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2012年 05月 22日
2012年5月5日(土)14:30~ ホールB5Sop.マリア・ケオハネ リチェルカール・コンソート ~ボリス・ゴドゥノフ宮廷の音楽~ ♪メルカー/パヴァーヌ「ゴドゥノフ」 ♪ダウランド/デンマーク王のガイヤール、帰って来てもう一度 ♪ニコルソン/「ジョーン」とジョンは言った、ユダヤの踊り ♪作曲者不明/ナツメグとジンジャー、暗闇こそ我が喜び、ダフネがアポロンから逃れた時、女房は家に置いとけない、市場はしまいださあ帰ろう ♪ブレイド/カーネーションの花、サテュロスの踊り ♪バード/若葉は青く ♪ニコルソン/かっこう ♪作曲者不明/この麗しき春 ♪バード/乙女 ♪ダウランド/あの人は許してくれるだろうか僕の過ちを すっかり遅くなったLFJtokyo2012最終鑑賞公演の感想を。もはや開催テーマに関係なく、来日している以上は聴かずにはおれない演奏団体になってきた、リチェルカール・コンソート。今年の締めくくりにふさわしいたいへん上質なパフォーマンスだった。 ガンバ達のなかなか合わないチューニングの響きを聴くだけでも、耳に美味しい。ピエルロを中心にした6名は、会場を一瞬で古雅な一席の空気に染めた。それに、初めてLiveで聴くダウランドらの歌は歌詞が英語で、独語や仏語に比べれば意味を汲み取れることも何だか新鮮だ。 個別には、「ナツメグとジンジャー」のようなポピュラーピースもありそれぞれ心躍ったのだが、何よりもプログラム全体の物語や雰囲気がたいへん味わい深かった。澄んだヴィオール群の響きの後、世俗歌謡の色香にのぼせ、タンブリンの躍動に熱くなり、インターバルで雰囲気を持続するような器楽合奏の後、再びソプラノによる愛らしく温かな歌唱で幕を下ろす・・・といった具合に、場の空気の変遷がすこぶる楽しい。 ピエルロ組の演奏はもちろんピカイチで、さらに驚いたのはケオハネ。カフェ・ツィマーマン公演のVTRなどで美声は認識していたが、歌唱と立ち居振る舞いを合わせて会場の空気を自在に千変させてしまう芸に、心底感嘆した。 正直なところ、今年鑑賞した中で最も座席が悪く(B5サイドの最後方)、ニュアンスや所作の詳細を味わえなかったのは惜しい。例年腑に落ちないのだが、フレンズ先行で当選した座席が悪く、一般発売後の座席の方がずっとよいことがしばしばある。座席位置にこだわる客層はメインターゲットではないのかもしれないが、それにしても登録者にメリットがありそうで実はさほどでも無い先行発売はやめたらどうか。販売側のキャパが問題であれば、申込みを分散する方法は他にいくらでもあるだろうに。 ・・・などと今年も各公演で演奏の外に文句を並べつつも、鑑賞した音楽はそれぞれにたいへん充実して、実り多いLFJだった。 2012年 05月 10日
2012年5月5日(土)12:45~ ホールB5
ヤーン=エイク・トゥルヴェ+ヴォックス・クラマンティス ♪クレーク/夜の典礼 ♪作曲者不詳/賛歌「沈黙の光」(ズナメニ聖歌) ♪ペルト/カノン・ポカヤネン~オードⅠ、オードⅡ、オードⅣ、コンタキオン、イコス、カノンの後の祈り ♪作曲者不詳/賛歌「沈黙の光」(ズナメニ聖歌)(アンコール) コテコテのイタリア歌唱や“○百人の第九合唱”の類は大の苦手なのだけれど、古楽合唱やこういう声楽は大好きなのだ。そして、単独来日ではなかなか組めない好プログラムで彼らのような合唱団を聴けるのは、LFJtokyo初期からの最大の魅力の1つだと思う。今年もその恩恵に浴した。 5/3もこの日も、彼らの技術は安定して高いと思った。そして声質が何ともいい。涼しいというだけでは言い表せないし、荒涼というほど寂しすぎもしない。