2017年8月24日(木)19:00~ 東京芸術劇場
ファビオ・ルイージ+読売日本交響楽団
♪R.シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」
♪ハイドン/交響曲第82番「熊」
♪R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」
充実した演奏会だった。知っている読響とは違う音がしたのは、弦1プルトを首席陣で固めたからだけではないと思う。指揮者の力量も並外れていたし、それに応える楽団の本気が噛み合ったように感じた。読響は、20年前程ではないものの、荒っぽくムラっ気があるイメージを拭えないのだけれど、その分、突き抜けた時には良い意味で耳を疑う演奏を聴かせてくれる。この日の「英雄の生涯」がそうだった。
リヒャルトは、マエストロが全てを振り捌ききっているように見えた。音が鳴る一瞬前に、これほど音が目に見えるタクトにはなかなかお目にかかれないと思う。そこにオーケストラが献身的に応えるものだから、明晰で迷いのない演奏に仕上がっていた。「ドン・ファン」は“冒頭あるある”で、楽団側が若干慎重にまとめた感じがしたけれど、「英雄の生涯」は鳴りが鳴りを呼び豪快な上に、音楽の白眉と言える伴侶や引退における繊細で胸がキュンとする情感表現が深かった。コンマス長原さんのVnSoloは、いつものとおりスクエアなフォルムでかっちりとしているのだけれど、それが男の背中を感じさせて作品に相応しかった。この曲の魅力に開眼したインバル+都響のLiveと並び、印象に残る名演奏だった。
小編成でタイトに引き締めたハイドン「熊」も良かったのだけれど、少し品行方正すぎる気がした。原因の所在は分からないが「ここは当然こうでしょう」という様式や奏法の共通認識が狭く強固に感じられた。その狭い枠の中で出来ることはやり遂げた演奏だったけれど、ハイドンがもっと自由で、多彩で、愛すべき音楽を書いたことを教えてくれる演奏家が日本には居る。
ところで、ルイージさんは日本であんなに人気があっただろうか?1990年代にエアチェックし愛聴したスイスロマンド管との演奏も、2000年代にハマったライプツィヒ放響とのマーラーやシュミットのライヴ録音も、粘着質で微に入り細を穿つナルシスト風が面白く、言わば在野のアプローチだと思っていたのだけれど、いつの間にか押しも押されぬ名匠の一人になっていた。十数年程のライプツィヒ放響との来日公演など、客入りも悪く塩辛い反応だった記憶があるが、この日の集客に尊敬と熱狂が入り混じった喝采たるや。しかも、カーテンコールでヴィ〇ラパートだけ立たせ忘れるヴィ〇ラジョークも心得ていらっしゃるんだから親しみも湧くわけで(笑)。サイトウキネンやPMFやN響に限らず、この日の読響のようにさらに来日来演の機会を増やしていただけたら嬉しい。