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エサ=ペッカ・サロネン+フィルハーモニア管弦楽団 ♪サロネン/『ジェミニ』(日本初演) ♪マーラー/交響曲第9番 「自分が聴いた演奏は素晴らしかったに違いない!」という自慰的な盛り上げではなくて、楽団がはけてから三度もマエストロを舞台に呼び出しても足りないぐらい、できる限りの喝采で応えたくなるマーラー9番だった。 先に演奏されたサロネンの自作初演『ジェミニ』は、新規性はないけれど、サロネンの音楽的ルーツをダイジェストしたような印象を持った。様々な美的要素が、美しく快適に編み上げられた約25分。ターネジやJ.アンダーソンに通じるクールな和声とリズム、シベリウスを思わせる広がり、LAを思わせるエンタメ要素もある。それらがコラージュというよりは大きな素材として、筋の通った文脈の内に統合されている様が巧みだった。 また、『ジェミニ』の音作りで気に入ったのが、ブリテンやヴォーン=ウィリアムズから英国音楽シーンに受け継がれている(と思っている)横笛の用い方と、パーカッションのバスを大太鼓ではなく和太鼓(中)×太めの洋マレットに担わせた点。音楽が巨大化しても響きがスマートで、作曲家サロネンの類い稀なバランス感覚が表れていると思った。 そして、休憩を挟み満を持してのマーラー。『春祭』公演でも十分に感嘆した楽団は、この日のマーラーの方がずっと流暢で、さらにギアが上がった印象。この曲、音楽が進むほどにオーケストラが鳴ってくるものだが、フィルハーモニア管は“空鳴り”することなく、ノーブルな弦はいっそう肌理細やかに深みを増した。レパートリーの幅が広く、今やオールマイティな印象が強いオーケストラだが、創設経緯や草創期にクレンペラーやカラヤンが薫陶を授けたことを思い起こさせる、彼らの根底にある美質が如実に現れた演奏だった。それはつまり、彼らの本気を聴けたということだと思う。 素晴らしすぎると言葉に落とし込みかねるし、具に思い出していては日が暮れそうだが、昨年聴いたラトル+LSOよりもスケールが大きく、表現の振れ幅も大きく、伝わってくるインパクトも大きい演奏だった。他にも小澤+サイトウキネン、インバル+都響など、マーラー9番は強く心打たれる名演奏に接してきたけれども、それ以上に揺るがされる演奏に出会ってしまった。 それで、冒頭で述べた三度のソロ・カーテンコールである。この後、演奏家の来日が相次いでキャンセルされ、制約のない編成・状態でこのような演奏家によるマーラー9番を聴く機会は当面失われるだろうことを考えると、いっそう尊く思い出されるのだった。 #
by mamebito
| 2020-12-30 16:03
| コンサートレビュー
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エサ=ペッカ・サロネン+フィルハーモニア管弦楽団 Vn.庄司紗矢香 ♪ラヴェル/組曲『クープランの墓』 ♪シベリウス/ヴァイオリン協奏曲 ♪パガニーニ/『うつろな心』による序奏と変奏~主題(アンコール) ♪ストラヴィンスキー/バレエ音楽『春の祭典』 国外で広がりを見せ始めていた新型コロナが本格化する直前に聴けた貴重な想い出。『春祭』は、ブーレーズ+クリーヴランド、デュトワ+モントリオール、そしてサロネン+フィルハーモニアが、私にとって絶対的な三大録音。そのうち、唯一実演が適うコンビがその最終シーズンに、この曲を携えて来日してくれた。 カッコイイ系『春祭』の極みだった。マエストロのタクトがイケメン、というだけではない。巨大なダイナミクスレンジにキレとスピードが加わるものだから、Liveで聴いた同曲の中で最もエキサイティングだった。チャレンジしているがゆえのズレや傷はあったが、スナップショットを並べて完成度を点検するのが演奏会ではない。リスクを恐れず攻めるスタイルは、マエストロもインタビューで明言しているところだ。 LAPOとのLive録音では、力みと音の粗さが目立って粗暴だったが、この日はエキサイトしながらもエンターテインメントな音響に倒れなかったのは、フィルハーモニア管のノーブルな特質のおかげだったのではないかと思った。その点で、第二部『序奏』『乙女の神秘的な踊り』あたりの、しっとりした質感とベールに包まれた艶やかさは、稀に見る美しさだった。『春祭』は大音響とノリだけの楽曲ではないのだ。 “質感”は『クープランの墓』でも際立った。香気は薄いものの、極上の滑らかさが印象的。平日の夜、仕事帰りに駆け付けた感が僅かに漂うホールの空気を、冒頭からたおやかな別世界へと一変させられるオーケストラは世界屈指だと思う。『フォルラーヌ』のたゆたいなど、サロネン独特の表現もナチュラルにハマり、たいへん効果的だった。 