透明感の内に、霧のような冷やかさや木造建築の温かみを漂わせ、魅力的だ。男女約半数ずつの十数名、無垢な女声もさることながら、男声アルト(C-T?)の美しさ、バス持続音のホーミーのような不思議な倍音にも、とても魅了された。 クレークもペルトも聖歌。前者はメロディアスで、ヴォックス・クラマンティスの温かみが強調され耳に心地よい。後者はルネサンスやグレゴリオ聖歌に傾倒したシンプルな構造・和声に、作曲者独特のミステリアスな叙情が宿る。ほとんど同じパターンをパートを変えて繰り返し歌うだけなのに、ミニマル・ミュージックとは違う意味でずっと続くような、ずっと続いて欲しいような酩酊感に包まれる。それだけ1つ1つの発声と歌唱が磨き込まれているのだろうか。2年前の夏、ヘルシンキに滞在しながらタリンに足を延ばせなかった個人的な想い出とも重なって、耳も気持ちもリセットされるような心地だった。 アンコールは「沈黙の光」をパートを変えて。響きの少ないB5のしかも最前列で聴いても、彼らのハーモニーは見事に溶け合って聴こえた。人の声の魅力を堪能したプログラムだった。 2012年 05月 09日
2012年5月4日(金・休)21:15~ ホールC
山田和樹+横浜シンフォニエッタ ♪チャイコフスキー/弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出」(弦楽合奏版) 弦楽セレナード LFJtokyo2012の2日目は、弦セレで始まり弦セレで終わった。それも全く異なるタイプの演奏による。こちらは、瑞々しく情感豊かなチャイコフスキーだった。若々しいのだけれど、それは年齢的なものだけでなく、年齢にかかわりない純粋性のようなものを感じさせるのだった。 横浜シンフォニエッタに対する印象は、以前聴いた感想でも触れたのでここでは割愛。フィレンツェの技巧的な第1楽章前半は熱しきらない様子があったものの、その後は緩徐楽章の丁寧な歌い込みから終楽章のたたみかけに至るまで、適度にアグレッシヴな緊張が持続された。その反応の素早さ、頭で合わせるのではなく体で自然と合うような一体感は、目にも耳にも気持ち良い。特に両作品の終楽章、快速で飛ばしながらも大味にならず、どんどん密度が増していくような充実感にはグイグイと惹き込まれた。 山田さんのタクトは相変わらず無駄がなく分かり易い。長年連れ添った楽団ゆえもあるだろうけれど、合奏はメンバーに任せてロマンティシズムの高まりを大きなスパンで描いたり、思わぬアクセントやルバートで音楽を引き締めたり、自在だ。それらにメンバーがガッツリ反応するので、彫りの深い表現が生まれるのかもしれない、たいへん聴き応えがあった。ところで、弦セレ第1楽章の最後にC全音のユニゾンが付加されていたのは、録音でも実演でも初めて聴いた。版の違いがあるのだろうか? 客席には爽やかな熱気が伝播した。両曲ともカーテンコールは大喝采、特に弦セレはスタオベで出演者全員を再度舞台へ呼び出した。ちょっと過剰反応な気はしたけれど、その盛り上がりはお祭りの醍醐味の1つでもあって、素直に楽しかった。 ところで開演前、指揮者が登壇し振り下ろそうと構えたところで、断続的な電子音が客席に響いた。山田さん自身、舞台から携帯の電源OFFを呼びかけ、舞台袖からスタッフの方も呼びかけたが、停止する様子無し。団員の方が音程をまねたり、止まりそうで止まらない様子をこの日のお客さんは苦笑で和ませたからまだ良かったものの、心当たりの方には猛省再発防止を決してもらいたいものだ。 2012年 05月 06日
2012年5月4日(金・休)19:45~ ホールA
