|
タグ
レビュー(237)
オーケストラ(176) LFJ(37) CD(35) 弦楽四重奏(23) 交響曲(23) アマチュア(22) ピアノ(22) チェロ(20) 都響(18) バッハ(14) 室内楽(14) 新日フィル(13) N響(11) 雑談(10) 以前の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
お気に入りブログ
外部リンク
mamebito on twitter
検索
ライフログ
ネームカード
ファン
|
2012年 01月 27日
2012年1月24日(火)19:00~ サントリーホール野平一郎、杉山洋一+東京都交響楽団 Vc.堤剛 ♪野平一郎/管弦楽のための「トリプティーク」 チェロと管弦楽のための「響きの連鎖」 ♪ブーレーズ/エクラ・ミュルティプル (2002年最新改訂版・日本初演) ブーレーズ作品の記念すべき日本初演(1970年世界初演)。そして野平作品の自作自演、しかも初演ではなく再演というのはむしろ希少なこと。そのような貴重なイベントが今年の都響聴き初めとなった。 野平作品は、全体に低音や重い響きへの執着が印象的だった。その対称として、中高弦や木管によるtuttiが温かく響く場面が美しかった。表面的にはいかにもハードな現代音楽なのだけれど、聴いているとある種の体臭とでも言おうか、田舎の祖父母宅のような懐かしい匂いを想起させる音楽だと思った。 「トリプティーク」は、一見とらえ難いハードタッチの作風。全3楽章が続けて演奏される。冒頭こそ静謐だが、徐々にフル編成の重層的響きが増していく。第2楽章の音像のパルスが印象的で、何かソウルを感じる音楽が展開された。「響きの連鎖」は4部構成。第1部はPf+打楽器(舞台半円上に約45度ずつ4台配されたグランカッサを含む)、第2部は弦楽器を追加、第3部は3管フル、第4部は再びPf+打楽器という編成で、各部で演奏される楽器群だけにスポットライトを当てる演出が施された。独奏Vcがほとんど出ずっぱりで、劇的なストーリーを楽器で語る。40分近くかかると思われる大作は冗長に感じる部分もあったが、野平氏のシンプルなタクトから伝わる再演への情念のようなものに引き込まれる演奏だった。 期待のエクラ/ミュルティプルの構成と編成は、私が下手に言葉を連ねるより都響HP(動画解説)に詳しい。コンパクトで音の量が少ない分、その隙間に聴く側の妄想が掻き立てられるような音楽だと思った。野平作品の体臭と比べるならば、ブーレーズ作品に感じるのはパフューム。低い音・重い音の楽器がほとんどなく(PfとVc程度)、高い音のフラグメントが才気走ったエスプリを醸し出す。特に前半のエクラは、透徹した響きがサントリーの円やかな空間に投げ出された様子が妖艶ですらあった。続くミュルティプルでは9名のVaが追加され指揮台を囲む。音域的にも音符的にも後方に位置するソロ楽器群を支え、時に不規則なソロを奏でるなど活躍。ノタシオン等他作品と同様に音楽は忽然と終了し、残響に本来は終わりなく続くのであろ残像が映し出されるような不思議な感覚を伴って曲を終えた。下手にしゃくりあげたりフェイドアウトする締め方よりずっとかっこいい。 「響きの連鎖」ではVc.堤氏が八面六臂の活躍。もちろんチェロ独奏にそのような役割が与えられているからなのだが、そのロールを衰えを知らない存在感の強い音色と(細部は曖昧ながら)超絶技巧で、見事に再現されていた。終演後の野平氏も、堤氏様様といったご様子。また、ブーレーズを担当した杉山氏のタクトが明確で、難曲を振りなれていらっしゃるご様子が頼もしかった。ソロ楽器では、鍵盤奏者の大井浩明氏が客演。