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2012年11月3日(土)15:00~ すみだトリフォニーホール
ハンスイェルク・シェレンベルガー+カメラータ・ザルツブルク Pf.小菅優 ♪モーツァルト/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、ピアノ協奏曲第20番、ピアノ協奏曲第25番、交響曲第38番「プラハ」、オーボエ協奏曲~第3楽章(アンコール) 時代奏法によるフレキシブルなモーツァルト、と言うと先進的なイメージを想起するかもしれないけれど、カメラータ・ザルツブルグの演奏にはどこかオーセンティックな風合いを感じた。ヴェーグと築いたロマンティックなスタイルをノリントンで捨て去ったのは確かだけれど、“ノーブルな田舎臭さ”のような音楽的体臭は変わらないのだろうか。久しぶりにそのような“ならではの魅力”を堪能した。 楽団は対抗配置、チェロはエンドピンを用いるがあまり傾けず、弦は全体にガットの響きでヴィブラート抑制、管もティンパニもバロック仕様だ。ノリントンとの録音ではどちらかというと鋭い印象を持ったが、シェレンベルガーとはもう少し落ち着いたレガート気味の表現が聴かれた。そのためか、楽団に備わるノーブルな音色感(ウィーンのゴージャスやラグジャリーとは違う)がきちんと聴こえてきて、その味わいに舌鼓。かといって、「ドン・ジョヴァンニ」の劇的表現などなかなかに清冽で、時にはシェレンベルガー独特のアゴーギグも垣間見られ、単に伝統に縛られた化石表現集団ではないことを明確に物語っていた。指揮者の下で縦の線を基本にすることよりも、指揮台を置かない指揮者と楽員同士が一緒にアンサンブルしている様子も快い。MCO(水戸co)に近い自発性を感じた。 一方で、連日公演の疲れか、協奏曲に入ってFlやCbに珍しいチョンボが聴かれたし、これは楽団の特性もあるのか、ザッツがさすがに甘かないか?という箇所が所々で気にはなった。また、盛りだくさんのプログラムも災いしたのか、プラハに至ってはセッティングから何となく急いた雰囲気が舞台にあり、指揮者も楽員さんも落ち着かない様子がにじんだ。颯爽とした第1楽章は良いが、いくらなんでもVnが転んでいてコンミスと指揮者が顔を見合わせ苦笑いする場面も。外形的な演奏スタイルもサウンドも好みながら、若干“心ここに非ず”なプラハになってしまったのは惜しかった。 新ダヴィッド同盟第1回で瞠目して以来、聴くたびに快演が続いている小菅さんも、この日は少々お疲れ気味だったか。珍しいミスタッチがあったし、シューベルトやシェーンベルクで聴かれた抜群の瑞々しさや自在な表現が少々影をひそめた。また、オリジナルだったのか、両曲とも聴き慣れないカデンツァが新鮮ではあったものの、特段胸に響くことはなかった。その昔、大ホールでベートーヴェンの協奏曲を平坦に叩いていた頃の彼女のイメージが若干想起された。とはいえ、持ち前の柔らかくも透徹したタッチは随所で光ったし、緻密ながら箱庭に収まらない生き生きとした演奏スタイルは相変わらず素敵だった。第20番の第2楽章、テンポもタッチも絶品でこれには忘我、この日の白眉だった。 公演時間2時間を超え忙しなく退席する人もいたカーテンコールの後、アンコールでは舞台袖からシェレンベルガーが伝家の宝刀オーボエを携えて登場!吹き始めて冒頭はさすがに安定しなかったが、あっという間にあのヴィブラートを抑えた知的で上品な音色がホールを満たした。カデンツァに至る頃にはエンジン全開、大喝采を誘うに十分な魔法のようなパフォーマンスを披露する離れ業を演じた。
by mamebito
| 2012-11-21 00:04
| コンサートレビュー
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