ドミトリー・リス+ウラル・フィルハーモニー管弦楽団 Vn.庄司紗矢香 ♪ショスタコーヴィチ/ヴァイオリン協奏曲第1番 ここ数年の庄司さんは、聴くたびに深みや揺ぎなさを増すようで頼もしい。この日も、鈍重なオケとは格違いの演奏に感嘆するばかりだった。 長大な第1楽章、一音一音込めるようにヴィブラートで鳴らし、音量や音圧とは異なる意味での音の重みがすごい。そしてハイポジションの抜けるような音程の美しさ、名手なら誰でも出来そうでなかなか出来ない、彼女の最大の魅力の1つが光る。 第2楽章は、彼女の物理的音量では楽団に埋もれるかと思いきや、1F前方で聴く限り膨れた響きの中から刻みやスフォルツァンドが突き抜けてきて痛快。 第3~第4楽章カデンツァは、静寂から緊張へ至る音楽の流れがたいへん見通しよく、説得力を極める。腕っ節や激情で強引に聴かせる演奏は数多あれど、知らぬ間にショスタコのシリアスな叙情へ引き込まれて、魔法にかかったような心地だ。 第5楽章は一段と切れ味を増す。第2楽章もそうだが、Allegroのテンポをモーツァルトのごとく前向きに取り、力みなく闊達に音楽を運ぶ。かつて、NHKホールなどで力演のあまり音楽が膠着していた姿は既に昔、今やあの細腕と脱力した奏法でこのような作品も自在に鳴らしきる術を手中にされたご様子。フィニッシュへの追い込みも十分に劇的で、思わずブラァヴォ!も頷ける素晴らしい演奏だった。カーテンコールは一段と堂々として、また一回りカッコよくなられた印象。あと、ちょっと日焼けした?(笑) 方や、ウラルpoの面々はお疲れだったのか?腰が重いは、響きは鈍いは、発音にキレがないは・・・庄司さんが描く磨きに磨かれた音楽世界とは雲泥の差。特に上述Allegro楽章は、ソロとテンポ感が違いすぎていただけなかった。同曲の録音の方は大丈夫なのかもしれないが、この日の演奏を聴いてしまったらいくら庄司さんが素晴らしくてもディスクに手は出にくいなあ・・・。これが、インバル+都響だったら、などと無いものねだり。 幸いにも、公演直前に4列目中央の良席が手に入り、ホールAのディスアドヴァンテージに影響されず鑑賞できた。余談だが、今年から舞台左右に設置された大スクリーンは、音楽をLive鑑賞する醍醐味を減じる上に1階前方にいても目障りなので、今後は絶対に持ち込まない方がいいと思った。 2012年 05月 05日
2012年5月4日(金・休)10:45~ ホールB7
アレクサンドル・ルーディン+ムジカ・ヴィーヴァ Pf.クレール・デゼール ♪チャイコフスキー/弦楽セレナード ♪プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第3番 LFJtokyoのAとB7は忌避しているホールなのだが、この日は致命的にデッドなB7の音響が、普段残響に埋もれて聴こえにくいおたまじゃくし達をあらわにし、むしろ印象的な演奏に結びついた。 特にプロコ。当時のパリではエキゾチズムに違いなかった独特のロシア叙情や五音階風のテーマ、さらに作曲者一流の緻密なオーケストラの動きが、残響に溶けることなくいちいち聴こえてきて楽しい。実は最も好きなピアノ協奏曲の1つなので、相当聴き込んでいたつもりだったのだけれど、これほど肉感豊かで色彩的なオーケストレーションだったかと、作品の魅力に改めて胸が熱くなった。 初めて聴くムジカ・ヴィーヴァは、日本のメジャーに比べたら上手とは言えないけれど、1stVn:8型の小編成でキビキビしていて好ましい。指揮のルーディン氏は、バッハ無伴奏チェロ組曲の名録音(NAXOS)で時代楽器を巧みに用いるなど、旧来の熱血剛毅なロシアの固定概念とは一線を画する。楽団のサウンドを、ヴィブラート控えめな冷んやりピュアトーン気味に整え、見通しよい構築で作品のウィットやリリシズムを引き出していた。 