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2015年11月2日(月)19:00~ サントリーホール
大野和士+東京都交響楽団 Vn.ワディム・レーピン Sop.イルゼ・エーレンス、スザンヌ・エルマーク ♪ラヴェル/スペイン狂詩曲 ♪プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第2番 ♪細川俊夫/嵐のあとに -2人のソプラノと管弦楽のための ♪ドビュッシー/交響詩「海」 贔屓の都響が久々のヨーロッパツアーを組んだ。ツアー曲目から編まれたこの日の定期を聴き逃すわけにはいかなかった。演奏は良くも悪くも、大野さん+都響の現在が現れていた。 とても精巧に練られた演奏だった。合奏は相変わらず緻密で美しく、洗練されたtuttiの響きは大好きな都響そのものだった。他方で、演奏に余裕や遊びを感じる場面が少なく、生硬に聴こえなくもなかった。8/5の川崎で感じた硬い印象と同じだ。 私が知る限り、欧米ツアーに旅立った日本のオーケストラの現地評は「上手いが面白みがない」といった言説に収斂しがちだ。仮にこの日の演奏がそのまま欧州のホールに響いた時、まさにそのようなステレオタイプに晒されてしまうのではないか、都響の本来の魅力を聴取する前に、欧州人に色眼鏡をかける余地を与えてしまうのではないか、という老婆心を禁じえなかった。 例えば冒頭のスペイン狂詩曲。2004年4月にフルネが振った時は、響きがたっぷりとして、音色に艶があり、ゆったりしたテンポのおかげで速い演奏では聴き取れなかった様々なニュアンスが活きて、忘れ難い名演奏だった(商業録音として発売もされた)。大野さんの演奏は対極とは言わないまでも、スピーディでスポーティな印象。1つ1つのニュアンスに拘泥するよりも、音楽の流れの中から自然と浮かび上がるエスプリを狙う演奏だったと感じた。それが奏功して沸き立つ瞬間がある一方で、音楽の速度とともに聴き取れないまま流れてしまった箇所もあったように感じた。 後者のネガティブな印象は「海」では多少払拭された。それは作品の特性が、大野さん+都響のスタイルによりマッチしていたからだと思った。「海」は部品を精緻に組み上げた演奏とそうでない演奏では、まるで別の曲になる印象がある。後者の場合、表層的なスペクタクル音楽になって、大味な娯楽音楽と大差なくなる。一方で、磨き上げた部品を演奏者が全体観をもって組み上げた時、1つの描写なのに全てが聴こえるといった、多層的で深い質感の音楽になる。この日の演奏は明らかに後者だった。 例えば「波の戯れ」はとても速いのだけれど、音符の再現がクリアだからか、駆け抜けた後の風に様々な香りを感じられて魅力的。「風と海の対話」も速くてめくるめく印象なのだけれど、強奏してもほとんど混濁せずにスカッと抜けるような響きが爽快だ。他方で、ヴァイオリンと金管打楽器を中心に、四角く硬いものが飛んでくる印象も否めない。クリアさとニュアンス豊富なふくよかさは、トレードオフな面があるかもしれないけれど、少なくともフルネやインバルと組んだ時の都響からは、それらを両立しさらに高みに向かう驚異的な演奏を聴けたと記憶している。このコンビはもっとすごいはず。ホールも空気もコンディションも異なる欧州では、大野さん+都響の本来の演奏が繰り広げられたと信じている。 この日、期待以上だったのは細川さんの新作初演だった。震災のインスピレーションに端を発する作品は、神道の祭祀を連想させた。オーケストラの風が凶暴な嵐になって、このまま続くと飽きるなあと思い始めた辺りで、二人の独唱(巫女)が入り音楽を引き締める。約20分と長すぎないストーリーには、エモーショナルに訴えるものがあり、時々エキゾチックな和音がアクセントを利かせた。これは巧い。欧州でも受ける作品だと思った。細川さんが各国で人気があることが頷ける新作だった。 レーピンが客演したプロコは、室内オーケストラ規模までtuttiを絞って、親密かつ機動力の高い演奏。レーピンは、120%にチャレンジするよりは80%を確約する印象で、十分に満たされる演奏だった。第2楽章はもっとファンタスティックに、第3楽章はそこまできりきり舞いを演じなくても、といった好みの相違はあったけれど。
by mamebito
| 2015-12-26 07:46
| コンサートレビュー
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