「響きの連鎖」では打楽器や低弦と息の合った楔を打ち込み、ブーレーズでは切れ味の鋭いタッチで存在感のあるチェレスタを奏でていらした。エクラのピアノも抜群に冴えていたのだが、私の席からはどなただったか確認できず。撥弦楽器ソロも高名な演奏家だったという情報があり、いわゆるエキストラならばよいけれど、そうした助っ人を揃えたからには冊子に記名しておいた方がよかったのではないだろうか。 楽団については良否両面あり。野平作品における量感十分で輝かしい金管群は見事、ここ数年隙のないホルンもさすが。首席2名が揃ったVcを含む低弦は安定したパフォーマンスで作品のキャラクターを表出していた。Fl.寺本氏のソロ、特にエクラでのアルトフルートは甘美な音色を含めて抜群に素晴らしかった。一方で、高弦(特に1st)の一部合奏に珍しく破綻が見られた点や、明らかに落ちている方がいらした点はいただけない。ブーレーズでのVa、舞台後方に座したソロの店村氏はさすがだったけれど、ミュルティプルでは食らいついて好演されている方々(主に若い方々)と見るからに音楽に乗れていない方々が分離していて、都響贔屓をしてもさすがに残念な部分は否めなかった。それでも、楽団全体から伝わる集中度は並ならぬものがり、両作品の特異なエスプリをきちんと客席に伝えてくれた演奏者の皆さんに、6割以上空いた客席を埋める勢いで拍手を送った。 2012年 01月 21日
2012年1月20日(金)19:15~すみだトリフォニーホール ダニエル・ハーディング +新日本フィルハーモニー交響楽団 ♪マーラー/交響曲第9番 思い入れたっぷりの熱演や豪演ではなかった。ハーディングは、時間の限り緻密にリハーサルしたと感じられる練り上げられた演奏を聴かせてくれた。演奏者の思い入れは、そうした細部への徹底姿勢にこそ現れていたとは言えるかもしれない。そこに彼ら(ハーディング+NJP)ならではの、颯爽とした音楽運びや丁寧な歌い口が加味されて、独特の魅力を備えたマーラーになったと感じた。 ハーディング+NJPはそこそこの頻度で聴きに行っている。最近では6月のマラ5にベト7、今回のマラ9に来週のロシアン・プロも。聴く度に思うのは、ハーディングのやりたいことはきっととてもたくさんあって高度なので、その一部でも再現できれば十分聴き応えを得られるのだけれど、“一定の枠の中でのベスト”という域を超えないもどかしさが残ることだ。ハーディングが振るんだからこの程度ではないだろう、と。いや、もちろん、様々なリソース制約の範囲内で最善を尽くすのがプロだ、と言われれば確かにそうなのだけれど…。 この日のマラ9も上述の“一定枠の中でのベスト”といった印象。全体に声を荒げず、音楽の頂点をきちんとブルレスケ後半~終楽章に持っていく構築はさすが。前半楽章は、強弱のスイッチをオンオフするような展開にもなりかねないところ、その中間のステップに溢れる有意な音楽も余すところなく炙り出そうとした。特に第1楽章の冷静なバランス構築と音楽運びは見事。まだ楽団が堅く不安定な中、適度に音楽を流すこととタクトで引き締めることを両立する手腕はさすがハーディング。そして緻密なリハーサルが奏功したと思われる部分では、複雑なテクスチュアのそれぞれを見通せる上に渾然一体となった響きのバランスも絶妙、という理想的な瞬間が度々訪れた。 第2楽章では、これもハーディング節といえようか、古の巨匠ならばべったり音を張るだろうところを、減衰させたりふわりと響かせたりしながら極めて見通しの良い音楽を構築していく。ここではNJPが誇る2大ソリスト、Fl.白尾氏とOb.古部氏が格の違うソロを聴かせ琴線を揺らした。Fg.坪井氏のクリアなタンギングによる動機提示も光った。 ブルレスケも煽りすぎず、決してスポーティに突き進むだけではない。