー
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2012年5月5日(土)14:30~ ホールB5
Sop.マリア・ケオハネ リチェルカール・コンソート ~ボリス・ゴドゥノフ宮廷の音楽~ ♪メルカー/パヴァーヌ「ゴドゥノフ」 ♪ダウランド/デンマーク王のガイヤール、帰って来てもう一度 ♪ニコルソン/「ジョーン」とジョンは言った、ユダヤの踊り ♪作曲者不明/ナツメグとジンジャー、暗闇こそ我が喜び、ダフネがアポロンから逃れた時、女房は家に置いとけない、市場はしまいださあ帰ろう ♪ブレイド/カーネーションの花、サテュロスの踊り ♪バード/若葉は青く ♪ニコルソン/かっこう ♪作曲者不明/この麗しき春 ♪バード/乙女 ♪ダウランド/あの人は許してくれるだろうか僕の過ちを すっかり遅くなったLFJtokyo2012最終鑑賞公演の感想を。もはや開催テーマに関係なく、来日している以上は聴かずにはおれない演奏団体になってきた、リチェルカール・コンソート。今年の締めくくりにふさわしいたいへん上質なパフォーマンスだった。 ガンバ達のなかなか合わないチューニングの響きを聴くだけでも、耳に美味しい。ピエルロを中心にした6名は、会場を一瞬で古雅な一席の空気に染めた。それに、初めてLiveで聴くダウランドらの歌は歌詞が英語で、独語や仏語に比べれば意味を汲み取れることも何だか新鮮だ。 個別には、「ナツメグとジンジャー」のようなポピュラーピースもありそれぞれ心躍ったのだが、何よりもプログラム全体の物語や雰囲気がたいへん味わい深かった。澄んだヴィオール群の響きの後、世俗歌謡の色香にのぼせ、タンブリンの躍動に熱くなり、インターバルで雰囲気を持続するような器楽合奏の後、再びソプラノによる愛らしく温かな歌唱で幕を下ろす・・・といった具合に、場の空気の変遷がすこぶる楽しい。 ピエルロ組の演奏はもちろんピカイチで、さらに驚いたのはケオハネ。カフェ・ツィマーマン公演のVTRなどで美声は認識していたが、歌唱と立ち居振る舞いを合わせて会場の空気を自在に千変させてしまう芸に、心底感嘆した。 正直なところ、今年鑑賞した中で最も座席が悪く(B5サイドの最後方)、ニュアンスや所作の詳細を味わえなかったのは惜しい。例年腑に落ちないのだが、フレンズ先行で当選した座席が悪く、一般発売後の座席の方がずっとよいことがしばしばある。座席位置にこだわる客層はメインターゲットではないのかもしれないが、それにしても登録者にメリットがありそうで実はさほどでも無い先行発売はやめたらどうか。販売側のキャパが問題であれば、申込みを分散する方法は他にいくらでもあるだろうに。 ・・・などと今年も各公演で演奏の外に文句を並べつつも、鑑賞した音楽はそれぞれにたいへん充実して、実り多いLFJだった。 #
by mamebito
| 2012-05-22 23:47
| コンサートレビュー
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2012年5月5日(土)12:45~ ホールB5
ヤーン=エイク・トゥルヴェ+ヴォックス・クラマンティス ♪クレーク/夜の典礼 ♪作曲者不詳/賛歌「沈黙の光」(ズナメニ聖歌) ♪ペルト/カノン・ポカヤネン~オードⅠ、オードⅡ、オードⅣ、コンタキオン、イコス、カノンの後の祈り ♪作曲者不詳/賛歌「沈黙の光」(ズナメニ聖歌)(アンコール) コテコテのイタリア歌唱や“○百人の第九合唱”の類は大の苦手なのだけれど、古楽合唱やこういう声楽は大好きなのだ。そして、単独来日ではなかなか組めない好プログラムで彼らのような合唱団を聴けるのは、LFJtokyo初期からの最大の魅力の1つだと思う。今年もその恩恵に浴した。 5/3もこの日も、彼らの技術は安定して高いと思った。そして声質が何ともいい。涼しいというだけでは言い表せないし、荒涼というほど寂しすぎもしない。透明感の内に、霧のような冷やかさや木造建築の温かみを漂わせ、魅力的だ。男女約半数ずつの十数名、無垢な女声もさることながら、男声アルト(C-T?)の美しさ、バス持続音のホーミーのような不思議な倍音にも、とても魅了された。 クレークもペルトも聖歌。前者はメロディアスで、ヴォックス・クラマンティスの温かみが強調され耳に心地よい。後者はルネサンスやグレゴリオ聖歌に傾倒したシンプルな構造・和声に、作曲者独特のミステリアスな叙情が宿る。ほとんど同じパターンをパートを変えて繰り返し歌うだけなのに、ミニマル・ミュージックとは違う意味でずっと続くような、ずっと続いて欲しいような酩酊感に包まれる。それだけ1つ1つの発声と歌唱が磨き込まれているのだろうか。2年前の夏、ヘルシンキに滞在しながらタリンに足を延ばせなかった個人的な想い出とも重なって、耳も気持ちもリセットされるような心地だった。 アンコールは「沈黙の光」をパートを変えて。響きの少ないB5のしかも最前列で聴いても、彼らのハーモニーは見事に溶け合って聴こえた。人の声の魅力を堪能したプログラムだった。 #
by mamebito
| 2012-05-10 22:35
| コンサートレビュー
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2012年5月4日(金・休)21:15~ ホールC