ピアノのデゼール氏は、LFJ2010のショパンで初めて出会い、細い体から繰り出される硬質なピアニズムに、グリモーに似た魅力を覚えていた。この日のプロコフィエフも期待どおり、前向きな推進力と堅固な打鍵をバランスよく使い分けながら、衒い無くプロコフィエフの色彩や精髄を描き出していった。 楽団の健闘も相まって、幸せな25分間を反芻しながら終楽章コーダに至った矢先・・・原因は不明だが、おそらく1小節分、完全にピアノとオケがずれ続ける15秒程が発生してしまった。。最終盤に弦ピツィカートとピアノ3連符が絡む箇所で双方修正を果たし、フィニッシュは磐石でブラボーも誘ったが、作品のクライマックスで起きた小さくはない事故に驚いてしまい、惜しい幕切れであった。それでもデゼール氏のカーテンコールは堂々。ルーディン氏やコンミスと二言三言コミュニケーションした後は、双方にこやかに喝采を浴びてお開きとなった。いつぞやのエマール氏のように頭をかいて謝ったりはしない(笑)。 前プロの弦セレは非常に興味深い演奏だった。序奏をAllegroとほぼ同じ快速で奏でたり、過度なロマンチシズムを廃してセレナードの古典的構造美にフォーカスしたような、なかなか聴いたことのない類の演奏だった。私が耳にした限りでは、父ヤルヴィ+エーテボリ響による7~8前の録音が、驚くほど清楚でこれに近かっただろうか。このアプローチ、かなり好みかもしれない。その序奏さばきやヴィブラートを抑えた響きに加えて、冷静で要所を押さえたタクトも見るにつけ、ノリントンを想起せずにはいられなかった。 2012年 05月 04日
2012年5月3日(木・祝)21:45~ ホールD7
Pf.児玉桃、北村朋幹 B-CL.山根孝司 Hr.伴野涼介 Vc.宮田大 Perc.池上英樹 ヤーン=エイク・トゥルヴェ+ヴォックス・クラマンティス ♪権代敦彦/カイロス―その時 ♪ペルト/カノン・ポカヤネン~オードⅣ、コンタキオン、イコン、カノンの後の祈り ♪権代敦彦/クロノス―時の裂け目(日本初演) ロシア音楽そのものではないけれど、大いにロシア(旧ソヴィエト連邦)に因むコンセプチュアルなプログラムだった。 カイロスは、東日本大震災で失われた幼い命への想いを託して、児玉桃さんのために書かれたピアノ独奏作品。クロノスは、ロシアをテーマにLFJナント2012から委嘱された際、チェルノブイリの事故当時と現在を念頭に作曲した変則五重奏作品。「カイロス」と「クロノス」はともに“時”を意味する言葉だが、前者の方が私的・身体的であり、後者は権代さんの言葉を借りれば「ティック・ティック・ティック・・・」という「冷厳」で普遍的な時間を指す。放射能汚染で結ばれた25年前の旧ソ連邦と現在の日本の因果を、旧ソ連邦に属したエストニアはペルトの祈りの合唱作品が結ぶという、よく考えればLFJにしては重い思想を備えたプログラムである。 音楽祭のテーマに沿えばその楽音に心揺さぶられるというわけではないし、音楽だけ聴いて「ああ放射能・・・」「フクシマ・・・」と嘆息を呼び起こされるわけでもない。この企画、音楽を純粋芸術としてだけ見る立場からすれば、単に頭でっかちな社会的意義しか見出せないかもしれない。けれど音楽は、“芸術”も何らかの“記号”“表象”も、軽々と包含する空気のような存在であって、コンセプトを拠り所として音楽を身体中に行き渡らせ心を満たすというプロセスは、鑑賞の一手段として何も不自然ではないと思うのだ。 余談が過ぎた。感想を簡約すれば、放射能因果とは別のところで大いに心揺さぶられた、といったところか。権代さんのスピーチとコンセプトは、私にとっては楽音を純粋に享受する素地を耕す(あるいはスポンジの吸収力を再生する)ような作用をもたらした。感度と集中力を引き上げられた耳は、迫真の児玉さんのピアノに大きく揺さぶられた。