中間のおどけた叙情を、単純な繰り返しではなく楽器使いの妙で描き分け色彩的だ。また、強い楽器(Timpや金管、Hr)に何段階ものダイナミクスを施して、音楽の高揚を巧みにコントロール。かといって欲求不満に陥ることなく、楽章終盤の引き締まった推進力は凄みを備える。楽団の鳴りと集中も最高潮に達した。 アタッカ気味に入った終楽章は、NJP弦セクションの暖かく円やかな響きが最高に美しい。コンマスが熱血漢ではなく豊嶋さんだったことも幸い。MCOでは時々突出して聴こえた氏のリーダーシップが、鳴りきったフルオケでは最高の調和に結びつくのだろうか。ハーディングはやや遅めのテンポでじっくりと、情に溺れずも情を込めつつ、その揺れる狭間を縫うように叙情を描いた。泣き節直前のエグゾーストな演奏も好きだけれど、この日の知と情のバランス感が私にはとても心地よく感じられた。ハーディングのこうした所のセンスが好みなんだなあ。最後は、トリフォニーの繊細な音響が、微弱で奏でられる弦のフラグメントを柔らかく客席に届けて美しく演奏を終えた。 ところで、聴く側としては“その気”のままフィニッシュまで没入させてもらいたいもの。しかし、Clの一部でピッチが合わなかったり、Hrが時々当て損ねたり、弦が隣の開放弦をお触りしてしまったり…その度にふっと現実に引き戻されてしまう。誤解を恐れず言うと、例えば在京楽団ならばN響や都響や読響では、いわゆるチョンボにより鑑賞の集中を殺がれることは滅多にないわけで、この日のNJPは良い意味でもうちょっと上手なごまかし方ができなかったものか?と思わずにはいられなかった。彼らの到達目標(創り上げようとしている音楽)がもの凄いものだということは伝わってきていただけに。 客席は、つい先日ギルバート+NYPのマラ9で起きた携帯電話事件の影響もあってか、何となく厳格にハーディングがタクトを下ろすまで1分弱の余韻を堪能。適度に熱い喝采と、数回の後にマエストロへのソロ無しでスッキリと終わったカーテンコールが潔く、演奏のキャラクターとも美しく同期していたように感じた。 2012年 01月 19日
2012年1月15日(日)15:00~ トッパンホールアルカント・カルテット Vn.アンティエ・ヴァイトハース、ダニエル・ゼペック Va.タベア・ツィンマーマン Vc.ジャン=ギアン・ケラス ♪バルトーク/弦楽四重奏曲第6番 ♪ハイドン/弦楽四重奏曲第49番 Op.64-2 ♪ドビュッシー/弦楽四重奏曲 ***以下、アンコール*** ♪クルターク/6つの楽興の時~カプリッチョ ♪ブラームス/弦楽四重奏曲第3番~第3楽章 ♪J.S.バッハ/フーガの技法~コントラプンクトゥスⅠ 最高の聴き初めになった。アルカントQの音楽は「巧い」という知覚を超えて、「音楽の至福」そのもと一体化していたように感じた。また、過去に愛聴した彼らの音源や映像にも増して、表現が自由自在でたいへん魅力的だった。 プログラミングも絶妙だった。冒頭からバルトークの、よりによって第6番で緊張感が高まった心身は、乾いたスポンジのようにハイドンの純正短調で浸された。コンサート序盤は聴く側の体力も十分、難曲を集中して鑑賞するにもちょうどよい順序だった。そして、バルトークでストレッチしてからハイドンで整えた心身は最良のレディネス状態、後半の表情豊かなドビュッシーを余すところなく味わうことができた…。この捉え方が演奏者の意図に沿うものかわからない。ただ選曲には、コンセプチュアルな連接性やステレオタイプの配置論だけでなく、“身体的に音楽を味わい尽くせる組合せの妙”という観点もあるのだ、と改めて気付きを得た心地だった。 さて、演奏はアンコールに至るまでどれも表現力と柔軟性が驚異的。全体にテンポを急くことがない中で、スコアの旨味を余すところなく表出していく造りに感じた。