2018年1月19日(金)19:00~ サントリーホール
シルヴァン・カンブルラン+読売日本交響楽団
Vn.イザベル・ファウスト
♪ブラームス/ヴァイオリン協奏曲
♪クルターク/「サイン、ゲームとメッセージ」~ドロローソ(アンコール)
♪J.S.バッハ(マーラー編)/管弦楽組曲~第2・3・4曲
♪ベートーヴェン/交響曲第5番
ファウストが弾くブラームスのヴァイオリン協奏曲が凄すぎた。凄いと言っても、凄まじいという意味ではなく、筆舌に尽くしがたいという意味で、凄かった。同曲のヴァイオリン・ソロとして、今まで聴いたことがない別世界の演奏だったと表現しても言い過ぎではない。
ファウストの演奏からは、全く余計な力が感じられない。力強い音でも太い音でもないのに、フルオーケストラに埋もれるどころか突き抜けてホールを満たす。ピュアトーンと常時ヴィブラートをかけるスタイルの相克、といった次元から超越したところで、ヴィブラートも弓のスピードも音色も、表現手段というツールを自在に活用してニュアンスが奏でられた。時々このような演奏に遭遇して、言葉を並べても周縁しか表現できず、もどかしい気持ちになる。この日のファウストはまさにそうだった。一方で、楽団が所々重かったのは惜しい。その点で、2016年10月15日にノット監督とファウストが奏でたベートーヴェンほどには、演奏総体として突き抜けた感激まで至らなかったものの、最も好きなヴァイオリン協奏曲を現在のファウストのソロで聴けたことだけで十分に満たされた。
他の作品も興味深く聴いた。ベト5は、先日のP.ジョルダンのように引き締まったフォルムとマエストロ独特の表現を想像していたのだけれど、案外オーソドックスと言おうか、フル・オーケストラの力強いサウンドを基調とした直進的な演奏だった。ただ、外形は熱いのに汗だくにはならない。サッカーに例えれば、ゴールを決めて熱狂するフォワードというよりも、攻守を掌握して冷静にキラーパスを蹴り込む名ボランチといったところ。あるいは、熱いのにクールで甘味を抑えた珈琲アフォガート風の演奏とも言えるだろうか。読響の皆さんは、長原コンマスを筆頭に統制の取れた安心感のある演奏をされていたが、その中にあって乗り乗り全弓で奏でたり、2階席方面に目線を送り空間に飛んだ自パートの音色を笑顔で追ったり…ベト5をあんなに楽しそうに弾く首席ヴィオリストを拝見したのは初めてだった。もちろん、自分はその演奏スタイルが好み。
ところで、バッハの管弦楽組曲マーラー編は、3番のエアで入らないチェンバロがなぜ他の曲では入るのだろうか?スコアを見ていないから、マーラーの指定なのか、任意になっていてカンブルランが選択した結果なのか分からない。ただ1つ推測したのは、この作品におけるチェンバロは通奏低音ではなく、バロック風味を醸し出すための飾りなのではないだろうか。そして、フル・オーケストラでバッハの管組をやりたいのであれば、マーラーの後進達のように大胆なオーケストレーションで別の音楽に仕立てた方が、まだ好ましいと思った。