激しい半音階や強打が縦横し、それがまるで白けることなく、何か有意でシリアスなメッセージを伝えてくる。まるで知らない外国語の、説得力ある演説を聞いているかのよう。 クロノスもカイロス同様にたいそう激しいのだが、時薬なのだろうか、より客観的で地球規模の冷めた癒しのようなものが感じられるのだった(バスクラが担っていた気がする)。作曲者が語ったカイロスとクロノスの“視点の相違”が、鮮やかに音楽へ実装されていたことに鳥肌が立った。 ペルトは理想的な美しさ。シンプルで急くことを知らない楽想に身体を浸すうちに、カイロスの私的時間軸が解体されて、無時間的にたゆたうような不思議な感覚に陶酔していく・・・とはいえ、クロノスへのブリッジとしてだけ捉えるには、あまりにも寂寞にして耽美だった。ヴォックス・クラマンティスによる同曲&エストニア・プログラムは最終日にじっくり堪能するので、詳述はその時に。 会場の客層は明らかにLFJではなく(笑)。普段こういう作品やコンセプトの演奏会にいらっしゃる方々の雰囲気が大半を占めた。中にはチェロ界の重鎮や、若く有望な日本人作曲家のお姿も。そして、4/20に発表されたクロノスのメンバーはやはり素晴らしかった。最近機会を逃し続け久しぶりに拝聴した北村さんは一段とキレを増していらした。一躍著名演奏家となった宮田さんは、鮮やかな技巧に加えて音楽全体を影に日向に形作る只ならぬ何かを発していた(音量という意味ではなく)。そしてクロノスの冒頭と末尾を最弱音で奏でたバスクラ山根さん、OLCで聴く時代ナミクラにも増して透徹した響きが、作品の世界観を見事なまでに表現していたと感じた。 2012年 05月 03日
2012年5月3日(木・祝)10:45~ ホールG402
Pf.サンヤ&リディア・ビジャーク ♪ストラヴィンスキー/3つのやさしい小品、5つのやさしい小品、 ペトルーシュカ(4手ピアノ版) 2012年の1公演目。もともと前プロは「5本の指で」が予定されていたところ5/1に曲目変更。さらに、プログラム紙の曲順は5→3だったが、実際には3→5の順で奏された。 演奏はベオグラード出身の姉妹デュオ。1年程前に聴いたトルコ出身の姉妹と同様、その美形は華やかで間違いなく舞台映えした。トルコ姉妹の方は細身のタッチが少々頼りなかったけれど、ベオグラードのお二人は硬質でなかなか辛口のアプローチが好ましい。前プロ2曲、時々懐古趣味のセンチなフレーズが登場する場面も、情感を込めすぎず適度に音楽を流すセンスが素敵だった。 メインのペトルーシュカは、1947年版をストラヴィンスキー自身が1台4手ピアノ用に編んだバージョン。原曲さながらの彩りと音の洪水にのまれるようだった。有名な「3つの断章」は物語の抜粋を一人で弾くわけで、管弦楽の原曲とは全く別物として聴いている面がある。しかしこの日の連弾版はオーケストラの響きが容易に想起されて、語弊を恐れずに言えばピアノへ見事に置き換えられていた。 そうした編曲の好悪はともかく、彼女達の演奏は一段と豊かになり、時にコケティッシュな表情を交えながら充実した響で会議室を満たした。原曲の難所、例えばTpのソロなどが易々と奏でられて拍子抜けなのはご愛嬌。死に至る緊迫感まで見事に表現されていて、変り種の楽しみではなく堅気の音楽作品としての手応えを堪能することができた。 ところで、会議室の入口近くの席に初めて座ったところ、静寂部やパウゼでガラス棟内の騒音がかなり聴こえてくることに驚いた。LFJだから改善までは期待しないけれど、この期に及んで何のエクスキューズもされていないのはなかなか肝が据わった運営である。無論、この程度の不足は織り込み済みだけれど。
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