まず、これほど苦も無く余裕をもって奏でられたバルトークは初めて。難度が高くて濁りや停滞が生じがちな場面でも視界明瞭。第1楽章の極度の緊張感、第3楽章の民族的なえぐみ、変拍子のスリルと不協和音の背筋が凍るような美しさ…様々な感興が最高純度の“そのもの”として供され、大音量や刺激を用いるよりもむしろ大きなインパクトに飲み込まれるようだった。 先述のとおり、バルトークで鋭敏になった耳には協和度の高いハイドンの調性がことさら滋味豊かに沁みた。演奏はダイナミック。古典音楽の均整美を保ちながらも、ハイドンが施した様々なチャレンジが生き生きと顔を覗かせる。さらに刻みの1音1音に至るまでなんと瑞々しいことか…。彼らの演奏でハイドン・チクルス(特に『太陽四重奏』辺り)を催したら、どんなにか魅力的だろう! ドビュッシーも圧巻。表現が豊かでどこを切っても音楽を感じる、濃度の高い演奏。特に多彩な音色表現には強く打たれた。第3楽章で2ndゼペック氏→Vaツィンマーマン氏へと渡される冒頭主題など、円みと物憂さを湛えて絶品。両端楽章の表現のうねりや、スッと退くような間合いの妙、第2楽章の息の通ったピッツィカート等々、琴線を揺らすきらびやかな部分を挙げだしたらきりがない。 さらに多彩なアンコールは、アルカントQの懐深い魅力を楽しむのに最適なチョイス。クルタークは、文字通り気まぐれな断片の乱舞が冴え冴えして鮮やかなこと!ブラームスでは、Va以外ミュートを付したひなびた音色が、一瞬で北ドイツの冬を思わせる寒色浪漫に会場を染めた。フーガの技法もアンコールとて手抜き無し、神経を集中した4人は主題を丁寧に紡いで行き、その純度の高さゆえに誰もが仮託し得るようなバッハを残して喝采を呼んだ。 この日は終始ヴァイトハース氏が1stで、以前のようにゼペック氏と交代することはなかった。最近はこの布陣で定着したのだろうか。幸運にもチェロを正面から捉える最前列だったので、3人と少し間を明けて伸び伸びと奏でるケラス氏の妙演も堪能。早期完売の堅気の室内楽は、この場を大切に聴く人が多く集うのだろう。客席の集中が高く、カーテンコールの清々しさまで申し分のないマチネだった。 2012年 01月 02日
昨年からランキングを辞して、印象深かった10の演奏会を振り返ることにした年間総括。2011年は、公演日順に以下のコンサートをピックアップ。
♪2011年印象深かった10の演奏会 1.LFJ2011 5/4 Vn.庄司+Vc.ヴァシリエヴァ他(C-24c) 2.5/21 キム・カシュカシアン無伴奏ヴィオラ・リサイタル 3.9/7 武生国際音楽祭2011(世界の精鋭&今井信子) 4.9/24 ブロムシュテット+N響@みなとみらい 5.9/28 ナガノ+バイエルン国立歌劇場来日記念特別演奏会 6.10/20 スクロヴァチェフスキ+ザールブリュッケン@初台 7.11/1 テミルカーノフ+サンクトペテルブルグ+庄司紗矢香 8.11/2 エベーヌ弦楽四重奏団@ヤマハホール 9.12/8 フォーレ四重奏団@浜離宮 10.12/15 N響第1717回定期(デュトワ+Pf.ルガンスキー) 3.11の2ヵ月後、数多の来日予定がキャンセルされる中で、予定通りリサイタルとヴィオラ・スペースに出演し、細部まで心の通った演奏を聴かせてくれた2.カシュカシアン氏。完璧なテクニックと包容力溢れる音色美が最高度の音楽性の内に統合され、ヴィオラと言う楽器の認識を改めた貴重な機会だった。 振り返れば、室内楽で例年以上に魅力的な出会いに恵まれた。贔屓の9.フォーレQで大好きな作品を最高の音響で堪能できたことは、文句なしに幸せだった。夏に旅した時には、まさか“日本一幸福な県”になるとは思いもよらなかった(笑)福井県の3.