山田和樹+横浜シンフォニエッタ ♪チャイコフスキー/弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」(弦楽合奏版) 弦楽セレナード LFJtokyo2012の2日目は、弦セレで始まり弦セレで終わった。それも全く異なるタイプの演奏による。こちらは、瑞々しく情感豊かなチャイコフスキーだった。若々しいのだけれど、それは年齢的なものだけでなく、年齢にかかわりない純粋性のようなものを感じさせるのだった。 横浜シンフォニエッタに対する印象は、以前聴いた感想でも触れたのでここでは割愛。フィレンツェの技巧的な第1楽章前半は熱しきらない様子があったものの、その後は緩徐楽章の丁寧な歌い込みから終楽章のたたみかけに至るまで、適度にアグレッシヴな緊張が持続された。その反応の素早さ、頭で合わせるのではなく体で自然と合うような一体感は、目にも耳にも気持ち良い。特に両作品の終楽章、快速で飛ばしながらも大味にならず、どんどん密度が増していくような充実感にはグイグイと惹き込まれた。 山田さんのタクトは相変わらず無駄がなく分かり易い。長年連れ添った楽団ゆえもあるだろうけれど、合奏はメンバーに任せてロマンティシズムの高まりを大きなスパンで描いたり、思わぬアクセントやルバートで音楽を引き締めたり、自在だ。それらにメンバーがガッツリ反応するので、彫りの深い表現が生まれるのかもしれない、たいへん聴き応えがあった。ところで、弦セレ第1楽章の最後にC全音のユニゾンが付加されていたのは、録音でも実演でも初めて聴いた。版の違いがあるのだろうか? 客席には爽やかな熱気が伝播した。両曲ともカーテンコールは大喝采、特に弦セレはスタオベで出演者全員を再度舞台へ呼び出した。ちょっと過剰反応な気はしたけれど、その盛り上がりはお祭りの醍醐味の1つでもあって、素直に楽しかった。 ところで開演前、指揮者が登壇し振り下ろそうと構えたところで、断続的な電子音が客席に響いた。山田さん自身、舞台から携帯の電源OFFを呼びかけ、舞台袖からスタッフの方も呼びかけたが、停止する様子無し。団員の方が音程をまねたり、止まりそうで止まらない様子をこの日のお客さんは苦笑で和ませたからまだ良かったものの、心当たりの方には猛省再発防止を決してもらいたいものだ。 #
by mamebito
| 2012-05-09 00:35
| コンサートレビュー
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2012年5月4日(金・休)19:45~ ホールA
ドミトリー・リス+ウラル・フィルハーモニー管弦楽団 Vn.庄司紗矢香 ♪ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ここ数年の庄司さんは、聴くたびに深みや揺ぎなさを増すようで頼もしい。この日も、鈍重なオケとは格違いの演奏に感嘆するばかりだった。 長大な第1楽章、一音一音込めるようにヴィブラートで鳴らし、音量や音圧とは異なる意味での音の重みがすごい。そしてハイポジションの抜けるような音程の美しさ、名手なら誰でも出来そうでなかなか出来ない、彼女の最大の魅力の1つが光る。 第2楽章は、彼女の物理的音量では楽団に埋もれるかと思いきや、1F前方で聴く限り膨れた響きの中から刻みやスフォルツァンドが突き抜けてきて痛快。 第3~第4楽章カデンツァは、静寂から緊張へ至る音楽の流れがたいへん見通しよく、説得力を極める。腕っ節や激情で強引に聴かせる演奏は数多あれど、知らぬ間にショスタコのシリアスな叙情へ引き込まれて、魔法にかかったような心地だ。 第5楽章は一段と切れ味を増す。第2楽章もそうだが、Allegroのテンポをモーツァルトのごとく前向きに取り、力みなく闊達に音楽を運ぶ。かつて、NHKホールなどで力演のあまり音楽が膠着していた姿は既に昔、今やあの細腕と脱力した奏法でこのような作品も自在に鳴らしきる術を手中にされたご様子。フィニッシュへの追い込みも十分に劇的で、思わずブラァヴォ!も頷ける素晴らしい演奏だった。カーテンコールは一段と堂々として、また一回りカッコよくなられた印象。あと、ちょっと日焼けした?(笑) 方や、ウラルpoの面々はお疲れだったのか?腰が重いは、響きは鈍いは、発音にキレがないは・・・庄司さんが描く磨きに磨かれた音楽世界とは雲泥の差。特に上述Allegro楽章は、ソロとテンポ感が違いすぎていただけなかった。同曲の録音の方は大丈夫なのかもしれないが、この日の演奏を聴いてしまったらいくら庄司さんが素晴らしくてもディスクに手は出にくいなあ・・・。これが、インバル+都響だったら、などと無いものねだり。 幸いにも、公演直前に4列目中央の良席が手に入り、ホールAのディスアドヴァンテージに影響されず鑑賞できた。余談だが、今年から舞台左右に設置された大スクリーンは、音楽をLive鑑賞する醍醐味を減じる上に1階前方にいても目障りなので、今後は絶対に持ち込まない方がいいと思った。 #
by mamebito
| 2012-05-06 01:57
| コンサートレビュー
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