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土曜は楽しみにしていたモルクの無伴奏チェロリサイタルが本人急病のため当日キャンセル。モルクは昨年6月の武蔵野も急病で払い戻しでした。私にとってはなぜか聴けない幻のチェリストになりつつあります。
さて、ショパンやリストのピアノ曲は正直疎いのですが、信頼するピリスのライヴならば作品の魅力を発見できるかもしれない、という期待から聴きに行きました。 2009年4月19日(日)15:00~ 武蔵野市民文化会館(大) Pf.マリア・ジョアン・ピリス Vc.パヴェル・ゴムツィアコフ(★) ♪ショパン/エチュード第19番(グラズノフ編)★、 ピアノ・ソナタ第3番 ♪リスト/悲しみのゴンドラ★ ♪ショパン/マズルカop.67-2、マズルカop.67-4、 チェロ・ソナタ★、マズルカop.68-4(遺作) 本日はコンセプチュアルなプログラム。ショパン最晩年の3年間に書かれた曲をほぼ作曲順に並べてオマージュを表すもの。「静寂を共有したい」という目的で曲間の拍手は一切なし。演奏中の雑音に対して念入りな注意が喚起されます。舞台にはピアノとチェロ椅子に加えて、上手側にローテーブルとチェア2脚が。ピリス独奏曲の間、チェロと譜めくりはそのチェアで待機。舞台上はあたかも近親者がショパンを音楽で偲ぶ小部屋のような雰囲気を醸し出していました。ゴムツィアコフはピリス演奏中にチェロ椅子へ移動もするのですが、所作がしめやかで音楽を邪魔しません。静寂を保つためチューニングも試運転も無く神妙に弾き始めるのは大変だったのでは。 各作品に漂う死の影が共通しているからか、あまり間を置かず連ねていくプログラムを通して1つの総合舞台芸術を鑑賞したような手応えがありました。 中でもソナタ3番は凄みがあり強く引き込まれました。ピリスは装飾的な音符にも息吹を込めるかのようで密度が非常に濃い。第4楽章の技巧的な箇所もごまかしがなく鮮やか。伝えたいメッセージが先行し技術が追いつかない演奏は多いですが、今のピリスは知と技と情を見事に兼ね備えた音楽を作り上げます、それも自然な流れの中で。この3番には恐れ入りました。 ゴムツィアコフとのデュオも秀逸。これほど二人のアーティキュレーションやザッツが噛み合ったデュオは久しぶりに聴いた気がします。例えばチェロソナタ第1楽章のルバート&アッチェルランドの噛み合い、第2楽章のリズム感や第3楽章のイントネーションの一体感など。第4楽章はチェロに乱れがあったものの、全編通して説得力ある好演でした。愛聴しライヴでも接したシュタルケル+練木の演奏よりもショパンらしかったかもしれません。 唯一残念だったのは演奏中の雑音。実は武蔵野では毎回雑音に悩まされています。飴の包み紙はもちろん、鈴やビニル袋、お喋り、演奏中退出etc・・・ほとんどの方が“静寂の共有”に協力していたのに残念なことです(やむを得ない咳やくしゃみはよいのです)。また、ピアノソナタ~休憩まで、ホール左側の空調が作動音を発していました。休憩中にこれを伝える聴衆達に対して「空調の音ですねえ、ええ」としか答えないレセプショニストには残念上塗り。武蔵野は企画がいいだけに肝心のホール現場でこの対応というのは惜しい。 とはいえ舞台上は素晴らしい音楽に満ちていたわけで、期待に違わずショパンの味わいにちょっと開眼した感がありました。安易な感傷でもなく、超絶技巧の披露でもなく、やかましい激情叩きつけでもない。ショパンってこんなにも硬派な内省を備えていたんだなと。この2人のこのプログラムだったからこその気付きかもしれません。他日公演ではより親密な静寂が共有されることを祈ります。
by mamebito
| 2009-04-21 00:41
| コンサートレビュー
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