武生国際音楽祭では、日本出身の名手達による贅沢すぎる一期一会を堪能。8.エベーヌQは、クラシック作品(特にドビュッシー)も瑞々しく素晴らしかったが、クロスオーバーやジャズにおける借り物ではない迫真のパフォーマンスに、音楽の新たな楽しみを見出したりもした。 そして、これも実質的には室内楽(デュオ)と同じような感覚で堪能したのが、1.LFJにおける庄司さんとヴァシリエヴァによるブラームス『二重協奏曲』。抽選で手に入れた最前列ど真ん中の席で、二人の熾烈なパフォーマンスを目の当たりにしてすっかり飲み込まれ、その才に瞠目したのだった。 海外の楽団は放射線忌避の払い戻しが多数あり、印象深いオーケストラ公演は秋口から目白押しとなった(6月のハーディング+マーラーcoは座席とコンディションが悪すぎてここには挙げ辛い…)。中でも深く感動したのは6.スクロヴァのシューマンとブルックナー。特に後者は、同じホールで聴いたヴァント最後の来日公演を思い起こさせるに十分な、けれどもヴァントとは異なるアプローチによる、久々に深く記憶に残る名演奏だった。 3割近い団員が来日を拒否したというバイエルン歌劇場引越し公演の合間に行われた5.オーケストラ・コンサートは、やはり何となく本来の磐石の雰囲気には欠けたものの、いかにもドイツのピットオケらしい響きとナガノ氏の類稀な音楽創りにどっぷり心酔できて嬉しかった。お国モノの魅力という点では、7.テミ氏+サンクトの帝政ロシアを思わせる味わいと現代的機能美を併せ持った『春祭』がお見事。ただのアンコールではなかったニムロッドも印象深い名演奏だった。 4と10は…都響贔屓を自負しておきながらN響2件というのはいかがなものか(笑)。ただ言い訳すると、都響さんが素晴らしいのはもはや当然で、むしろN響さんからちょっと桁違いの高みに至る演奏を聴けた衝撃の方が印象深かった、ということで…。N響さん、ここ数年のメンバーチェンジや読売巨人軍並みの贅沢な補強(笑)を経て、音楽の質が確実に変化してきていると感じる。都響も素晴らしい演奏はあったけれど(インバルとの『英雄の生涯』やギルバートとの『ブラ1』など)、演奏会全体を通して、あるいは他曲を圧倒してまでの名演奏にはたまたま当たらなかった、ということで…。2月の大植+大フィル、7月のMCOチャリティ、3プログラム聴くことができたカンブルラン+読響、温かく包み込まれるようなブリュッヘン+新日poのロ短調ミサ、世界に誇る我らがOLC、認識を改めた神奈フィル…等々、日本の楽団の素晴らしい演奏にもずいぶん楽しませてもらった。 他には、1月グリモーのオーケストラ並みに雄弁なピアノの凄み、6月プレスラーらによる贅沢な1時間、7月は贔屓のウェン=シン無伴奏、9月鈴木秀美組による最高純度のフルカル、10月オノフリ組による超絶ラ・フォリア、11月には頭を熱くしたエマールのコラージュなど、やはり室内楽で世界一級の驚きや悦びが充実していた。 震災で一時公演が激減した割には、そして弾く方の本番が前年から倍増した割には、2011年は過去最多の65公演を聴きに行ったらしい…。音楽祭におけるまとめ聴きや、チケット掲示板で気軽に安価で調達できる環境が幸い(災い?)しているとはいえ、聴ける時に聴けるだけ聴くスタンスもそろそろ下火にして、今年はもう少し自分のキャパに見合った選択と集中も図っていこうと思った。ん?1年前も同じようなことを書いた気がしてきたけれど…(笑)。 ------------------ いつも拙blogをご覧くださっている皆様、本当にありがとうございます。3.11直後、しばらく一人ではシリアスな作品を聴けない状態にまで落ち込んだ2011年、音楽仲間との繋がりがどれほど救いになったことか。どうぞお気軽にコメントなどお寄せください。本年も皆さまと音楽の幸に舌鼓を打ち、心の栄養に満ちた1年にしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。 2010年 印象深かった10の演奏会 2009年を振り返る~コンサート・マイベスト5 mamebitoのマイ・ベスト・コンサート2008 2012年 01月 01日
