タグ
レビュー(602)
オーケストラ(412) LFJ(76) ピアノ(62) 室内楽(58) アマチュア(52) チェロ(50) 都響(44) 弦楽四重奏(44) N響(36) CD(35) 東響(28) 新日フィル(26) 交響曲(23) ヴァイオリン(19) 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
外部リンク
記事ランキング
検索
最新の記事
ブログジャンル
|
2010年10月29日(金)11:00~ 東京藝術大学奏楽堂
尾高忠明+東京藝術大学音楽学部学生オーケストラ ♪チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」 ♪プロコフィエフ/バレエ組曲「ロメオとジュリエット」~ モンタギュー家とキャピュレット家、少女ジュリエット、 アンティーユの娘達の踊り、朝の踊り、ロメオとジュリエット、 ジュリエットの墓の前のロメオ ♪プロコフィエフ/同~タイボルトの死(アンコール) 6月のプロムス1でシューマンSym2に感嘆し、すっかりファンになった藝大学オケ。将来世界でも活躍する若い才能達が同門の共通言語で奏でる音楽は、ビジネス社会では実現し得ない特別な魅力を備えていると感じる。 この日はプロコが出色。作品への私的な思い入れがあるとはいえ、思わず感涙してしまったほど。作曲者が巧妙に織り込んだ若い二人の瑞々しい心象は、学生の感性に殊のほかフィットしているのではないだろうか。中でも後半2曲は、彼らの内から溢れ出すような生々しい表現に完全に飲み込まれた。『ロメオとジュリエット』は艶々とした悦びが丁寧に語られて胸に迫る。『墓の前』の素直すぎる慟哭には強く胸を打たれた。彼らのヴィヴィッドな音楽が、同世代だった頃の自分の感性の引き出しを開いて巡るようだった。 チャイコの方は、子供の頃ラジカセで初めてエアチェックしたクラシック音楽が、尾高さんが振るN響定期のメインに据えられた同曲(確か1991年秋)だった、という極私的想い出のある作品。緊張感があり引き締まった構築が見事。プロコより管楽器の完成度が高く、ブラスが美しくも重量感たっぷりで聴かせた。また、耽美的なVnに加えて、多用されるVaとVcのsoliがたいへん豊かですっかり聴き惚れた。 もう1つ素晴らしかったのがコンミスの長尾春花さん、2007年日本音コンの覇者で現在学部3年生。メディアで拝見するばかりで今回初めて演奏を聴いたが、ノーブルな美しさの中にガツンとした押しの強さも備えていてとても惹かれるヴァイオリニストだった。『ロメオとジュリエット』のソロはジュリエット15歳の“無垢なる妖艶”を見事に描き出しており惚れ惚れ。『朝の踊り』で直向に裏打ちする姿は頼もしく微笑ましく。またまた楽しみなアーティストに出会ってしまった。 ところで、演奏の他に考えさせられる出来事があった。藝大プロムスは未就学児を入場可としている。この日、開演前から大声で叫んで客席を走り回る幼児がおり、周囲の聴衆が保護者に注意する光景を目にした。しかし嫌な予感どおり、チャイコ演奏中に度々大きな叫びが響き渡ってしまった。すると曲間トークで、尾高さんはハッキリとその子連れに退場を告げたのだった。それも「難しかったかな?終わるまで外で待っててね。」「赤ちゃんは悪くないんですけどね。」といったユーモアで会場の雰囲気を和らげつつ。それでもなかなか退場しない子連れに、遂には自ら舞台袖へ行き係員を派遣してなんとか静寂を取り戻すと、会場からはマエストロの英断に対して賞賛の拍手が起きたのだった。 ライヴの騒音問題は、この場ではとても語り尽くせない微妙なニュアンスを含むトピックなので詳述するつもりは無いけれど、この時の尾高さんの即断とコミュニケーションの妙には胸の空く思いがしたことだけは表明しておきたいと思う。 『タイボルトの死』の前には「これはあらゆる曲の中で1番難しい」と強調することで聴く側のハードルを下げ、学生が伸び伸びチャレンジできる下地を造ってあげた尾高氏。上述の鮮やかなトラブル捌きも然り、こんな先生の下で音楽できるなんて何と幸せなことだろう。 余談:奏楽堂の音響については響きすぎてあまり好かないのだが、この日座った7列目は舞台はるか上空の反響板から適度に溶け合った音が真直ぐ降り注いできてgood。やっとこのホールのベター・ポジションを探り当てたようだ。おそらく6列目から10列目辺り(間に通路を挟む)は同様によく聴こえるはず。それより後やバルコニーは、響きが拡散し茫漠としてしまっていただけない。奏楽堂は前方座席を狙うべし、というのが暫定的な結論。
by mamebito
| 2010-10-31 08:55
| コンサートレビュー
|
Comments(2)
|
ファン申請 |
||