両管弦楽作品の間には、サロネン自作のチェロ協奏曲が置かれ、久しぶりに聴くモルクを楽しみにしていたのだけれど、体調不良により来日不能に。シベコンへ変更され、プログラムの趣旨は大きく変わった。しかし、身辺が変わられてからの庄司さん拝聴するのは久しぶりで、その貫禄と美音を湛えた熱演に大感激することになった。20代の頃、特に大規模な協奏曲で頑張り過ぎてしまうのか瑞々しさや美しさを減じてしまい、表現を模索しているように聴こえた庄司さん。この日は冒頭のソロから彼女らしい極上の音程と美音に加え、“音の存在感”(“音量”ではない)で芸劇の最上階まで突き抜ける魔術的表現を駆使。田舎に帰ったら自然と方言が出てしまったような、少し熱めのサロネンらしいシベリウス・サウンドとの相性も申し分なく、今まで聴いたシベコン(録音を含む)の中でも特に忘れられない素晴らしい鑑賞体験だった。 総じて、1つの演奏会として稀に見る充実感だった。舞台上が過密になるこの日のような演目を、この日のような充実感をもって、安心して堪能できる日が遠からず帰ってくることを願うしかない。 #
by mamebito
| 2020-12-29 09:06
| コンサートレビュー
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ここ数年、遅筆を極める当Blogの恒例行事。なんだ、著名オーケストラばかり…と仰るなかれ。本当にオーケストラ公演の当たり年だったのだ。 #
by mamebito
| 2020-04-25 09:02
| コンサートレビュー
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Vc.鈴木秀美 Cemb&F-P.上尾直毅 ♪ヘンデル/ガンバ・ソナタ ト短調 ♪テレマン/チェロ・ソナタ ニ長調 ♪ヘンデル/フルート・ソナタ ホ短調 ♪J.S.バッハ/フルート・パルティータ イ短調 ♪C.P.E.バッハ/ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 ♪シューベルト/アルペジォーネ・ソナタ~第2楽章(アンコール) 期せずしてリサイタルの伏線は、2019年に亡くなった秀美さんの師、アナー・ビルスマへの追憶になった。ビルスマから譲り受けたというチェロ・ピッコロを用いて、師が開拓してきたヴァイオリンやフルートのための作品を奏でる営みを再現した。ビルスマの正統後継者という立ち位置があるとするならば、それは自分だと、音を通じて示すかのような気骨をも感じるリサイタルだった。 前半2曲は、もともと、五弦で高音のE線を備える楽器に適した作品。ヘンデルは、コンチェルト・グロッソにも通じる気品あるデモーニッシュな短調が印象的。続くテレマンの牧歌的なニ長調が好対照を為す。性格が異なる両作品により、生糸のように繊細なE線をはじめとしたチェロ・ピッコロの多彩さを堪能した。 続いて、ト音記号で書かれた作品をオクターヴ下げて(部分的にはアレンジを加えて?)奏でる作品が続く。既知の作品は大バッハのフルート・パルティータのみだったが、単音のシンプルな楽譜でもあり、演奏上の苦を感じる場面はない。トラベルソにも増して繊細なグラデーションを施しやすいガットで奏でることにより、作品の多彩さが際立つように感じた。秀美さんはC.P.E.バッハの世界的権威だと思っているのだが、この日のメインディッシュに置かれたヴァイオリン・ソナタも、さすがにチェロ・ピッコロでは難曲の風を呈してはいたものの、いわばソプラノ・アルト・テナーの一人三役を描き分ける様は鮮烈だった。 アンコールには、この楽器×秀美さん+上尾さんならば…と期待していた曲を期待どおり奏でてくれた。期待を上回ったのは、アタッカなのでないだろうと思っていた第2楽章を採用してくれたこと(第1楽章のリピートなしかな、と思っていた)。以前、灼熱のシューベルティアーデ@ヤマハホールで拝聴した時よりも落ち着きある音色で、仕事を納め駆け付けた騒々しさの名残もきれいに流し去り、最良の年の瀬へと導いてくれた。最期は第3楽章に入ることなく、秀美さんによる「ココマデ」の音楽的なささやきをもって2019年を聴き納めた。 #
by mamebito
| 2020-04-20 00:09
| コンサートレビュー
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2019年12月6日(木)19:00~ サントリーホール #
by mamebito
| 2020-04-19 09:13
| コンサートレビュー
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