2011年12月30日(金)14:00~ルーテル市ヶ谷ホール Vn.依田真宣、須山暢大、塩田脩、宮田英恵 Va.瀧本麻衣子、村田恵子 Vc.長谷川彰子、山田幹子 Cb.高橋洋太 ♪ロッシーニ/VcとCbのための二重奏曲 ♪モーツァルト/VnとVaのための二重奏曲 ♪ドヴォルザーク/三重奏曲 ♪メンデルスゾーン/弦楽八重奏曲 ♪モーツァルト/ディヴェルティメントKV136~第3楽章(アンコール) 2011年の聴き納め。弦楽器による室内楽の醍醐味とも言えそうな好プログラムを、アンダー29の名手達による合奏する楽しさ全快の演奏で堪能した。 ただ、前半は少々エチュード的な雰囲気を脱せず。年末にこれだけのメンバーの日程をあわせるのはなかなか難しかったのかもしれない、全員が出演するメン8の準備を優先されたのではないだろうか。前半はもう少し、自分のおたまじゃくしを並べる以上の絡みや即興性やある種の胡散臭さにトライしてくれたら…と思ったのは贅沢だろうか。それでも、依田さん+塩田さん+瀧本さんによるドヴォルザークは、目に見えるコンタクトだけでなく互いを察し合う気配があって、叙情的な作品とのマッチングもよかったのか、手応えあるカンタービレを聴くことができた。 休憩を挟んだ後のメン8は、前半と打って変わって瑞々しさと情熱が溢れた。コントラバスを加え9名で演奏されたことも、響きが豊かでアグレッシヴな演奏に輪をかけたようだ。第1楽章から極めて高いテンションが貫き、一気呵成に突き進むようで、4列目中央で聴いているとメンデルスゾーン一流の若々しいロマンに飲み込まれるようだった。第3楽章では、前向きで軽妙なリズムの断片が随所でピチピチとして愉悦に溢れる。終楽章はさらに集中力が高まり、皆さんのポテンシャルが全開して各パートの有機的な絡み合いも十分。演奏者の合奏する楽しさに聴衆も乗っかって熱くなるような、幸せな形で音楽はクライマックスを迎えた。アンコールのモーツァルトも、ありがちな繊細で優美なアプローチというよりは、各パートがグイグイとアグレッシヴに主張して生彩に富み、爽快だった。 全体に、MCOやKSTにもいらした依田さんのリーダーシップが卓越していて、おかげで皆さん安心してご自身のセンスを解放し楽しんでいるように見えた。また、Va.瀧本さんとVc.長谷川さんが好みのタイプの演奏家であることを発見。度々お名前を拝見する瀧本さんは、かなり高めに楽器を構えると、ソリスティックな場面では美しく存在感を示し、合奏中の下支えや影造りでは周囲とよく馴染みお見事。初めて拝聴した長谷川さんは、身体的アドヴァンテージがなくても(背丈や手が小さくても)十二分にチェロを弾けることを実証。しかも、合奏の気配がびんびん飛ぶ人で、体中から音楽が湧き出すような姿が魅力的だった。 2011年 12月 31日
