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2014年5月8日(木)19時~
すみだトリフォニーホール 十束尚弘、小澤征爾 +新日本フィルハーモニー交響楽団 ♪ハイドン/交響曲第104番「ロンドン」 ♪バルトーク/弦楽のためのディヴェルティメント ♪ベートーヴェン/序曲「レオノーレ」第3番 2ヶ月経ってしまった。しかし、時間が経ってから思い出して反芻する、というのも感想を記し続けてきた目的の1つ。心折れずに綴っていこうと思う。 演奏の前に毒を一杯。最安席1万円はバブルにも程がある。どう考えても十束さんが前座に見え、そのことへのフォローも不十分。企画には共感しかねたけれど、チケットのおこぼれに預り、SKF復帰の弦セレ以来久々に小澤さんのタクトを堪能した。 入退場は大またで足早。90年代のボッセさんがこんな雰囲気だったかも、と丸みを帯びた背中の小澤さんを見て思った。座すものの、7割以上の時間は立って、足を踏み出したりしながら振られただろうか。とはいえ、休養前、あるいは復帰弦セレのように全身をフル活用することはない。「昔ならもっと熱く振っただろうな」という部分、例えばバルトーク第1楽章オクターブ・ユニゾンの強烈な全奏からクレッシェンドで頂点を築く楽想など、無理に踏み込まず楽団の積極性に任せる場面が多く見られたと思った。そういう時のタクトは、大いに膨らんだわたあめを割り箸で円く整形するようなイメージに感じられた。 出てくる音楽は、驚異的にバランスが優れていた。針の穴を通すかのような絶妙さで、何かが保たれた演奏だった。15年ぐらい前だろうか、小澤さんがNJPとマーラー復活を演った時のTV放映を聴いて、ものすごく音色が美しかったことを覚えている。音のイメージを言葉にするのが最近一段と下手になったようでもどかしいのだけれど、白磁器のようにツルリと素直でありながら存分に温かい、息の通った音楽だった。この日のNJPの音色もまさにそれ。バルトークの弦ディヴェからこれほどの格調と、深く突き詰める緊張感を両立して味わえるとは。サイトウキネンとの名盤とも趣きの異なる、一段と捨象された表現に小澤さんの進化を聴いた気がした。 演奏会の最後がレオノーレというのは稀。個人的には、SKFの第2番(9.11直後のLive収録)を愛聴しているので、第3番には期待していなかったのだけれど、これがまた大所高所から細部まで息の通った見事な演奏だった。劇のテクストから各々の動機を楽しむ立場からすると良い演奏だったのかわからないけれど、1つの1つの表情が磨かれ、ベクトルに一切のブレを感じない。そう、多人数のオーケストラが驚異的な粒度で合致するこの感じが、2000年代後半ぐらいからの小澤さんに一段と強く感じた魅力。合奏精度だけではなく「気が合っている」とでも言おうか。聴き終えて、レオノーレ3番がこれほど様々なドラマに彩られた秀作だったことを再認識した次第。大規模な交響詩の1つを聴いたような充実感。そして、小澤ファンの過剰なカーテンコールを頭では嫌悪しつつ、気持ちは案外便乗している自分にビックリ。整体の名医に心を施術してもらったかのように、気持ちがスッと素直に立っている感じがした。 さて、前プロについても触れておかねばなるまい。これは遠目の推測でしかないけれど、団内で十束さんへ協力的な人とそうでない人が混在していなかっただろうか。少なくとも音はそのように聴こえた。Vc.客演首席の○越さん、「そんな棒じゃダメだ」と言わんばかりに音楽をリードしていらして、実際に木○さんが提示するフレームの方が良さそうに感じる箇所が多数だったのだけれど、舞台上が何だか痛々しく見えた。十束さんは、15年以上振りに拝聴したが、ルックスも振り姿もお変わりなく若々しい。ついでに出てくる音楽もお変わりなくたいへん真面目で・・・(自粛)。経緯や段取りなどに色々と事情のありそうな企画ゆえ、十束さんの現在の本領は別の機会に拝聴したいと思った。
by mamebito
| 2014-07-05 02:21
| コンサートレビュー
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