2011年12月15日(木)19:00~ サントリーホールシャルル・デュトワ+NHK交響楽団 Pf.ニコライ・ルガンスキー ♪ヒンデミット/ウェーバーの主題による交響的変容 ♪プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 ♪ラフマニノフ/13の前奏曲~第12曲(アンコール) ♪バルトーク/管弦楽のための協奏曲 どうしても聴きにいきたい曲目と演奏者の組合せというのは、1年のうちなかなかあるものではない。本公演はそのうちの1つ。 プロコのPfコン3番は高1の冬に呆れるほど聴き込んだ(当時はエアチェックしたキーシン+キタエンコ+モスクワpoのLive録音を)。ルガンスキーは最も好きなピアニストの1人、以前から氏によるプロコをライヴで聴きたかった。それを協奏曲が巧みでプロコと相性抜群のマエストロで聴けるとは。また、デュトワによるオケコンには思い出が。モントリオール響との1995年4月5日来日公演、珍しくドヴォルザーク+シューマンという前プロ(このシューマンSym4が教会的な響きによる敬虔な名演で…)の後、オケコンがあまりに鮮烈かつシリアスで胸に迫ったことが忘れられない。加えて、デュトワはあまりヒンデミットを振らなかったが、ぜひマエストロのタクトで捌いてほしいと思っていた。会場も、NHKホールではなくサントリー定期で好ましく。総じて、この日は私にとって1曲も気を抜けないプログラムになった。 プロコは期待通り、ルガンスキーが圧倒的。粒立ち鮮やかでたくましいタッチに高貴な余裕が宿るのは、類稀なフィジカルの為せる技か。長く大きな手指が縦横に鍵盤上を駆け巡る様は目にも鮮やか。第1楽章に頻出する跳躍、確実に当てるだけでも精一杯な演奏が少なくないが、ルガンスキーは和声のつながりを再現したり高音の跳躍にコケティッシュな表情まで具備したり、これほど音楽的に奏でた同曲のソロは初めて聴いたかもしれない。そして絶妙のテンポ感。第1楽章の駆け込みなど、デュトワの巧さと相俟って極めて爽快だ。テンポが移り変わる第2楽章は、そのキャラクターが明確に表出されて色彩的。終楽章は無為に走り抜けることなく、テンポのど真ん中を捉えてタッチの軽重で立体的な音像を再現していくよう。アルゲリッチやクライネフやトラーゼには聴くことができず、上述10代のキーシンには聴くことができた表現だ。あまりに見事で、ただただ聴き惚れるばかりだった。 オケコンは久々に(良い意味での)デュトワ節に彩られた。各パートのソロが鮮やかに浮き立ったり陰に回ったり、極めてスムーズに受け渡されていく様子はまさに協奏曲。そして混濁のない≒誤魔化しのない透徹した響きの美しさ。それは決して人工的であったり機械的なものではないし、押付けがましい“オケコンかくあるべし”とも一線を画する。例えば、悲歌のやり場のないシリアスな叙情や、フィナーレにおける屈することのない英雄的力強さといったものが、たいへんピュアに伝わってくるようだった。 ヒンデミットは案の定、エキゾチックな風合いや変質性よりも、色彩感と美しさを冴え冴えと表現した。好みを分かつかもしれないが、第2曲の変奏の精緻な造りに感嘆したり、第3曲のマイナーコードがたいそう美しかったりと、目から鱗が落ちたのは私だけだろうか。 そうした表現を為し得るのはオケに抜群の巧さがあってこそ。春祭やオケコンはデュトワ時代からの十八番とは言え、N響さんが本気になった時の到達レベルは当時をはるかにしのぐ。この日の表現の余裕とブリリアントな響きの贅は出色だった。普段なら落ち着きすぎに感じる協奏曲のバックも、プロコでは本来のエスプリの丁寧な表出を担保した。オケコンで管楽器が一部でとちった以外は、各パートほぼ完璧で粒の揃った見事な妙技を堪能した。それも、普段こじんまりまとまって面白みがない音楽とは異なるカタチで。 ところで…N響B定期の一部会員様には今回も興を殺がれたと言わざるを得ない。概ね高い席でご高齢に見える方々の、拍手をしないこと、カーテンコール中に退席する人の多いこと多いこと。後者は、アンコールをしない定期では他楽団でも見受けられるけれど、その人数はN響がダントツに多いと思う。もちろん、中には早く退席せねばならない方もいるだろう。でも、例えば先日の都響など、そのような方々には後ろ髪引かれるような“雰囲気”が漂っていたりするわけで…。言い出したらきりがないので控えるけれど、良い演奏家や楽団の成長には、聴衆の懐深さや柔軟性が欠かせないのではないだろうか。N響さんの演奏は時々、世界一級に巧いのにシラケて感じられることがあるわけだけれど、その原因を運営母体や楽団員さんだけに求めると本質を見誤るのではないか、と思っている。 2011年 12月 26日
2011年12月14日(水)19:00~東京オペラシティコンサートホール エリアフ・インバル+東京都交響楽団 Vc.ガブリエル・リプキン ♪ショスタコーヴィチ/チェロ協奏曲第2番 ♪J.S.バッハ/無伴奏チェロ組曲第3番~ブーレ(アンコール) ♪ショスタコーヴィチ/交響曲第5番 都響とショスタコーヴィチは相性がいいのではないかと思っている。2004年2月に聴いたデプリーストとの10番など、東京文化の暗いアコースティックと相まって名演奏として記憶している。それだけに、インバルとのショスタコ・チクルスには、ベートーヴェンやマーラー以上に期待をしている。 インバル+都響の5番は、1995年5月4日にサントリーのP4列で9番と一緒に聴いたことがある。当時まだ日本の楽団に華奢な印象を持っていた私にとって、その時のズシリと腹に響くサウンドの強さ、ゾッとするような懐深い表現にすっかり感嘆した記憶がある。 あれから16年半、インバルの解釈に大きな変化は覚えなかったが、オケの巧みさ・スケール感・表現の余裕は確実に一回り大きくなっているように感じた。全編で覇気に満ち、緊張感あふれる音楽が展開する。かといって、BPOを振った佐渡さん(≒師匠レニー)のように想いの限り汗だくなものではなく、緻密に組み上げられた堅牢な建造物を思わせるアプローチだ。そして今回も、インバルの音楽運びが抜群にうまい。暴発しないクライマックスコントロール(両端楽章)、第3楽章はVcソリを頂点としたエレジーの真摯な語り口とストーリー展開の自然さ、終楽章tuttiにおける適度な煽りと楽員を裏切らないタクト…大船に乗った心地で音楽に身を任せられた。ただ、この日は都響らしからぬことに、所々木管の音程が微妙に合わないまま押し通したり、弦に誤って飛び出す人がいたり、気負いから来るのだろうか、些細だけれど合奏上の瑕疵が見受けられたのはもったいなかった。それでも、音楽に備わる説得力はたいへんなもので、期待通りの豪演に違いなかった。 しかしながら、この日最も心奪われたのは前プロのチェロ協奏曲におけるオケだった。らしからぬ傷があった5番に比して、こちらの伴奏はほぼ完ぺき。しかも、作品独特の冷ややかな叙情が見事に表出されていたし、ソロを包み込むアンサンブルには鉄壁の余裕があった。中でも、印象的に用いられる低弦の動き・ピツィカートがグロテスクで絶妙、ホルンによる警鐘の斉奏はあまりに巧くて舌を巻いた。リプキンのソロは、憑かれたような独特の味付けをフレキシブルに表現してなかなかに聴かせた。ただ、丸みがあり低音が美しい彼のチェロは、モテ音色ではるものの、迫真のオケと比べた時に少々ゆるい印象を覚えなくもなかった。とはいえ、第1番に比べると取り上げられる機会が少ない第2番において、これは出色の演奏だったのではないだろうか。 なお、リプキンのアンコールは、バッハ全集の録音で聴かせた独自の表現を一段と徹底。自由自在なダンスが弱音の中で繰り広げられ、会場の集中力を喚起した。彼の音色と感性は、こういう曲の方が光ると思った。 この日もオクタヴィア・レコードが音源収録していた様子。リリースされるのは交響曲の方だろうか。とすれば、職場の忘年会で泣く泣くチケットを手放した(苦笑)12/20の「1917年」も、オーディオで楽しめる日がせめて早く来ることを願うばかりである。
|